勇者と段々崩壊していく世界
フナムシと別れて僕は駅へと向かった。ちょうど専車が動きはじめる時間だった。専車に揺られながら僕は不義を叩くため死路へ赴かんとする親友のことを考えてはいなかった。そんなんじゃダメだ、フナムシのことを考えなくてはダメだと何度頭を振っても頭にふつふつと途切れることなく浮かんでくるのは彼女のことだった。特に彼女の浮気のことだった。気がつくと僕は自分の最寄り駅ではなく、彼女の家の最寄り駅で降りていた。
人の流れを見渡せる駅前広場の隅でポケットからタバコを取り出し一服する。特に向かいの細い通りを見渡せるように。その通りは数件の、この町で唯一のラブホに続く通りだ。その通りにはラブホ以外ないので、そこから彼女と男が出てきたらそれすなわち浮気だった。
タバコがなんだかとても乾いているような気がする。全く吸った気がしない。僕はひどくそわそわして動悸が激しく、じっとしていることすら難しかった。僕は見張りを中断して彼女の家の前まで歩くことにした。
駅から歩いて五分ほど、目の前に24時間営業の八百屋があるアパートの一室が彼女の家で両親と住んでいる。外から彼女の部屋に灯りがないことに僕は考えを巡らせる。確かにこの朝早い時間なら寝ている。今日の彼女の予定では、出勤の時間まであと三時間はあるはず。しかし彼女が現在この部屋にいないとも考えられる。僕はじっとしていられず踵を返すと、駅から彼女の家へのルートではなく、ラブホから彼女の家へのルートを通って駅へと向かった。彼女と出くわすことがないよう祈り続けながら歩いた。幸い彼女は見当たらなかったものの動悸は激しさを増していった。
人一人の見張りでは見張れる場所に限界がある。駅前の広場からの見張りでは、ラブホから駅へのルートは見張れてもラブホから彼女の家へのルートは見張れない。男が彼女を家まで送る場合には見逃す。ラブホを見張れば今度は駅から彼女の家へのルートが見張れない。違う場所で男と会っていたなら見逃してしまう。見張れる場所にも違いがある。駅前の隅でポツンと立っているものとラブホの近くでポツンと立っているものの怪しさの違いは言わずもがなだ。
僕はラブホをとった。最悪の事態の方をとった。
実は以前、最近の彼女の行動に怪しさを感じはじめた頃、今日は何かあると睨んではじめて見張りをした日に、駅前から見張っていた僕は彼女が男とラブホ通りから出てくるのとかちあったことがあった。呆然とした僕を遠くから認めたふたりは、すぐさま散り散りになった。しまった出遅れたと思った
僕はすぐさま男を捕まえて殺そうと駆け出したが、そんな僕に彼女はニコニコと笑みを浮かべて近づいてきた。
違うよあいつはただの同期の同僚で専車が出るまでつきあってやっただけでなんにもない、と彼女は言った。彼女の言い訳をよそにして、男を取り逃がした僕は打ち震えていた。
この件とは関係なしに僕はだいぶ前からおかしくなっていた。自分でもなんだかよくわからないがそれまであった自らの武を持って不義を撃つといった情熱や将来そうなるんだという希望は消え失せ、すべてにおいてのやる気や自信、明るい面の感情というものがなくなり考えることは影のように暗いものばかりでいつもなにかつまらなそうな顔をしている。フナムシとの修行もやめ仕事もやめ、彼女と会っても話すことはなく、彼女に話しかけられてもうんと言うぐらいしかなかった。彼女からの疑問系の質問すべてに僕は大きな不快感を示した。どこいく?なにする?どう思う?どう思ってる?。そんな普通の言葉になぜだか知らないがとにかく死んでしまいたいとさえ思った。
それでも僕は彼女が好きだった。このままでは彼女が僕を好きじゃなくなるのも理解はできた。金もなく、話しかけてもうんとしか言わない。こんな男を誰が好きだというのか。僕はよくわかっていた。別れてと言われればきっと、うんと答えた。でも彼女はいわなかった。僕は無為なる日々をただ過ごしていた。
男を取り逃がしたとき、僕の中で何かが崩れた。僕は強い。かなり強い。試合形式ではわからないが実戦だったらウエノでも五指に入るとの自負がかつてあった。そんな僕が、いざ、というときに戦えもできなかった。僕は一体なんの為に修行をしてきたかわからなくなった。不義を叩く時、いざ、という時に戦えるためだったのではないか。僕にとってあの時はいざという時だった。それがこの体たらくだ。僕は死ぬ日を決めた。
寒いし外で話すことではないので彼女をホテルに戻して話しあった。彼女の言い訳はさらに続いた。いま生理だからできるわけない、確かに生理中だった。ただの友達だからただ休んでいただけだからそれにあいつは恋人なんかいらないって言ってるような奴だから、それを信じる男がこの世にいるのか。だいたい前に浮気の定義について話したとき君はホテルに行ったらやることは決まっていると言ったじゃないか、と僕が言っても彼女は頑なに否定した。バッグの中を見せろ、と言うと彼女は抵抗した。ふざけるなと思ったが努めて冷静に僕は彼女を説き伏せた。バッグの中にはいくつか手紙の束があった。どれも相手の男からのものでも男へのものでもなかった。彼女の親友へあてたものと返信だった。
時系列に沿って手紙を読みだす。彼女は何回か僕の手から手紙を取り返そうとしたが、いざという時には役に立たない僕の力と技術の前では、荒事をしたわけではないが、無力だった。手紙のなかで僕はひどい言われようをされていたが、それは僕が悪いとそう思えるものだった。しかし手紙が最近のものになるにつれ、あの男のことが書かれだしてきた。
気になる男ができたんだ。同期数人で集まって劇を観にいって彼と仲良くなれたよ。彼は恋人なんていらないって言う。わからないけど好きかも。今度ふたりで飲むんだ。まあちゃんにはないものが彼にはある。会うの楽しみ。
そんな内容がかなり続いた。確信の核心をつくものはないといえばなかった。
彼女の親友からそのことについての返事は大まかにいえば、なにがあってもどちらを選んでも私はあなたの味方、というもので、僕について彼女の親友がなにを記していても気にとめなかったがこの点だけ僕は恨んだ。
泣いたり謝ったり弁解したり眠くなったりする彼女に僕は淡々とその日の午後会う約束をとりつけた。その日は彼女の仕事が休みの日でもともと会う約束をしていた。だからこそ昨日今日が怪しい日と睨んだわけだが。
僕はこの日を楽しく過ごしたかった。楽しく、幸せな一日でなければならなかった。人生の最後の日ぐらいは幸せな気分でいたかった。好きとか嫌いとかではなく、それだけだった。
人の流れを見渡せる駅前広場の隅でポケットからタバコを取り出し一服する。特に向かいの細い通りを見渡せるように。その通りは数件の、この町で唯一のラブホに続く通りだ。その通りにはラブホ以外ないので、そこから彼女と男が出てきたらそれすなわち浮気だった。
タバコがなんだかとても乾いているような気がする。全く吸った気がしない。僕はひどくそわそわして動悸が激しく、じっとしていることすら難しかった。僕は見張りを中断して彼女の家の前まで歩くことにした。
駅から歩いて五分ほど、目の前に24時間営業の八百屋があるアパートの一室が彼女の家で両親と住んでいる。外から彼女の部屋に灯りがないことに僕は考えを巡らせる。確かにこの朝早い時間なら寝ている。今日の彼女の予定では、出勤の時間まであと三時間はあるはず。しかし彼女が現在この部屋にいないとも考えられる。僕はじっとしていられず踵を返すと、駅から彼女の家へのルートではなく、ラブホから彼女の家へのルートを通って駅へと向かった。彼女と出くわすことがないよう祈り続けながら歩いた。幸い彼女は見当たらなかったものの動悸は激しさを増していった。
人一人の見張りでは見張れる場所に限界がある。駅前の広場からの見張りでは、ラブホから駅へのルートは見張れてもラブホから彼女の家へのルートは見張れない。男が彼女を家まで送る場合には見逃す。ラブホを見張れば今度は駅から彼女の家へのルートが見張れない。違う場所で男と会っていたなら見逃してしまう。見張れる場所にも違いがある。駅前の隅でポツンと立っているものとラブホの近くでポツンと立っているものの怪しさの違いは言わずもがなだ。
僕はラブホをとった。最悪の事態の方をとった。
実は以前、最近の彼女の行動に怪しさを感じはじめた頃、今日は何かあると睨んではじめて見張りをした日に、駅前から見張っていた僕は彼女が男とラブホ通りから出てくるのとかちあったことがあった。呆然とした僕を遠くから認めたふたりは、すぐさま散り散りになった。しまった出遅れたと思った
僕はすぐさま男を捕まえて殺そうと駆け出したが、そんな僕に彼女はニコニコと笑みを浮かべて近づいてきた。
違うよあいつはただの同期の同僚で専車が出るまでつきあってやっただけでなんにもない、と彼女は言った。彼女の言い訳をよそにして、男を取り逃がした僕は打ち震えていた。
この件とは関係なしに僕はだいぶ前からおかしくなっていた。自分でもなんだかよくわからないがそれまであった自らの武を持って不義を撃つといった情熱や将来そうなるんだという希望は消え失せ、すべてにおいてのやる気や自信、明るい面の感情というものがなくなり考えることは影のように暗いものばかりでいつもなにかつまらなそうな顔をしている。フナムシとの修行もやめ仕事もやめ、彼女と会っても話すことはなく、彼女に話しかけられてもうんと言うぐらいしかなかった。彼女からの疑問系の質問すべてに僕は大きな不快感を示した。どこいく?なにする?どう思う?どう思ってる?。そんな普通の言葉になぜだか知らないがとにかく死んでしまいたいとさえ思った。
それでも僕は彼女が好きだった。このままでは彼女が僕を好きじゃなくなるのも理解はできた。金もなく、話しかけてもうんとしか言わない。こんな男を誰が好きだというのか。僕はよくわかっていた。別れてと言われればきっと、うんと答えた。でも彼女はいわなかった。僕は無為なる日々をただ過ごしていた。
男を取り逃がしたとき、僕の中で何かが崩れた。僕は強い。かなり強い。試合形式ではわからないが実戦だったらウエノでも五指に入るとの自負がかつてあった。そんな僕が、いざ、というときに戦えもできなかった。僕は一体なんの為に修行をしてきたかわからなくなった。不義を叩く時、いざ、という時に戦えるためだったのではないか。僕にとってあの時はいざという時だった。それがこの体たらくだ。僕は死ぬ日を決めた。
寒いし外で話すことではないので彼女をホテルに戻して話しあった。彼女の言い訳はさらに続いた。いま生理だからできるわけない、確かに生理中だった。ただの友達だからただ休んでいただけだからそれにあいつは恋人なんかいらないって言ってるような奴だから、それを信じる男がこの世にいるのか。だいたい前に浮気の定義について話したとき君はホテルに行ったらやることは決まっていると言ったじゃないか、と僕が言っても彼女は頑なに否定した。バッグの中を見せろ、と言うと彼女は抵抗した。ふざけるなと思ったが努めて冷静に僕は彼女を説き伏せた。バッグの中にはいくつか手紙の束があった。どれも相手の男からのものでも男へのものでもなかった。彼女の親友へあてたものと返信だった。
時系列に沿って手紙を読みだす。彼女は何回か僕の手から手紙を取り返そうとしたが、いざという時には役に立たない僕の力と技術の前では、荒事をしたわけではないが、無力だった。手紙のなかで僕はひどい言われようをされていたが、それは僕が悪いとそう思えるものだった。しかし手紙が最近のものになるにつれ、あの男のことが書かれだしてきた。
気になる男ができたんだ。同期数人で集まって劇を観にいって彼と仲良くなれたよ。彼は恋人なんていらないって言う。わからないけど好きかも。今度ふたりで飲むんだ。まあちゃんにはないものが彼にはある。会うの楽しみ。
そんな内容がかなり続いた。確信の核心をつくものはないといえばなかった。
彼女の親友からそのことについての返事は大まかにいえば、なにがあってもどちらを選んでも私はあなたの味方、というもので、僕について彼女の親友がなにを記していても気にとめなかったがこの点だけ僕は恨んだ。
泣いたり謝ったり弁解したり眠くなったりする彼女に僕は淡々とその日の午後会う約束をとりつけた。その日は彼女の仕事が休みの日でもともと会う約束をしていた。だからこそ昨日今日が怪しい日と睨んだわけだが。
僕はこの日を楽しく過ごしたかった。楽しく、幸せな一日でなければならなかった。人生の最後の日ぐらいは幸せな気分でいたかった。好きとか嫌いとかではなく、それだけだった。