マドレーヌのような母
萎縮させることが成長ではない。叱られる少年。それはとてもうらやましい。父の感情の風向き次第で甘い顔されたり怒られる少年。萎縮していく少年。少年が父が父なりによかれと思って急な旅行計画をたてたとき。少年は行きたくなくて。この家に俺の居場所はない、と言った父。不器用と言えば多少なりともかっこがつく。少年はまた萎縮して、また演じるいい子の役回りが増えた。マドレーヌのような母。関わりたくない父。顔も見れない。声もかけれない。父から声をかけられると、まるで就職の面接をしているようだった。誰かになにか弱音を漏らすと父に知れるから、少年はなにごとも素知らぬ顔をして過ごし、平穏安寧を作り出す術を身につけた。誰にも本音を話したくない。父に知られると、とても厄介な事態になるに違いない。少年は素知らぬ顔。学校から帰って、夕食前に少年はひとりで二階に上がり、父の枕を殴りつけた。毎日、毎日。とてもたくましく、妄想をしながら殴りつけた。下の階から聞こえてくる料理の音。どうして母は父となんか結婚したんだ。僕はどうしてこんなに父に気を遣っていなきゃいけないんだ。枕は声を出さないし、目もついていない。
いつか、お前は大人しすぎる、と父が言った。お前がいなけりゃ僕は、少年はそう思いながらその日の枕を殴った。
土の匂いがとても好きだ。緑の匂いを支える少しザラザラした匂いだ。見慣れない言葉は一向に頭に入らない。誰かの影に入ると、少年の影はそこに吸い込まれていった。萎縮しながら生きていくのか。ばかばかしくてやってられない。朝から晩まで待ちくたびれて死んでしまう。楽しくないことは罪だ。父がいないときに楽しくないことは罪だ。そうでないと世界のバランスが崩れてしまう。土の匂いだ。ザラザラして、潰れた緑の匂いだ。腐ったハチドリとろくでもないコップを足したような匂いだ。物心ついたときには既に。
先日、無意識にこんなもんをメモのように走り書きしていた。
というのも、喫茶店に行ったら隣のテーブルに着いた夫婦が子供のことで犬も食わぬものをしていたからだ。否応無しにそれを盗み聞きする羽目になり、どうしようもなくイライラした気持ちを抑える緩衝装置として携帯をポチポチしてた。
夫はまさしく、己に見せる子供の萎縮行動を成長の証だというようなことを言った。妻はそうじゃないと言って様々に反論していたが、残念、耳を立ててる身に歯がゆさを感じさせる語彙だった。
夫は自分のしている教育や子供との接し方は正しいの一点張りで、案の定というべきか、妻が悪いと言った。当然、水掛け論に発展していった、が、何でか知らないが仲良く喫茶店をあとにしていった。
いろいろとおれをイライラさせる文句や主張をふたりともが言っており、詳しく書いてやりたいが、それはこんな個人のブログに書いていいもんじゃない。
ただ言えることは、いずれあの夫も、うちには俺の居場所がない、と子供に向かって怒鳴る日が来るのだろうということだ。どうせ、俺はこんなにお前らに尽力してるのに、などと思いながら。
残念だよ。残念でならない。
そのやりあいのさなか、夫婦が子供に注意をするという意味の言葉を、叱る、ではなく、怒る、としか表現しなかったことが印象に残った。
いつか、お前は大人しすぎる、と父が言った。お前がいなけりゃ僕は、少年はそう思いながらその日の枕を殴った。
土の匂いがとても好きだ。緑の匂いを支える少しザラザラした匂いだ。見慣れない言葉は一向に頭に入らない。誰かの影に入ると、少年の影はそこに吸い込まれていった。萎縮しながら生きていくのか。ばかばかしくてやってられない。朝から晩まで待ちくたびれて死んでしまう。楽しくないことは罪だ。父がいないときに楽しくないことは罪だ。そうでないと世界のバランスが崩れてしまう。土の匂いだ。ザラザラして、潰れた緑の匂いだ。腐ったハチドリとろくでもないコップを足したような匂いだ。物心ついたときには既に。
先日、無意識にこんなもんをメモのように走り書きしていた。
というのも、喫茶店に行ったら隣のテーブルに着いた夫婦が子供のことで犬も食わぬものをしていたからだ。否応無しにそれを盗み聞きする羽目になり、どうしようもなくイライラした気持ちを抑える緩衝装置として携帯をポチポチしてた。
夫はまさしく、己に見せる子供の萎縮行動を成長の証だというようなことを言った。妻はそうじゃないと言って様々に反論していたが、残念、耳を立ててる身に歯がゆさを感じさせる語彙だった。
夫は自分のしている教育や子供との接し方は正しいの一点張りで、案の定というべきか、妻が悪いと言った。当然、水掛け論に発展していった、が、何でか知らないが仲良く喫茶店をあとにしていった。
いろいろとおれをイライラさせる文句や主張をふたりともが言っており、詳しく書いてやりたいが、それはこんな個人のブログに書いていいもんじゃない。
ただ言えることは、いずれあの夫も、うちには俺の居場所がない、と子供に向かって怒鳴る日が来るのだろうということだ。どうせ、俺はこんなにお前らに尽力してるのに、などと思いながら。
残念だよ。残念でならない。
そのやりあいのさなか、夫婦が子供に注意をするという意味の言葉を、叱る、ではなく、怒る、としか表現しなかったことが印象に残った。