アラクネ(32)~再投稿~ | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

アラクネ(32)~再投稿~

「他の脚もお望みかな?」

ハゲタカに人語を喋らせたような声が優しくも無機質な背景に響いた。ミシモは首を横に振った。

「こんな夢、早く目覚めろっつうの」

そう思いはすれど、それが不可能であることに気づき始めている。

再び扁平頭の男が現れると、男は佐藤ヒロフミ、菱山カナコ、土師マユミ、己タケハル、鈴木ホノカ、野崎アヤ、武者カズタカの死に様を朗々と語った。

「佐藤ヒロフミは逃れられぬ過去を持つ男だった」

「菱山カナコは我慢出来ぬ女だった」

「土師マユミは不完全な完璧主義者だった」

「己タケハルはナルキッソスの子だった」

「鈴木ホノカは続けられぬ女だった」

「野崎アヤは痩せた豚のような女だった」

「武者カズタカ、あの男は痛みを恐れ、逃げることしか出来ぬどうしようもない男だった。あいつは駄目だ」

男はクラゲのようにかぷかぷと笑った。

「痛みこそが喜びの根だというのに。苦しみこそが天国へ通じる道だというのに。何も無いくせに自らを後生大事にして」

男は空を指差した。

「尾形ミシモ、この空を見よ。朝だ。朝が来たのだ。ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つが、おお、見よ。朝だ。朝明けだ。朝靄たちこめることなく透き通る朝だ。アラクネ様の朝だ。お前は認めよ。この朝に認めよ。アラクネ様に認めよ」

清々しいのに重苦しい空を見上げるミシモ。生暖かい風が頬をなでる。その目は生気を放っていない。

「私は何を、認めるというの?」

尾形ミシモを以てしても、男の言葉に抗うことは出来なかった。

「ふふふ、そうだ。お前は認めるのだ。そして与えられるだろう。ふふふお前は」

「ちょっと待った!」

扁平頭の男が認めの条件を言いかけた時、割って入った男の声が空間に響く。

「なんだ!?これは、これは、そんな馬鹿な!誰かがこの世界に?」

不意に響き渡った人間の声に、扁平頭の男は狼狽を隠さなかった。

「ちょっと待て!」

どこからか、また同じ声がした。

「これは、こんなことが…ありえるはずが」

扁平頭はその扁平頭を抱え込んでなにやら、考えている、ようであるが、その行為は矛盾そのものであった。

「あ、ちょっと待て!ちょっと待てください!」

「………」

姿無き声にそう言われ続け、余儀なく待つ男と女。互いに大きな混乱を抱えている。

「ちょっと、ちょっと、あれ?ここまで来て!?あ、いや、ちょっと待ってちょっと、あ、こうか?いや、そんな、あら?え?ごめんちょっと、あれま、き、ああ、これか?違う?」

車掌がマイクのスイッチを切り忘れ、車内に独り言が流されているような声が続き、なんとも言えぬ台無し感がミシモを襲った。

「ちょっと待って、あら?あらあらあら、おお、おお、よし!いける!」

声が力強くそう言うと、ミシモと扁平頭の男の間に、裸では無いにしろ某未来から来た人型殺戮ロボットの登場シーンのようなポーズをした男が現れた。クラウチングスタイルである。ミシモはただ、訝しくその男を見つめた。

現れた男はミシモの方を仰ぎ見ると、にっこり笑った。気持ち悪い。しかし、どこかで見たことある顔。ミシモの心持ちも知らず、

「今日、今日だと思ったぜ。今日だと。案の定だ。誕生日にクライシス。アラクネ様の転生、だもんな。この日だと思ったぜ。そんなもんだと思ったぜ」

と、恐らくは精一杯かっこをつけたセリフを喋りながら、ゆっくりと立ち上がった。ミシモは、気持ち悪い奴だな、と確信した。

「なんだ貴様は!」

扁平頭の男がそいつに吠える。しかし、問われた男は冷静に、

「彼女に認めさせやしないぜジャック君、いや、モンタギュー君で正解かな?ふふん」

と、飄々とうそぶいた。

「貴様は誰だと訊いている!どうやってここに来た!」

「一度に二つの質問をするとは、焦ってやがる。焦ってやがるな。それもそう、前代未聞、だろうからな。ま、俺のことなら彼女が知ってる。彼女の脳内を探ればわかるだろうぜ。得意だろ?今となってはそれだけが」

「お前、お前は」

「ストーカー」

扁平頭の検索よりも早くミシモが答えた。まさしく、現れた男は例のストーカーであった。

「いやまあ、そうなんですけど、ストーカーですか…」

男は少しがっかりした様子で苦笑いを浮かべた。精一杯二枚目半を気取っていやがる。

「こいつ、あるぞ、尾形ミシモの記憶の片隅に、あるぞあるぞ、忘れ去られた手つかずの領域にあるぞ!貴様、土師マユミの葬儀で人目もはばからず号泣していた男だな!」

「あ」

扁平頭の男の言葉がミシモの記憶を呼び覚ました。そうだ。どこかで見たことのある顔だとずっとずっと、心のどこかで疑問符が出ていた。そうだ。マユミの葬儀で泣き崩れていた男だ。ミシモの中で様々なダマ止まりになっていた情報が一気にほつれ、口から出た言葉は、

「そうだ。マユミ言ってた。会社にストーカーがいるって」

であった。

「遡ってもストーカー!?俺、ストーカー…」

今度はがっかりした様子を見せた男だったが、すぐに、

「その通り、俺の名前は高橋。土師マユミの元同僚。まさしく俺は彼女を愛していた。今尚愛している。だが、しかし、彼女は、この尾形ミシモさんを愛していた。俺なぞ立ち入る隙もなく、彼女は彼女を欲していた。愛していた。とても残念さ。だがな、それなら、今となっては、愛から取り残された俺がマユミさんにこの愛を証明しようというならば、俺はなんだってする。マユミさんはミシモさんの悲しみを、絶望を、許しを乞う姿を、望んでいない!絶対にだ!」

高橋の熱のこもった言葉を聞きながらもミシモは、こいつはマユミのタイプじゃないな、と思った。

「その為にここへやってきたのさ。ふらりとね」

「貴様どうやってここに来た!」

「ふふん、お前には俺がわからない分、わかってしまうのだろうな。俺は彼女の脳内のイメージではないということが。俺は俺だ。ちゃんと自意識を持つ。この世界に於いて、お前と一緒の存在といっても過言ではないだろう。しかし、なにも初めてここに来たわけじゃない。お前に会うのは、いや、お前を見るのは二度目だ。武者君の時にも、俺は見ていたんだぜ。あの時とは場所が違って焦ったよ。といっても、“記憶”の無い、情報の刷新に過ぎないお前には思い出すなんてことは出来ないだろうが」

「…」

扁平頭の男、切り裂きジャックの情報は押し黙った。

「俺は納得出来なかった。土師君の死を。なぜ彼女があんなふうに死ななきゃならん。納得出来るか。してたまるか。だから研究したのさ。彼女の周辺を、彼女の友人達を、最近起こった出来事を、心理学を、精神世界を、フロイトを、ライヒを、あらゆる宗教を、あらゆる神話を、古今東西の民話を、伝承を、サイエンスを、理論を、あらゆる仮説を、愛を、俺は学んだ。土師君の死からずっと、ずっと。彼女の友人達が次々と同じ死に方をした。ある日突然何の前触れもなく、腹を裂いて死んだ。これは一体なんだ。何が起こっている」

珍入者、否、高橋は続ける。

「俺の研究の行き着いた先は夢だった。皆、起きている時は普通だったからね。鈴木ホノカさんが腹を裂いた時に俺は夢で何か起こっているのではないかと、半信半疑ながらそう思い、警察の手で殺人犯として厳重に“保護”されていたはずの野崎アヤさんが死んだ時、その思いは確信に変わった。留置場の中では二十四時間監視されている筈だからね。そこで突拍子もなく同じように死ぬとなると、夢以外、行き着く場所、導ける点がなかった。野崎アヤさんには悪いが、殺人犯として通報したのは俺なんだ。よかれと思って、いや、実験だったと言おう」

高橋はちらりとミシモに目をやった。ミシモは怒ってはいなかった。

「夢、そこになにかあるのではないか、そう思い至ったがそこからが難しい。果たして、人の夢を覗く、なんてことが出来るのか。こんな現実を見て些かむなしくもあるが、俺はリアリストでね。現代科学では解決しようのない難問に思わず諦めてしまうところだったよ。どうやって人の夢に干渉するか、その夢とはなんらかの暗示や洗脳、催眠術による人為的なものなのか、それとも不可解な力が働きかけているのか。いずれにしてもどうすればこの事態を、彼女が好きだった尾形さんの死を止められるか」

高橋はミシモに近づく。

「止めようというのか貴様、アラクネ様の脱皮を!」

「言ったろう?俺は武者君の夢を覗き見ていたと。止められる、この事態がそんなものではないことを一番知っているのはお前の筈だ」

背中越しにそう言われた扁平頭は口をぐむむと震わせた。

「人為的犯行の線はすぐに消えた。彼女達の周りにそんな悪意を持つ奴はどう見たって、どう考えたっていなかった。全くの第三者による犯行も考えたが、俺以外ストーカーもいなかったしね」

そう言うと高橋は二枚目半の自嘲気味な笑顔を作った。

「となると、彼女の好きだったシャーロック・ホームズの言葉を借りるならば、“全ての不可能を消去して最後に残ったものは、如何に奇妙なものであろうと、それが真実だ”。残ったものとはつまり、非科学的パワー。それしかない。ま、結局何もわからなかったと同義であると言ってもいいがね。何もわからないならば、何もわからないことが残された真実だ」

高橋は何かを探すようじっくりとミシモをねめ回す。

「夢とは何か。突き詰まるところ、それが問題だった。科学的常識を捨てて考えなければいけない。図らずもお前達がヒントをくれたよ。お前達は夢をコントロールしているらしかったからさ。逆算だな。ふふん。夢とは、夢の正体とは世界だったんだ。俺達が見ている、個別に見ていると思っていた夢とは人類、いや、脳を持つ動物が共有している世界だったんだ。インターネットのチャットルームやネットゲームのそれに近い。端末とサーバーだな。そいつの環境や思考、記憶、精神状態、日々の出来事、それらがサーバー分けの選択肢になっている。俺達はそうして日々、毎夜、夢という世界にアクセスしているわけだ。フロイト先生もびっくりだ。いや、本質的には同じことか。分類、だからな。お前達はそこをいじれるんだろ。言うなれば自分達のサーバーへ強制的にアクセスさせるわけだ。通常は行くことの出来ない秘密の場所へ」