勇者と段々崩壊していく世界 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

勇者と段々崩壊していく世界

僕にも事情はあるし、彼女もそれなりに何か考えがあるようだ。そんな僕達には密室が必要だった。ただ彼女が何を考えているのか、僕にはどうでもよかった。彼女がこの先泣こうが喚こうが怒ろうが自殺を宣言しようが 、心の底からどうでもよいという気分になっていた。どうせなら最後に一回やっておかなきゃ損かな?、程度にしか彼女のことを思っていなかった。つい数時間前までストーキング行為をするほど彼女を愛していたというのに、もはや僕は彼女を、動くし喋るしなぜだか僕のこともよく知ってる物体、と見ていたと言っても過言ではない。
こんな朝早くに密室を用意するにはホテルしかないのは言うまでもない。だが、僕の精神がこの町のラブホに入るのを強く拒む。その心情は決して暴行事件 を犯した直後だから、という現実的なものではない。これは、屈辱、なのだろうか。僕の目にこの町のホテルはなんともいえない汚らわしさを纏って映る。そのなんともいえない汚らわしさはホテルだけでなく、いやホテル以上に、彼女をべっとりと包み込んでいる。そのべっとりとした汚らわしい膜状のフィルターが、僕に彼女を動く物体として見せていることに違いはないだろう。
犯行現場に戻ってしまうバカを犯さないようにする為、駅も利用できない。しようがないなので歩くことになった。歩いて隣町のホテルまで向かう。少し早足で歩いている最中、僕は以前の僕のように、あるいはそれ以上に饒舌だった。自分でも何がおかしいのかわからないが、やたら彼女に話しかけては明るく笑う自分がいた。
歩きながら少し考えてみた。彼女を愛するあまり、僕は彼女に嫌われることを怖れていたに違いない。喋る言葉に気を振りまいた。彼女の喋る疑問形には彼女の気に入る、またはあらかじめ彼女の中でこう答えて欲しいという希望或いは解答、をたとえ自分の意思に反しようがなるべく選んでいた。それが今この時になって、彼女を物体としか見られなくなって、初めて僕は彼女に本来の僕を見せているのかもしれない。今僕はとても気楽だ。彼女が僕の言葉で傷ついたりだとか、気に入らない発言をしないように考えたりしないことは、とても気が楽だ。僕自身のことしか考えないで彼女と言葉を交わす。とても素直な、だが抜き身の僕を、彼女にさらす。実に気分がいい。心が軽い。
いろいろ彼女と話したが今回このように歩いている原因の肝心な部分、彼女の浮気の弁解や、僕の持つ荷物のこと、については、そういうのは二人きりになってから話そう、と制した。ただその際彼女は、私は好きだよ?、と、言った。俺も君が好きだよ、自然と僕はこたえた。でもそんなのもう関係ないよね、僕は笑顔で言葉を付け足した。彼女の顔がまた青くなったのが見て取れた。
そうして30分ほど歩くと、やっとホテルに着いた。満室ではなくてほっとする。とっとと部屋に入ると、彼女は、それまでなんとか気丈に振舞っていたが、ベッドに突っ伏して、嗚咽を交えながら泣きはじめた。僕には彼女が泣いていることが全く理解できなかった。そんなに泣くのならあんなことしなければよかったじゃないかと思はないではないが、それ以上に、彼女が泣こうが喚こうが吐こうがどうでもよい、という無関心の方が先に立つ。かなりひどく泣いている彼女を見ても、僕の心には少しの波も起こらない。泣きながら彼女は、甘えたいのか甘やかされたいのか、僕に抱きつこうとしてきたりしたが、僕はやんわりとではあったが明確に拒否した。この時は僕に、汚い手で触るな、という嫌悪の感情が湧き立った。
泣き疲れた彼女が落ち着いてきたのを見て、僕は話を切り出すことにした。僕は彼女に対し、僕よりも遥かに小さいだろうが出来るだけ大きい心の傷をつけてやれ、と思っている。今も確かにそのつもりはある。だが、その決意は当初よりもだいぶ揺らいできていた。僕が本身をさらけ出して彼女と話し気が楽になったからなのか、彼女を物体として見ているからなのか、それとも僕がまだ彼女を愛しているからなのか、ただ単に人を必要以上に傷つけるられるほど僕が非道な人間ではないからだろうか、やはり死地へ向かう前に誰かに甘えたくなってきているのだろうか。僕はどこにどう行き着くかわからない話を始めた。
別れる別れないの話も重要だろうとは思うが、まず君に伝えることがある。あまりに突然だろうけど、まあそれが朗報か凶報かは君次第だが。と言って僕は苦笑いをうかべた。
彼女はきょとんとした顔で僕の顔を見た。そりゃあそうだろうな、と僕は思い、また苦笑した。
彼女が、何を?、と言う前に僕は、
俺は今から遠いところへ行く、と言った。
遠いってどこ?
遠くだ。
何しに?
まあ仕事かな。
仕事決まったの!?
そうとも言えるし、そうとも言えない。
どういうこと?
ただ一度そこに行ったら、おそらく帰って来ないと思う。
なんなのそれ?、仕事の関係で?
そうだね。向こうにずっといることになるだろう。
遠いってどれくらい?
まあそう簡単には会えないぐらいかな。
ふうん。
どう思う?
どうって?
今ならまだ断れる話だ。
行きたいの?
君はどう思う?
私は、私は…。
どうだ?
仕事が決まるなら、私は応援するよ。
…それは行ってもいいってことだよね?
うん。
会えなくなるよ?
ずっとじゃないんでしょ?
どうやら僕は彼女に、行かないで、と言って欲しかったらしいことが理解できた。なぜなら、遠くに行って会えなくなってもいい、と言われた時からまるで駄々をこねる幼児のように、無性に腹が立ちはじめたからだ。