アラクネ(27)~再投稿~ | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

アラクネ(27)~再投稿~

ここではなんだと店を出た残りものの二人。

「どこ行く?俺はろくな人生を過ごしてねえからこんな時に行くぴったりの場所なんて知らない。選択肢が俺んちしかねえ」

「死んでも嫌だ」

「そうだろうな」

「あそこに行くぞ」

「…ってどこだよ。歩くの早いなお前」

「君が社会のリズムから取り残されてるだけ」

「痛いです非常に痛いです心が」

「落ち着け。心を痛めて死んだ奴はたくさんいる」

「いるから駄目なんだろ!」

「ところでいくら金持ってるの?ちょっとジャンプしてみ」

「かつあげかよ。いやそこはすっかり慣れちまってるが、この歳になって小銭を対象としたかつあげされるのかよ」

「いいからジャンプして何か風船的なものを捕まえてそのまま空へと上がって上がって上がって上がって行き…」

「行き、なんだよ。カラスにでも」

「つつかれずに?」

「え?カラスにつつかれずに?じゃあ、東京タワーのてっぺんに」

「刺さることもなく?」

「ヘリコプターのプロペラで」

「切り刻まれることもなく?」

「クレージーで評判の飛行機野郎が捨てた火のついた葉巻が」

「煙を出しながら隣を通過して?」

「月光に導かれて飛んで行く蛾の群れに」

「突っ込むこともなく?」

「ハイジャックされたジャンボジェットの」

「乗客に手を振り?」

「降り注ぐスペースデブリの矢を」

「きれいなもんだなと眺めて?」

「衛星軌道上に漂うライカ犬の魂がって俺どこまで空の旅を続けてんだよ!早く撃墜してくれ。風船おじさんか俺は」

「ああ、そうですね、あなた変態おじさんですものね」

「変態はいいとしておじさん踏襲しちゃったよ。せめてお兄さんにしてくれ。若いぜ、俺。ここだけの話なんと、お前と同い年だ」

「なるほど、合わせると風船変態おじさんおじさんですね」

「なんで合わせた!?おじさんおじさんってなんだよ。お兄さん抜けてるし」

「グリーン担当だものね」

「は!?色分けされるってことは風船変態おじさんおじさんって戦隊ヒーローなの!?おじさんの二人組にしか見えてこないけども」

「グリーンと赤色2号の二人」

「一人着色料で染められてるんですけど!体に悪いな!なんつうか自然に染めたげて!」

「あ」

「なんですか!?」

「ちょっと、ピザって10回言ってみ」

「………………ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ」

「…で?」

「で?ってなんだよ!知らねえよ!お前が言ってみろっつったんだろ!普通、じゃあここは?、って話に繋がるだろその流れだと!」

「じゃあここは?」

「どこ指してんだよ!よく見えねえけど下ネタか!?それ逆セクハラだぞ!」

「あなたは何を勘違いなさっているのか」

「あ、ここに来て引っかかったのか俺?」

「正解はパンツ」

「あ、ああ、ああ」

「じゃなくてまんこ」

「じゃなくてってなんだよ!せっかく俺引っかかってたのに!台無しだよ!」

「そんで、残金は?」

「あ、ああ、金な。残り二万とちょっとだな」

「お、なかなか持ってるじゃない」

「使い切ると公共料金どころか生活費も払えなくなるけどな」

「じゃあ、そういうことで」

「どういうことだよ!」

「いいじゃない別に使い切ったってさ。構わないよ私は」

「そりゃそうだろうな!」

「あんたもそのつもりなんじゃないの?どうせ自棄になって暴走したいんでしょ。すぐに死ぬからなんてさ」

彼女は今どんな顔をしているのだろう?カズタカは店を出てからずっとミシモの、自分と比べれば遥かに小さい背中を見ている。足早に歩くミシモはさっきからその顔を見せない。顔を見せたくないからわざと足早に歩いて前を行くのだろうか?そう思ってカズタカはひどくセンチメンタルな気持ちになった。

「…急に真面目か。いや、まあ、そんなとこも無きにしも非ず。いや、違う。今日は違うんだ俺は。違うんだ」

「なに?」

まさしく、自棄を起こしている。いや、自棄を起こしたい。カズタカは身も心も一度ボロボロになりたかった。精神に嵐を求めていた。わけのわからぬこの状況、精神状態を号泣の嵐で一度ぶっ壊して、その先に何かを見つけたかった。おそらくは、希望。

「今日は、俺は、俺はさ、俺は本音を吐露したいんだよ。白状したいんだ。その為に呼び出したんだ」

「声震わせて喋るな、気持ち悪い」

非常にすっきりとした声で、ミシモは言った。

「…すまん」顔を上げ、後頭部越しにミシモと同じ空を見る。

本音。それを常にひた隠しにして生きてきた。本音を言えばそれだけ無意味な闘争に巻き込まれると、誤解を生んで誰かを傷つけると、底の抜けた中味の無い缶カラであるカズタカは本音もどこ吹く風の如く素通りさせてやり過ごしてきた。成長するにつれいつしか本音の風も吹かなくなり、いつも曖昧に、微妙に生きてきた。本当の自分をさらけ出したくなかった。

そんな男が漫画家を目指しているなんて変な話だが、作品に鬱屈している本音を仮託させたかったのだろう。しかし、どんな漫画を描いても、仮託させるべき本音の風は渺々たる大海原の遥か彼方へ行ってしまって、ついぞ吹くことはなかった。表現したいもの無き表現者など善良で私利私欲の無い政治家のようなもので、糞の役にも立たない。しかし、それが今吹いている。幼き日に吹いた懐かしき風、母にわがままを言った時、キャッチボールで兄に泣かされた時、行きたくなかった外食先でふてくされて父に怒られた時、いつでも思うままに吹いていた風が今、心の中にびゅうと吹き荒れている。こんなの初めて。どうにかなっちゃいそう、であった。

「怖いんだよ、死にたくねえんだ」

アイドンワナダイ。強がりも排除した正真正銘、本音。カズタカの、いや、二人の精神は死刑執行を待つ日々を送る受刑者に似るといって過言ではない。しかしどうしたら罪無き罰を、悔い無き悔いを、受け入れ、改めることが出来るというのか。やりきれぬ。ただやりきれぬ。この気持ちを何にぶつけろというのか。どう昇華させろというのか。わからない。

「……」

何か応えることもなく、無言で歩き続けるミシモ。カズタカは無言で後をついていく。

突然、

「走れ」

小さく号令を発し、ミシモは走り出した。言われるがまま走り、後を追うカズタカ。五十メートル程直進したろうか、ミシモは交差点の角を曲がると、壁際に立ち止まった。唇に伸ばした人差し指を当てている。

静かに。

カズタカは荒れる呼吸に苦しみながらもジェスチャーの意味する通り、出来うる限り静かにした。そのミシモの顔はいたずら好きの妖精みたくにやついていた。

少しして、ミシモは来た道に戻り出る。

金魚の糞のようにふわふわと後を追ったカズタカの目の前を、向こうの生け垣辺りを一心に見つめる作業着姿の男が通り過ぎた。一瞬の出来事であったが、確かに見たことある顔。

その向こうで、ミシモは腹を抱えて笑っていた。

「あー、この歳になってやる鬼ごっこはもはや痛快ね」

「あいつ、あれだろ。ウデムシの時の」

「そう、ファミレスに居た奴、あいつなかなか可愛い奴でさ。気づかれてることに気づいているのかいないのか、最近律儀に朝から晩まで私んちの前に居るのよ」

「毎日?」

「そう、ホノカから鞍替え」

「ああ、ストーカーな。しっかし、どこかの記者には見えないおっさんだがなぁ。第一、記者ならさ、何か訊きたいことあるなら直接俺達に訊けばいいじゃないか。何度かあったろお前も、なんつうの、突撃されたっつうの?」

「さあね、どうでもいいじゃないそんなこと。あいつが何者かもどうでもいいわ。警戒心の強い野良猫にエサやってる感じ。今のだって尾行を警戒したわけじゃなくて、あいつの驚いた顔が見たかっただけ私は。そして傑作だったなぁ。人間焦ると歩くリズム変わるのね。タタンってなってさタタンって。なはは」

「しっかしよぉ、そういうことは初めに言っといてくれよ」

先程までカズタカに宿っていた沈鬱な雰囲気は吹き飛んでしまった。

「大丈夫、もしか乱闘騒ぎになっても、お前は初めから戦力に数えてないから」

「なるほど。男として多少腹立たしくもあるが、正しい計算だ」

ミシモは再びカズタカの前を歩き始めた。

「そして、もしかお前が凶刃に倒れても」

「私は構わない、か」

「誰も構わない、よ」

「それは、ひでえな」

「あー、そうか」

「なんだよ?」

「さっきからなんかめんどくさいなぁって思ってたら、そうか、あんたと喋っているからか」

「おい、気を抜けば今にも泣き崩れてしまいそうな今の俺に言うセリフか」

カズタカは笑った。

「めんどくさいからさ。お前はさっきみたく塞ぎ込んでてくれる?ほれ、泣け泣け。泣き崩れてもアスファルトだけはあんたを支えてくれるよきっと」

「きっとって、そこに憶測の入る余地無いだろ。アスファルトに。しかも置いていく気満々だな。いや、財布だけは抜き取っていく勢いだ」

「……」

「何か言え!……」

「……」

しばらく無言で歩き続けた二人。本来なら立場は逆じゃなけりゃ、カズタカはそう思うと同時に、どうしてミシモはこうも強くあり続けることが出来るのだろうと思った。本当はお前も弱いところがあるのだろう?当たり前の安っぽいセリフが浮かんだが、人間として、もはや最低限ではあるが男として、口には出さなかった。言ったとしても、「だから何?」とミシモは自然に言いそうだし、そして猛烈に怒られそうだし、そう言われたら二の句が告げない。「俺の腕の中」で泣きたいのはカズタカである。

「着いた」

立ち止まったミシモは指を差した。そのぴんとした指の指し示す先とは、

「尾形、お前、お前は…どこまでもか!」

「どこまでもよ」

ミシモは大型電器店で、暇なのよね、と、ゲームソフトを何本かと、こんな機会でも無けりゃ買わないとばかりに、高めのドライヤーを買って、お疲れ、と言ってさっさと帰っていった。もちろん、カズタカ払い、ポイントカードはミシモ持ち。

懐はざんないことになったが、カズタカは元気になった気がした。生きる指針というものを得た気がした。どこまでもか?どこまでもよ。それだけのやりとりでカズタカはミシモに救われたのである。