ちょっと不思議でうれしいことがあったんだ。 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

ちょっと不思議でうれしいことがあったんだ。

ちょっとしたシンクロニシティというかね。それがなにか書かないけどね。恥ずかしいし書いていると泣いてしまうかもわからないからね。それだけです。ああ、うれしいなあ。おれも捨てたもんじゃねえなあ。まあ、モリエールの「人間ぎらい」の主人公のように生きていくには裏切りを枕にして寝ないといけませんってなにいってんだおれは。
敬語ってやつは使いこまれていくうちにだんだんと表現が丁寧になっていくらしい。常に、より丁寧により丁寧に話さなけりゃならんという心理からくるものらしい。今まで使ってた敬語表現が一般化するにあたって、それを上回る次の敬語表現を生み出すんだってさ。やたらと「お」をつけたりとかさ、「○○になります」「○○のほうになります」とかさ。四六時中あいさつに「おはようございます」を使うのもそうだよね。これを敬語表現のなんとか性とかなんとか言うらしいけど、すっかり忘れた。「おみおつけ」とかさ。古文だって上代、平安、鎌倉、江戸となんやらかんやらだしさ。なにが言いたいかっつうと、これは昔っから繰り返しては、膨れた風船みたいにパンパンになって、行き着く所までいくと表現的精神的ともにハンドルでいうところのあそびがなくなっちゃうんだろうね、うんちゃらかんちゃらあったりで言文一致とかになってさ、ああもうちょっと一回この風船割るわ!邪魔!なんだよこれよく考えればすげー邪魔じゃん!、ってなるんだよ。
敬語だけじゃなくてさ。生きづらさもそうでさ。社会ってのはなにかと積み重ねだからね。うんたらかんたら余分なものもだんだん積み重なっていく。ゴミ屋敷みたいにさ、いつか身動きとれなくなる。屋敷の主は宝物だからとってある、他人かりゃみらゃゴミだとしても、みたいなさ。日本ってのは特にそんな感じよ。しかも日本人ってのは妙に辛抱強いというか、「いまやれてるなら永遠にこのままで」というか、環境を支配して生活を営むんじゃなくて環境にあわせて生きるタイプの民族だからさ。途中で捨ててかねえんだゴミを。まさしくゴミ屋敷だよ日本社会は。もったいねえっつって、いや捨てろよってさ。そのぶん家捜しすりゃなにかと出てくるんだろうけどさ。そのぶん風船が破裂するときゃ大変よ。限界まで、限界以上になにかをため込んでるからね。別にほんにゃら革命とかそんなの言ってるわけじゃなくてさ。年末の大掃除でキレながら掃除してるオヤジとかいるでしょ。「かああ!、なんでこんなにきたねえんだばかやろー!」って、お前がめんどくせえっつって掃除しなかったからだよってさ。あんな感じだよね。社会って。アホらしいけどしょうがないよ。だい
たい一億人のバカがいなけりゃひとりの偉人は生まれないんだ。
いまってのはちょうど過渡期というかさ。風船が破裂寸前だよ。あれとかあれとかこれとかあれとか。必要以上に窮屈を推し進めてるよ。まるで窮屈であることが連綿と続く歴史だったりこれからの新時代ってつらでさ。足の踏み場もありゃしねえ。窮屈にすることなんてワールドオーダーじゃないんだよ。ましてやこれからの世界なんかじゃない。ハンドル切れすぎて大事故してもしらねえけどさ。余裕があるから車はカーブを曲がってくんだよ。じきに破裂するね。きっかけはいろいろあるんでしょきっとさ。風船はカラスの群の中に向かって飛んでってるんだ。どのカラスがつついたかは問題じゃないんだよ。吹けば飛ぶような将棋の駒じゃねえけど、生き残るやつ死んじゃうやついろいろでるんだろうよ。おれはなんとかなりそうだよ。悪いけどおれはバカはバカでも一芸あるバカだからね。破裂はでも、それは全体的には発展だよ。長期的趨勢だよ。そんでまた風船に空気をいれてくんだろ。あ、“空気”をいれてく、にしたほうがなんかいい感じでござあますですね、はい。
つまんね。寝よ。アホらしい。