アラクネ(30)~再投稿~ | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

アラクネ(30)~再投稿~

佐藤ヒロフミの怪死から始まった死の数珠つなぎ。菱山カナコ、土師マユミ、己タケハル、鈴木ホノカ、野崎アヤ、武者カズタカ、そして…。

尾形ミシモだって泣いたり、悲観したりする。しかし、二十四時間監視されているこの環境では、泣けない。自分が泣けば齢五十を過ぎても週に二回のペースでラブを育む可愛げのある気持ち悪い両親がどうなるかは、火を見るより明らかであった。少し歳の離れた兄もちょくちょく帰ってきては、妹の身を案じている。

娘の身を守る為とはいえ、尾形ミシモはひきこもりでもないのに、実家で座敷童のように鳴かず飛ばずの日々を過ごしていた。その月日、武者カズタカが死んでから実に五ヶ月。ミシモは今夏の暑さを知らない。

ミシモの家ははっきり言って金持ちである。はっきり言わないと小金持ちの家で、パパは会社を経営している。家事手伝うには過ぎた環境である。

今日も今日とて暇つぶし。筋力トレーニングに、ヨガに、料理に、テレビゲームに、からかう愛犬に、ミシモは暇を感じる。もともとミシモは休みの日に動き回るタイプである。この仮ひきこもり生活により、スマートに磨き上げられる体躯と相反し、ストレスは下腹の脂肪のようにこびりついて、何をしてもなかなかとれない。しかし、家族の愛情を想えば、無理は言えない。

買い物をしようと、まだミシモには幾ばくかの自分で稼いだ金が残っている、パソコンに向かう。服を見ても自分と親が悲しくなるので、なるだけ家庭内用品を見る。

え!?ホームベーカリーって粉と水入れるだけでパン出来上がるの!?知らなかった、すごくない?なにそれありなの?これは…うまいこと言いくるめて親持ちね。うわ、ぶら下がり健康器って思ったより値段するのね。無性に懸垂してみたくなったのに。今なら百回ぐらいできそうな気がするのに。これも、親持ちね。メタボオヤジには懸垂よ懸垂、そうね。げ、これこっちで買った方が安いじゃん。あ、このティーカップいいなぁ。だささ加減と非実用性がとてもいい…って高っ。無駄に高いよ。ださいのになにゆえ?狙われてる?私ピンポイントで狙われてる?ピンポイントで購買意欲刺激されてる?おっと、あのゲームの続きあるんだ。へえー。

ミシモは結構この日々を楽しんでもいる。楽しむ気持ちと心に生じる空虚感はまた別の話なのだ。

夜が来て、父親が帰ってきた。日常。母親にさりげなくホームベーカリーの利点を説いていたミシモは、早速ぶら下がり健康器の有用性を説こうと頭を回転させる。どこから切り出すか、まずはパパのメタボを引き合いに出し、自身がベランダで物干し竿にでもぶら下がっているところを目撃させようか。

「ただいま、ほい、これ」

パパは手に持った包みを誇らしげにぽんとミシモに渡した。

「お、ケーキじゃん。どうした?今よりも太る気か?」

親の心子知らず。ミシモはぶら下がり健康器ゲットへの第一歩、メタボ認知作戦を開始した。

「おいおい、俺の記憶が確かならば、ミシモちゃん誕生日でしょ?」

「ちゃんづけするなと何度言えば、あれ?今日だっけ?私の記憶が正しければ明日が誕生日なはず」

誕生日、そうだ。明日は誕生日だった。誕生日にはプレゼントがつきものではないか。これを利用しない手はないではないか。

ミシモは誕生日を忘れていたわけではない。しかし、誕生日と親からのプレゼントが結びつくには至らなかった。二十四になる娘として当たり前のことだが、久しくケーキ以外の「物」をもらっていないからだ。

「明日から出張でいないからさ。そんなパパからのせめてものお祝い、いらないか?」

ほころんだニコニコ笑顔でパパは言った。

「いや、私が悪うございました。ありがたく受けとります。ありがとうございます」

「棒読みか!まあいいや。おめでとうね。それにしてもパパそんなにメタボ?ミキちゃんには歳の割にシャープだと」

「ママ、この人ミキちゃんって人と浮気してるよ」

「早いよ。早合点にもほどがあるだろ。ママも、あらまぁ、じゃないよ!ミキちゃんとなにかあるはずないだろ。ミキちゃんってあのミキちゃんだぞ。パパの従兄弟のミキスケちゃんだぞ」

「ああ、便利なものね。そういう名前の男友達がいると」

「なるほど、その手ね。知人と同じ名前の女の子と、って違うよ!ママ鍋から煙出てるよ!ミシモちゃんそりゃないよ。ミキちゃんからお祝いのおこづかい預かっているのに」

「本当に?よっしゃ」

「現金な奴だな」

「ああ、ミキちゃんには、本当にありがとうございます、と伝えておきます」

「パパ抜き!?ミシモちゃんミキちゃんのアドレス知ってるの!?最近会ってないはずだけど」

「ま、ハトコ繋がりで男のミキちゃんのは知ってるけど」

「女のミキちゃんなどいない!大体不倫相手が娘に現金を包むか?」

「ふふん、そうやってママの立場をえぐって悦に浸ってるにきまってる」

「怖いよ!ママもなに七味を一心不乱にふりかけてるの!怖いよ!からいよ!」

「まあしかし、この歳になって親に祝ってもらうってのは」

ミシモは作戦の要へと踏み出した。

「ははは。親からみればいくつになっても」

「うん、みなまで言うなみなまで。だけど誕生日ってのは子供が親に感謝する日とも言うわね」

「いやあ、その気持ちだけで充分だよ。まだまだミシモちゃんは」

「いやいや、そうおっしゃらずに」

「いいよぉ別に。ねえママ?ママ!?そんな包丁うちにあった!?でかいよ!刺さるよ!」

「なるほど、確かにまだ親孝行するには早いかな」

「えっ、実のところプレゼントもらったらだいぶ嬉しいんだけど」

「そうね。それもそう」

「う、うむ」

「じゃあこういうのはどうかしら?無駄に太ってるその体を」

「そんなに太ってるか?パパこうみえて昔はサッカー部で、それはそれは見事な、ミケランジェロの彫刻かリーかパパか、って体をしていたもんだよ」

「麒麟も老いては駄馬に劣ると云う。思い出を糧にするしかない男の人ってあわれ」

「うっ」

「鏡は嘘をつかないのよ。それが教訓」

「確かに割れていた腹筋も今では三段腹だが、歳相応というやつでは」

「相応ねえ。ふうん。じゃあこういうのはどうかしら?腹筋が再び現れた時、娘から褒美を授けよう」

「腹筋が、か。…腹筋が………。ジムの会員ってまだいきてたっけなぁ」

「ふふん、ヒントを与えよう。腹筋を割るには懸垂がよいと誰かが言っていた気がする」

多少、無茶なきっかけであるが、作戦は要に近付いた。

「懸垂か?昔は出来たけどなぁ」

「四六時中すればいいわ。四六時中すればいいのよ。ぶら下がり健康器でも買って」

「ぶら下がり健康器って昔流行ったなぁ。どこも洗濯物吊しになってたっけ」

「確か、最近のあれは腹筋台も付いているらしい」

「へー。まだ売れてんだね、進化してるってことは。あ、ひょっとしてミシモちゃん欲しいの?ぶら下がり健康器。もしかして誕生日プレゼントとか?」

「どこの娘が誕生日プレゼントにぶら下がり健康器なぞ欲しがるものですか」

「それはそうだな。いないいない。そんなこと言われたら親として娘の将来心配しちゃうわな。親の顔が見てみたいよ」

ここにその親と娘がいるぞ、このクソオヤジ。しかし、努めて冷静にミシモは作戦を遂行する。

「だけど、そうね。ぶら下がり健康器を誕生日プレゼントにねだろうかしら。これって親孝行と誕生日プレゼントの中間をいく素晴らしいアイデアだわ」

「なるほど、確かに」

「そして、欲しがりません勝つまでは、の精神であなたは体を動かせばいいのよ」

「その先に勝利があるんだな。そうか。うむ。そうかそうか。うむ」

パパはあごに手をあててなにやら頷いている。手応えあり。

パパは着替えに寝室へ行った。いつもより遅く戻ってきて、和やかな夕食が始まった。きっと姿見で、ぐだぐだなポージングをしていたに違いないとミシモは直感した。

週二回のペースで愛を育む、と記したが、ここ最近尾形夫妻はごぶさたである。ミシモが母と、いや、母がミシモと一緒に寝るからだ。これでは自分を慰めることも出来やしない。