アラクネ(29)~再投稿~
突如としてひきつり笑いのドールの顔が歪み、ハンマーヘッド・シャークのように扁平になった。姿形もぼろを纏った醜い男の姿に変わっている。
「さまよえよえよえよえよえよえよえよう。さまよえよ武者カズタカ。喜びは悲しみを引き立たせる香ばしい煙に過ぎないさ。悲しみは喜びを上回るパレードなのさ。人生は大理石と泥から出来上がっている。だろう?この世で最も美しいものは最も無用のものである。たとえば、孔雀と野の百合をみよ。だろう?人生の喜びとはなんぞや、人生の喜びとはすなわち、無用の悲しみなのさ。さまよえようさまよえよう武者カズタカぁ彷徨ぅ」
「なんなんだよ!これは夢だろ!?」
ひしひしと、恐怖に打ちひしがれてゆくカズタカ。
「そう、これは夢さ。泣き笑いのまほろばさ。現実であって現実でない曖昧な夢さ。究極の癒やし。それが夢さ」
言葉が妙に胸に響きやがる。俺の意識を奪われてたまるか。そうは思えど、抗えない。
「武者カズタカ。お前は脚になる。アラクネ様の脚になる。それはさまよえる喜びさ」
「お前は、誰なんだ」
力無く呟くカズタカ。
「俺が誰か。俺は俺であって俺じゃない。俺はただの脚さ。生きてなんかいやしない。昔は生きていたがね。七人の女を殺したのさ。とても鋭利な刃物で切り裂いたのさ。ああ、ぷつりぷつりと石榴の実のようにあり。鮮明なる赤を纏う肉。ぷつりぷつりと石榴の実のよう。ああ」
感嘆を込めて、扁平男は喘ぐ。そして、
「しかし、今はただの情報でしかないがね。アラクネ様の脚さ」
と、一変して憎々しいほどすらりと言った。
それから男は佐藤ヒロフミ、菱山カナコ、土師マユミ、己タケハル、鈴木ホノカ、野崎アヤの死について朗々と語った。
「お前もだ。お前もだ武者カズタカ。アラクネ様の愛は惜しみなくお前に与えられるだろう。そして、惜しみなくお前から命を奪うだろう。お前ならばわかる。お前こそは言っていることとやっていることが違う男だからだ」
「そんなことを信じろと言うのか」
カズタカは力無き頭で必死に何かを見つけようとしている。
「懐疑は方法である、か。悩ましき人間よ。さまよえる人間よ。だがしかし、これこそは右往左往することなき本道さ。与えられる喜びを、喜びに満ちた悲しみを、ただ知ればよい」
男はくるりくるりと片足を軸にして二回転すると、
「これを見よ」
と言った。そして男はすっと黒い空間の中に吸い込まれて消えた。取り残されたカズタカは呆然として、ぼつぼつと逆立つすね毛を見ていた。
「お前も噛むか?」
急にそう話しかけられ、そのすね毛視線を上げざるをえなかった。そこにはやたらめったらにがたいのよい迷彩ズボンを履いた上半身裸の大胆な顔立ちをしている白人男性がいた。首にはいくつかのドッグタグ。何かをくちゃくちゃと噛んでいる。
「ほらよ」
男は手に持っていたバターのような塊から、ひとくち分、ちぎって投げた。それはカズタカの開けっ放しの口に見事入った。
「ハハハ、大丈夫。たとえ火にくべたって爆発しない代物さ。甘くてうまいぜ。男のガムさ。くちゃくちゃ」
男がそう言って口の中のものを噛むと、ボオンと爆発が起こり、首から上が吹き飛んだ。首からぴゅうぴゅうと血を吹く男の手がパントマイムで壁を表現しているようにすりすりと動きながら扁平男のように消えた。カズタカはあわててプラスチック爆弾のかけらを口から吐き出した。
「自由でいたいのさ僕は。なにものにも縛られていたくない。唯一僕を縛るものは、そうだな、時間だけだろうか」
消えた軍人のあとに現れたものは亀甲縛りで宙に吊された男であった。
「ふふん?何か言いたげだな」
当たり前だろ。麻痺をきたした思考ながらも反射的にカズタカはそう思った。
「しかし、これが自由。これこそ自由。ああ自由。自由の名の下、一体どれほどの犯罪が生まれたことか。一体どれほどの悲劇が生まれたろうか。しかし、悲しい気持ちは輝く喜びだ。うう」
吊された男はそう言うと射精し、消えた。
「ああ、人はなぜ死ぬのかしら」
次に現れたものは地味な着物姿の若い女だった。
「人はなぜ死ぬのかしら。あなたわかる?人と人とはなぜ出逢うのかしら。あなたわかる?二人の生命の重なり合った部分になぜ愛は生まれいずるのかしら。あなたわかる?でも、素敵。素敵ね。それって素敵なことなの。あなたわかる?初めは処女の如し、終わりは脱兎の如し。あなたわかる?ズキューン」
女は手に持ったピストルで頭を撃って死んだ。ピクピクと痙攣する女のはだけた着物から陰毛がちらりと見えた。その陰毛は薄くてらついていた。
「僕は女さ」
次に現れたものはバニーガールだった。ちゃんとうさぎの耳をつけている。しかし、がたいは男のそれであり、ハイレグから漏れた金玉が網タイツでむぎゅとなっており、とてもかわいそうな状態になっていた。
「僕は女なのさ。だけど、女に生まれたからといって男を愛すとは限らないように、僕は女を愛す。男の体を持ち、女の心を持ち、女を愛する。これ以上の幸せがあるだろうか。これ以上の喜びがあるだろうか。これ以上の悲しみがあるだろうか」
そう言うと、「彼女」の陰茎がにょろにょろと動き、布を突き破った。
「弱き者よ、汝の名は女だ」
そう言うと彼女は陰茎をナイフで切り取り、血しぶきをあげながら消えた。
カズタカは肩に重みを感じ、後ろを振り返った。
「な?」
扁平頭の男がそこにいて、笑みを浮かべカズタカに何かへの同意を求めていた。
なにが、な?、だ。
そう反射的に思ったものの、カズタカの口から出た言葉は、
「はあ」
だった。同意に応じる言葉だった。曖昧に応じてしまった。
扁平男はにやりとほくそ笑むと、
「そうさ。お前は認めよ。抱かれよ。ただ愛のまにまに。これは盲亀の浮木と心得よ。事実を知らず、責任をとることなしに批判を言う者よ」
「…たとえば俺は」
そう付け加えることがカズタカの最後の抵抗であった。
「俺は何を認めるというんだ?」
「ああ、どこまでもどこまでもさまよえる傀儡よ」
どこまでも。その響きも今のカズタカにはむなしい。
「お前は認めよ。ただ認めよ。何を。心の底から生きていたいということを」
「そんなの」
「ありさ。卑怯だとでも言うのかい?生と死に取り憑かれたさまようお前が悪いのさ。生きたいと思う気持ち、それは死中にこそ、より輝く喜びをもたらす」
認めれば死、そして認めなくても、生きたい心を否定すれば待っているものは、死。
「認めよぉ。与えられる喜びを知れぇ」
武者カズタカは力無くこくんと頷いた。
「ほう、お前はそれを望むか。さもありなん。確かにそれは与えられることであろう。では安心しておやすみよ。忘れられることも喜びのうちさ。ふふふ」
武者カズタカのつけていた日記は本人の死後、出版された。その猟奇的な死に様と相まって、サブカルと呼ばれる人々に愛され、細く長く売れ続けたのであった。
続
「さまよえよえよえよえよえよえよえよう。さまよえよ武者カズタカ。喜びは悲しみを引き立たせる香ばしい煙に過ぎないさ。悲しみは喜びを上回るパレードなのさ。人生は大理石と泥から出来上がっている。だろう?この世で最も美しいものは最も無用のものである。たとえば、孔雀と野の百合をみよ。だろう?人生の喜びとはなんぞや、人生の喜びとはすなわち、無用の悲しみなのさ。さまよえようさまよえよう武者カズタカぁ彷徨ぅ」
「なんなんだよ!これは夢だろ!?」
ひしひしと、恐怖に打ちひしがれてゆくカズタカ。
「そう、これは夢さ。泣き笑いのまほろばさ。現実であって現実でない曖昧な夢さ。究極の癒やし。それが夢さ」
言葉が妙に胸に響きやがる。俺の意識を奪われてたまるか。そうは思えど、抗えない。
「武者カズタカ。お前は脚になる。アラクネ様の脚になる。それはさまよえる喜びさ」
「お前は、誰なんだ」
力無く呟くカズタカ。
「俺が誰か。俺は俺であって俺じゃない。俺はただの脚さ。生きてなんかいやしない。昔は生きていたがね。七人の女を殺したのさ。とても鋭利な刃物で切り裂いたのさ。ああ、ぷつりぷつりと石榴の実のようにあり。鮮明なる赤を纏う肉。ぷつりぷつりと石榴の実のよう。ああ」
感嘆を込めて、扁平男は喘ぐ。そして、
「しかし、今はただの情報でしかないがね。アラクネ様の脚さ」
と、一変して憎々しいほどすらりと言った。
それから男は佐藤ヒロフミ、菱山カナコ、土師マユミ、己タケハル、鈴木ホノカ、野崎アヤの死について朗々と語った。
「お前もだ。お前もだ武者カズタカ。アラクネ様の愛は惜しみなくお前に与えられるだろう。そして、惜しみなくお前から命を奪うだろう。お前ならばわかる。お前こそは言っていることとやっていることが違う男だからだ」
「そんなことを信じろと言うのか」
カズタカは力無き頭で必死に何かを見つけようとしている。
「懐疑は方法である、か。悩ましき人間よ。さまよえる人間よ。だがしかし、これこそは右往左往することなき本道さ。与えられる喜びを、喜びに満ちた悲しみを、ただ知ればよい」
男はくるりくるりと片足を軸にして二回転すると、
「これを見よ」
と言った。そして男はすっと黒い空間の中に吸い込まれて消えた。取り残されたカズタカは呆然として、ぼつぼつと逆立つすね毛を見ていた。
「お前も噛むか?」
急にそう話しかけられ、そのすね毛視線を上げざるをえなかった。そこにはやたらめったらにがたいのよい迷彩ズボンを履いた上半身裸の大胆な顔立ちをしている白人男性がいた。首にはいくつかのドッグタグ。何かをくちゃくちゃと噛んでいる。
「ほらよ」
男は手に持っていたバターのような塊から、ひとくち分、ちぎって投げた。それはカズタカの開けっ放しの口に見事入った。
「ハハハ、大丈夫。たとえ火にくべたって爆発しない代物さ。甘くてうまいぜ。男のガムさ。くちゃくちゃ」
男がそう言って口の中のものを噛むと、ボオンと爆発が起こり、首から上が吹き飛んだ。首からぴゅうぴゅうと血を吹く男の手がパントマイムで壁を表現しているようにすりすりと動きながら扁平男のように消えた。カズタカはあわててプラスチック爆弾のかけらを口から吐き出した。
「自由でいたいのさ僕は。なにものにも縛られていたくない。唯一僕を縛るものは、そうだな、時間だけだろうか」
消えた軍人のあとに現れたものは亀甲縛りで宙に吊された男であった。
「ふふん?何か言いたげだな」
当たり前だろ。麻痺をきたした思考ながらも反射的にカズタカはそう思った。
「しかし、これが自由。これこそ自由。ああ自由。自由の名の下、一体どれほどの犯罪が生まれたことか。一体どれほどの悲劇が生まれたろうか。しかし、悲しい気持ちは輝く喜びだ。うう」
吊された男はそう言うと射精し、消えた。
「ああ、人はなぜ死ぬのかしら」
次に現れたものは地味な着物姿の若い女だった。
「人はなぜ死ぬのかしら。あなたわかる?人と人とはなぜ出逢うのかしら。あなたわかる?二人の生命の重なり合った部分になぜ愛は生まれいずるのかしら。あなたわかる?でも、素敵。素敵ね。それって素敵なことなの。あなたわかる?初めは処女の如し、終わりは脱兎の如し。あなたわかる?ズキューン」
女は手に持ったピストルで頭を撃って死んだ。ピクピクと痙攣する女のはだけた着物から陰毛がちらりと見えた。その陰毛は薄くてらついていた。
「僕は女さ」
次に現れたものはバニーガールだった。ちゃんとうさぎの耳をつけている。しかし、がたいは男のそれであり、ハイレグから漏れた金玉が網タイツでむぎゅとなっており、とてもかわいそうな状態になっていた。
「僕は女なのさ。だけど、女に生まれたからといって男を愛すとは限らないように、僕は女を愛す。男の体を持ち、女の心を持ち、女を愛する。これ以上の幸せがあるだろうか。これ以上の喜びがあるだろうか。これ以上の悲しみがあるだろうか」
そう言うと、「彼女」の陰茎がにょろにょろと動き、布を突き破った。
「弱き者よ、汝の名は女だ」
そう言うと彼女は陰茎をナイフで切り取り、血しぶきをあげながら消えた。
カズタカは肩に重みを感じ、後ろを振り返った。
「な?」
扁平頭の男がそこにいて、笑みを浮かべカズタカに何かへの同意を求めていた。
なにが、な?、だ。
そう反射的に思ったものの、カズタカの口から出た言葉は、
「はあ」
だった。同意に応じる言葉だった。曖昧に応じてしまった。
扁平男はにやりとほくそ笑むと、
「そうさ。お前は認めよ。抱かれよ。ただ愛のまにまに。これは盲亀の浮木と心得よ。事実を知らず、責任をとることなしに批判を言う者よ」
「…たとえば俺は」
そう付け加えることがカズタカの最後の抵抗であった。
「俺は何を認めるというんだ?」
「ああ、どこまでもどこまでもさまよえる傀儡よ」
どこまでも。その響きも今のカズタカにはむなしい。
「お前は認めよ。ただ認めよ。何を。心の底から生きていたいということを」
「そんなの」
「ありさ。卑怯だとでも言うのかい?生と死に取り憑かれたさまようお前が悪いのさ。生きたいと思う気持ち、それは死中にこそ、より輝く喜びをもたらす」
認めれば死、そして認めなくても、生きたい心を否定すれば待っているものは、死。
「認めよぉ。与えられる喜びを知れぇ」
武者カズタカは力無くこくんと頷いた。
「ほう、お前はそれを望むか。さもありなん。確かにそれは与えられることであろう。では安心しておやすみよ。忘れられることも喜びのうちさ。ふふふ」
武者カズタカのつけていた日記は本人の死後、出版された。その猟奇的な死に様と相まって、サブカルと呼ばれる人々に愛され、細く長く売れ続けたのであった。
続