勇者と段々崩壊していく世界 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

勇者と段々崩壊していく世界

約束したわけではないけれど、家族に一週間旅行に行くと残してたからには、一度家に帰らなくてはならない。どうせ仕事休んだことママにうるさく言われるんだろうな。
昼頃、自宅に戻ると、誰もいなかった。ママは買い物にでも行っているのだろうか。私はママとの話の流れで、このうちを出て行かなければならなくなった場合、勘当された場合にそなえることにした。一週間世話になった仕事着を脱ぎ捨て、そそくさと私服に着替える。必要最低限の物をカバンに詰め込もうとすると、玄関の鍵をいじくる音がした。ママが帰ってきた。タイミングの悪いことだ。
ウシ、いるの!?
玄関がひらく音がしたと思った次の瞬間に、ママの怒声がきこえた。どくんと、その声量を聴いた私の体が脈をうつ。
いないよー、と、マリネみたいに平然と言えたらなあ、と頭に浮かんだ。たぶん心がバランスを保つためにそんなバカなことを思いついたんだ。
私が何か返事をする前に、ママと顔を合わすことになる。ママは私をにらむ。眉尻を吊り上げ、眉間にシワをよせて、口を、いー、の形にして歯を少し見せ震わせている。どうしようもないほど怒っている時にママがみせる顔だ。こうなると、私がなにを言っても通じない。
勘当、されるのかな。そんなことを思いながら、私はママと目を合わせた。その瞬間、ママの顔から怒りの表情が消えた。怒りがきえ、焦燥しているような、不安な、今にも泣き出してしまいそうな顔になった。私にはなにが起こったのかわからなかった。
少し前に会社の人が来たよ。
ママは一度私から視線をきると、淡々と言った。
誰?
ママは返事をせずにリビングへ向かうと、ガサゴソと何かを探しだし、私に差し出した。上司の名刺だった。
あー、来たんだ。
私は、他人がきけばひどくのんきに聞こえる調子でいった。
すごく、
と、言ったあと、ママはすこしタメて、
…心配していたよ。
と、いった。ママの目が赤くなっているのを私は見た。
へえ。まあ無断で休んだんだからそうなるよね。
また私はひどくのんきな調子でいった。いつものママなら激怒して私に文句を浴びせる、いやもっと、こんなことをしたのだから、私のことを殴りつけるぐらいはしてもいいだろうに、ママは、
まあもういいけどさ、どこ行ってたの?、旅行楽しかった?
と、いった。ママの声は所々裏がえっていた。私はその声をきいて少しつらくなった。
楽しかったよ。遠出をしたわけじゃないけど。
私は今まで一度も注視して見たことのない部屋の片隅を見ながら言った。
マリネ君とだよね?
…そう。ふたりで。
まったくこの子は何を考えているのやら。
ママはニヤリと笑って、
マリネ君が許してくれたのなら良かったじゃない。
と、続けた。
それから、はっとした顔をして、ママはそそくさと台所に向かった。考える前に口に出してしまう私の性格は、このママ譲りなのだ。
よかった。
とだけ、私はかえした。
ママはとりつくろうように、
あーあ、これでマリネ君が、娘さんをください、って挨拶してきた時に断れなくなっちゃった。
と、明るい声でいった。私が何も返事を返さないので、続けて、
マリネ君ってほんとに強かったんだねえ。
と、言った。瞬発的に私は、
強いよ、すごく…。
と、声にだした。
その気があれば、一国相手にしても私を守りきれるぐらい、すごく。その気があれば…。
私は心の中でそう続けた。
ママが溜まっていなかったはずのシンクの片づけを終わらすと、パートに行くね、と出ていった。今日はもうどこにも行かないんでしょ?、と私に念をおすことはわすれなかった。
行かないよ、とだけ返事をしたけど、私にその気はなかった。ママが私に気を使っている。きっとパパはそれ以上に私に気を使うだろう。それは問答無用で怒られると思っていた私にはうれしい誤算だったけど、いっそ怒られてしまって、勘当されたほうが楽だったかもしれないと思えるほど、つらかった。パパとママとこのまま一緒に食卓を囲むのは、想像してみると、とても居心地が悪い。私のせいなのだけれど。
私は、必要最低限の物をカバンに詰め込んで、家を出た。
しばらく帰らないけど、まあちゃんと一緒だから大丈夫。少ししたら手紙を書きます。
とだけ書置きを残して。
行くあてはないけど、ヒントはある。マリネが見つからないなら、マリネが接触したであろう盗賊を探せばいい。そのことには少し前から気がついていた。けど、裏社会にいる人との接触は怖くて、それ以外の方法で何も見つからなかったらそうしよう、と避けてきた。でも、もう大丈夫だ。三週間後に王城へ、トッツクポーリへ行くことに比べれば、どうということもない。それに、私の身分も、マリネと同じく、偽造してもらう必要がある。
私は歓楽街へ向かった。盗賊や裏社会に詳しくない私は、そういったものイコール歓楽街、だとの認識があるし、マリネが私と歓楽街に行きたがらなかったのは、マリネがそういった繋がりから私を遠ざけるためだったのかもしれないと思ったからだ。
歓楽街に着いたはいいけど、見た目も、性別も知らないマリネの知り合いの盗賊を人いきれの中から見つけ出すことなど不可能だ。無知な私には同業者を見分けることすら難しい。私はなんとなく、自身のイメージに従って、表通りから裏道へと歩いていった。
旧街道まで出ると、まだ暗くなっていないのに、歓楽街の空気が少し澱んでいるように感じた。いや、なまじ外が明るいだけに、一昔前の華やかさに埃をかぶした旧街道の景色がまじまじと見え、一層強くそう感じたのだろう。だけどこの澱みの中にこそ、私が探しているものが生息しているに違いない。
きょろきょろと辺りに何かないかと探しながら歩いていると、思いの外かんたんに、すんなりと、私はヒントを見つけた。
女の子だ。道の向こうに女の子がいる。マリネの部屋のベランダをのぞこうとした時に見た、あの女の子だ。