アラクネ(28)~再投稿~
あのミキちゃんをレンタルさせれば些かの儲けが、この前アシスタントに行ったあの人なら一万、いや、七千、いや一回四千円で、いける。
そう考えながら上を向いて歩くニコニコの男、たかられからの帰り道。
早速メールを打つ、「三ヶ月無使用ドール(殺菌済み)一回三千円でどうですか!?プラス五千円でオプション可」
俺は何をやってんだ。
不意に微笑み交じりのむなしさが去来し、男は打ち立てのメールを送信前にすぐ消去した。
やることがある。今日も、明日にも、やることがある。明後日にもやることがある。何だ、俺は生きているじゃないか。死にたい死にたいと妖怪人間みたく叫んでばかりで、本当は心の底から生きていたいだけじゃないか。妖怪人間も本当は妖怪であることを誇りたいんだ。毎日楽しいじゃないか。日々はこんなに輝いているじゃないか。死が迫っている?何を馬鹿な。知るかそんなもん。あいつらにゃ悪いが魔が差しただけだろ。人間魔が差せば大抵のことはするからな。どこまでも俺は俺だ。どこまでもどこまでも俺は俺でいいんだ。宇宙へ出ると人間は骨密度が低くなると云う。それをどう受け止めるかの問題だ。体は怠けるように出来ていると受け止めるか、体は地球に生きているそれだけで頑張っているのだと受け止めるかの問題だ。それだけで奇跡。それだけでいいんだ。宇宙の誕生から百四十億年。積み上げられた奇跡。宇宙の歴史を遡ってもたった一人しかいない唯一の俺が今ここに生きている。現在進行形だぞこの野郎。現在進行形なんだぞばか野郎。止められるものか現在進行形なんだぞ。現在進行形なんだぞ。ingだぞばか野郎!あ、ingってin、gで重力の中
にいるってことじゃないか?じゃあ宇宙飛行士はどうなるんだ?って知るかばか野郎。生きてやるんだ俺は。生きているだけで幸せじゃないか。止められるものか。この生命、止められるもんかよ。宇宙の歴史に、幾重も積み重ねられた情報に、反逆なんて出来るものか。たとえ、この世界の創造主でも、神でも。知ってるか?困ったから強制リセットするなんてガキの所業だぜ。わはははは。
夕暮れ迫る街角、バスに揺られる人々。いつもは無機質に見えるその顔々が男には、どこを見るではないその表情に何か意味があるのではないかと思えた。
あの人達が死んだら、あの人達が生きていた情報はどこへ行くのだろう。彼らの煙は空からこぼれ落ちて、誰かに受け継がれるのかな?
カズタカは自宅の扉を開けた。部屋は真っ黄色だった。やけに黄色い夕陽が部屋を照らしていたからだった。
カーテンは閉めていたはずなのに。
そうは思ったものの、「残念、金になるものはあるだけ売ったよ」と、すぐに机へ向かった。黄色く輝くミキちゃんがカズタカの後頭部を見つめている。
観音開きの作画の続きをしようとGペンを握る。
「うわ」
驚いたカズタカ。
M字のアップ。開かれた脚、真ん中にぐじゅぐじゅ。後ろにたわわな胸、原稿に映るその姿が牙を剥き出しにした大蜘蛛の姿に見えた。
カズタカはふぅっと息を吐くと、描きかけの、普通の、原稿用紙をぐしゃぐしゃに握りつぶし、後ろに放り投げた。原稿玉はミキちゃんの顔に当たり、ぽとりと床に落ちた。夕陽の日溜まりに捨てられた原稿からもやっと煙が上がり、ミキちゃんの股へと吸い込まれて行ったことをカズタカは知らない。
「そういや寝てないからな」
その現象の理由をみつけ、そう呟いたカズタカの脳裏に、
「最近寂しいわ」
浮かび上がる言葉。
サッカーで裏をとられたディフェンダーのように後ろを振り返るカズタカ。ミキちゃんはいつも通り生きている人間そっくりの表情で佇んでいて、カズタカはいつも通りどきっとした。ベッドの下に誰かいるかもしれない、恐怖からふとそうも思ったが、部屋にベッドは無い。
「ま、俺にはやることがある。疲れは別問題だ」
自身の独り言に、別人物の言葉がオーバーラップする。
「憑かれているよの」
カズタカは脳みそを振り払うかのように頭を回し、「別問題ってわけにはいかないか」と呟いた。
電気を点けっぱなしにして万年床に横たわる。徹夜明けの体は、普段ならなかなか寝付けないのだが、疲れた体にやる気をはらんだ時、意思と裏腹に眠気は静かにやってくる。最近使われることの無いミキちゃんの股に、ジグモの巣が張っていることに気付く暇無く。
「認めよ、さすれば与えん」
脳みそにストローをぶっさし、それを通して語りかけられたかのような声が聴こえ、かぷりと瞼を開けたカズタカ。気がつくと華奢な四つ脚の椅子に座っていた。
「随分久しぶりね」
目の前に現れた女が言った。しかし、声はハゲタカを擬人化したようなえもいわれぬしわがれ声であった。
「あ、ミキちゃん」
女はミキちゃんだった。
「ご無沙汰じゃない?私のぬくもりに飽きたの?」
「ああ、いや、そういうわけではないのだが、その、なんて言うか」
人形相手でもしどろもどろに応じる男の悲しさ。
「あんなに愛してくれたじゃない」
人形は愛くるしい仕草で不気味にふふふと笑った。
「ああ、ま、なんつうか。ていうかミキちゃんそんな声なの?俺の中のイメージでは」
「赤ずきんに毛が生えた、だろう。ふふふ」
心の声を聴かれたと思い、カズタカは一瞬ぎょっと驚いたが、すぐさま、
「さすが、長い間一緒に生活してると分かり合えるもんだねぇ」
と、苦笑いを浮かべた。
「お前の中のイメージにあるその理想の声は、母親の若き日の声だとしてもかい?」
「うわぁ、やめてくれ。君の口からそういうこと言わないでくれる?だけどそうなの?本当に?」
「感じるのよ。武者カズタカ君。帰るのよ。胎の中に。暗く寄せられた世界の中に」
「はぁ、ま、俺が君のレンタルを思いついてしまったことに怒っているなら、それで夢枕に立っているなら謝るしかないけど。ごめんなさい。あれ?夢枕ってこれ夢か?」
ぽかんと間抜けた表情で、カズタカはきょろきょろと辺りを見回した。暗い、しかし黒く輝く部屋だった。
「夢の中ではいけない?してはいけない?あなたのお仕事じゃない」
「なるほど、夢魔、か。それだと俺、からっからになるまで精力吸いつくされて死んじゃうだろ。そのこと知らなかったからひとつ夢の中でしか出来ないようなこともしてるだろうけど、またそのからからになってもやめられない悦楽を味わってみたくもあるけども、人形が肉体を伴い主人に尽くすなんてまさしく俺の仕事だけれども、申し訳ない。却下で。君とはまた現実で逢おうぜ。それじゃ駄目かい?」
「どうせあなたはすぐに死ぬのだからいいじゃない。最後ぐらい」
そう言われ、ぞっとしたカズタカのすね毛が逆立つ。
「死ぬだと?俺が?」
「そうよ。すぐに死ぬわ。悲しい?キャハハ」
ミキちゃんは手を叩いて笑うと、
「仕方ないの。決まっているの」
と、言った。
「決まっている、だ?俺もあいつらみたく腹を裂いて死ぬっていうのか?」
「そう。アラクネ様のお墨付き」
「アラクネ様?」
「蜘蛛の女王アラクネ様お墨付き。お墨付き。お墨付き。お墨付きだぞこの野郎!キャハハ」
けたけたとから笑うミキちゃんにカズタカは初めて恐怖を抱いた。
「お墨付きだと?決まっているだと?そんなことお前だかお前らだかが決めるなよ!俺の問題だ!俺が決めんだよんなこたぁ!」
精一杯の強がりも、リアルな表情の中にツクリモノの冷たい表情を浮かべ笑うミキちゃんの、どしゃぐしゃの声にかき消されていった。
続
そう考えながら上を向いて歩くニコニコの男、たかられからの帰り道。
早速メールを打つ、「三ヶ月無使用ドール(殺菌済み)一回三千円でどうですか!?プラス五千円でオプション可」
俺は何をやってんだ。
不意に微笑み交じりのむなしさが去来し、男は打ち立てのメールを送信前にすぐ消去した。
やることがある。今日も、明日にも、やることがある。明後日にもやることがある。何だ、俺は生きているじゃないか。死にたい死にたいと妖怪人間みたく叫んでばかりで、本当は心の底から生きていたいだけじゃないか。妖怪人間も本当は妖怪であることを誇りたいんだ。毎日楽しいじゃないか。日々はこんなに輝いているじゃないか。死が迫っている?何を馬鹿な。知るかそんなもん。あいつらにゃ悪いが魔が差しただけだろ。人間魔が差せば大抵のことはするからな。どこまでも俺は俺だ。どこまでもどこまでも俺は俺でいいんだ。宇宙へ出ると人間は骨密度が低くなると云う。それをどう受け止めるかの問題だ。体は怠けるように出来ていると受け止めるか、体は地球に生きているそれだけで頑張っているのだと受け止めるかの問題だ。それだけで奇跡。それだけでいいんだ。宇宙の誕生から百四十億年。積み上げられた奇跡。宇宙の歴史を遡ってもたった一人しかいない唯一の俺が今ここに生きている。現在進行形だぞこの野郎。現在進行形なんだぞばか野郎。止められるものか現在進行形なんだぞ。現在進行形なんだぞ。ingだぞばか野郎!あ、ingってin、gで重力の中
にいるってことじゃないか?じゃあ宇宙飛行士はどうなるんだ?って知るかばか野郎。生きてやるんだ俺は。生きているだけで幸せじゃないか。止められるものか。この生命、止められるもんかよ。宇宙の歴史に、幾重も積み重ねられた情報に、反逆なんて出来るものか。たとえ、この世界の創造主でも、神でも。知ってるか?困ったから強制リセットするなんてガキの所業だぜ。わはははは。
夕暮れ迫る街角、バスに揺られる人々。いつもは無機質に見えるその顔々が男には、どこを見るではないその表情に何か意味があるのではないかと思えた。
あの人達が死んだら、あの人達が生きていた情報はどこへ行くのだろう。彼らの煙は空からこぼれ落ちて、誰かに受け継がれるのかな?
カズタカは自宅の扉を開けた。部屋は真っ黄色だった。やけに黄色い夕陽が部屋を照らしていたからだった。
カーテンは閉めていたはずなのに。
そうは思ったものの、「残念、金になるものはあるだけ売ったよ」と、すぐに机へ向かった。黄色く輝くミキちゃんがカズタカの後頭部を見つめている。
観音開きの作画の続きをしようとGペンを握る。
「うわ」
驚いたカズタカ。
M字のアップ。開かれた脚、真ん中にぐじゅぐじゅ。後ろにたわわな胸、原稿に映るその姿が牙を剥き出しにした大蜘蛛の姿に見えた。
カズタカはふぅっと息を吐くと、描きかけの、普通の、原稿用紙をぐしゃぐしゃに握りつぶし、後ろに放り投げた。原稿玉はミキちゃんの顔に当たり、ぽとりと床に落ちた。夕陽の日溜まりに捨てられた原稿からもやっと煙が上がり、ミキちゃんの股へと吸い込まれて行ったことをカズタカは知らない。
「そういや寝てないからな」
その現象の理由をみつけ、そう呟いたカズタカの脳裏に、
「最近寂しいわ」
浮かび上がる言葉。
サッカーで裏をとられたディフェンダーのように後ろを振り返るカズタカ。ミキちゃんはいつも通り生きている人間そっくりの表情で佇んでいて、カズタカはいつも通りどきっとした。ベッドの下に誰かいるかもしれない、恐怖からふとそうも思ったが、部屋にベッドは無い。
「ま、俺にはやることがある。疲れは別問題だ」
自身の独り言に、別人物の言葉がオーバーラップする。
「憑かれているよの」
カズタカは脳みそを振り払うかのように頭を回し、「別問題ってわけにはいかないか」と呟いた。
電気を点けっぱなしにして万年床に横たわる。徹夜明けの体は、普段ならなかなか寝付けないのだが、疲れた体にやる気をはらんだ時、意思と裏腹に眠気は静かにやってくる。最近使われることの無いミキちゃんの股に、ジグモの巣が張っていることに気付く暇無く。
「認めよ、さすれば与えん」
脳みそにストローをぶっさし、それを通して語りかけられたかのような声が聴こえ、かぷりと瞼を開けたカズタカ。気がつくと華奢な四つ脚の椅子に座っていた。
「随分久しぶりね」
目の前に現れた女が言った。しかし、声はハゲタカを擬人化したようなえもいわれぬしわがれ声であった。
「あ、ミキちゃん」
女はミキちゃんだった。
「ご無沙汰じゃない?私のぬくもりに飽きたの?」
「ああ、いや、そういうわけではないのだが、その、なんて言うか」
人形相手でもしどろもどろに応じる男の悲しさ。
「あんなに愛してくれたじゃない」
人形は愛くるしい仕草で不気味にふふふと笑った。
「ああ、ま、なんつうか。ていうかミキちゃんそんな声なの?俺の中のイメージでは」
「赤ずきんに毛が生えた、だろう。ふふふ」
心の声を聴かれたと思い、カズタカは一瞬ぎょっと驚いたが、すぐさま、
「さすが、長い間一緒に生活してると分かり合えるもんだねぇ」
と、苦笑いを浮かべた。
「お前の中のイメージにあるその理想の声は、母親の若き日の声だとしてもかい?」
「うわぁ、やめてくれ。君の口からそういうこと言わないでくれる?だけどそうなの?本当に?」
「感じるのよ。武者カズタカ君。帰るのよ。胎の中に。暗く寄せられた世界の中に」
「はぁ、ま、俺が君のレンタルを思いついてしまったことに怒っているなら、それで夢枕に立っているなら謝るしかないけど。ごめんなさい。あれ?夢枕ってこれ夢か?」
ぽかんと間抜けた表情で、カズタカはきょろきょろと辺りを見回した。暗い、しかし黒く輝く部屋だった。
「夢の中ではいけない?してはいけない?あなたのお仕事じゃない」
「なるほど、夢魔、か。それだと俺、からっからになるまで精力吸いつくされて死んじゃうだろ。そのこと知らなかったからひとつ夢の中でしか出来ないようなこともしてるだろうけど、またそのからからになってもやめられない悦楽を味わってみたくもあるけども、人形が肉体を伴い主人に尽くすなんてまさしく俺の仕事だけれども、申し訳ない。却下で。君とはまた現実で逢おうぜ。それじゃ駄目かい?」
「どうせあなたはすぐに死ぬのだからいいじゃない。最後ぐらい」
そう言われ、ぞっとしたカズタカのすね毛が逆立つ。
「死ぬだと?俺が?」
「そうよ。すぐに死ぬわ。悲しい?キャハハ」
ミキちゃんは手を叩いて笑うと、
「仕方ないの。決まっているの」
と、言った。
「決まっている、だ?俺もあいつらみたく腹を裂いて死ぬっていうのか?」
「そう。アラクネ様のお墨付き」
「アラクネ様?」
「蜘蛛の女王アラクネ様お墨付き。お墨付き。お墨付き。お墨付きだぞこの野郎!キャハハ」
けたけたとから笑うミキちゃんにカズタカは初めて恐怖を抱いた。
「お墨付きだと?決まっているだと?そんなことお前だかお前らだかが決めるなよ!俺の問題だ!俺が決めんだよんなこたぁ!」
精一杯の強がりも、リアルな表情の中にツクリモノの冷たい表情を浮かべ笑うミキちゃんの、どしゃぐしゃの声にかき消されていった。
続