アラクネ(25)~再投稿~
四つん這いのまま許しを、救いを求むる女に男は、
「無駄だよ。そんなの」
と、鼻で嘲った。
「夢、これは夢、夢よ、夢だわ」
うずくまること時永く、アヤはそれに思い至った。
「そう、これは夢さ、儚いまほろば、一夜の夢さ」
アヤが顔を上げると、男の頭がぐにゅりぐにゅりとハンマーヘッド・シャークのように扁平になった。その様は妙に輝いて見えた。
「お前はただ認めよ。そしてアラクネ様の脚になるのだ。これは光栄なことなのだぞ」
「アラクネ様?」
男の言葉がすんなりと頭に入ってくる。もはや男の言葉を疑うこともかなわず、アヤは幼子のように扁平頭をただ見つめている。まるで蜘蛛の糸に絡めとられ身動き一つとれぬ蜆蝶のよう、仕留めの毒牙を待つばかり。
男は佐藤ヒロフミ、菱山カナコ、土師マユミらの死の顛末を語った。アヤは使い方のわからぬ古道具を渡された子供のように不思議そうな顔をして聞いていた。逃れる術はなかった。
「蜘蛛の女王が四つ脚、己タケハル、あいつはいい奴さ。その想いにアラクネ様も大層その御心に波を打たれなさったものさ」
「タケハル、あいつは何を認めたの?」
「シンプルさ。至ってシンプル、男の心など単純なのさ。己タケハル、初恋の君を助ける為なら命を捨てる覚悟がある、と奴はそれを認めたのさ」
「初恋の君?」
「己タケハル、あいつはいい奴だ。君は人の為に死ねるか?、即答だったさ。リインカネーションがあるというならあいつの前世はきっとポリスマンかガードマン。そして与えられた。与えられた。アラクネ様はいたく感動し、その麗しい御髪で一本の縄をお紡ぎになられた。あいつが望んだものはそう、初恋の君、鈴木ホノカを蜘蛛の糸から解き放つこと、そしてその願いは遂げられたのさ」
鈴木ホノカという音を聞いて、アヤに混濁した意識が流れ込んだ。
「ホノカ?ちょっと待ってよ!ホノカも死んだじゃん!腹を手で、自分の手で引き裂いて死んだ!私の目の前で!それは呪いだからでしょ!」
瞳を閉じればまぶたにありありと浮かぶ旧友の狂態。数時間前、アヤはみんなを救いたい一心から皆を説き伏せることを諦めず、まずはとっつき易いホノカを入信させようとした。そして遊歩道がある川沿いの親水公園に呼び出したのだった。夕陽が射す寂しい川の彩り。辺りに人影もなく、アヤは浮かんでは消えるミドリガメに石を投げつけたりしながら精一杯のフレンドリーさを惜しげもなく披露し、和やかに話をしていた。そして突然、何の前触れもなく、ホノカは腹を裂き始めたのであった。音も無く服を破る尖った指。ぷつりと皮が裂け、雪崩式に飛び出るはらわた。ぼとりと落ちゆく繋がるホルモン。おもらしみたくズボンを伝い滴る血汁。その狂態が不思議に醸し出すエロ、沸き立つリビドー。しかし、思い出しただけで死ねる光景。そして、
「願いは遂げられたのさ。お前の手によって」
「私の手!?そんな、違う違う違う違う違う違う違う違うちが私じゃない!私は殺してない!私がホノカを殺すわけないじゃない!ないじゃない!断じて!私」
「止めようとしただけなのに、だろう?」
ホノカを止めよう、動きまわる腕を止めなくちゃ、アヤはベラブル様の縫い込まれたお守りを握りしめ、胴タックルをするようにホノカの両腕の間に割って入った。ささやかな衝撃が顔や肩や手からホノカの肉体に伝わった刹那、ホノカは浮いて、遊歩道の柵を越え用水路にぼちゃんと落ち、呼吸を終えたミドリガメみたく川の中へと消えていった。あとには尾を引くよう流れる赤い水が夕陽を水面に反射させる川をゆるやかにゆるやかに。それ程の、人を浮かす程の衝撃をアヤは感じなかった。どうして、どうして、とアヤは狂ったように泣き喚いた。アヤは気がつかなかったがどこかに人の目があったらしく、またそれは不完全な目らしく、数分後、殺人容疑の現行犯として血まみれのアヤは身柄を拘束されていた。女を引き裂いて川に落とした奴がいる、と、通報されていた。
「だって」
「そうじゃない、か。それは正しい。しかし、お前が殺したこともまた真なり」
「そんなのおかしいじゃない!おかしいよ!」
「己タケハルの望みは本来ならば叶えられぬものなのさ。アラクネ様の転生を止めることなどアラクネ様にも出来やしないのさ。転生を紡ぐ蜘蛛の糸は断ち切れないのさ。鈴木ホノカは死ぬ以外に道はなかったのさ。それがお前らの繋がりさ」
「そんな、タケハルが、タケハルは無駄死にじゃない!」
「己タケハルもそれは承知さ。それでも、それでもなお、一縷の望みをかけたか己タケハルはそれ以外を望むことはなかった。そういう奴なのさ。己タケハルが自殺をしようと崖から身を投じることがあったとしたら、おそらく華麗に月面宙返りでも決めながらだろう」
「そんな」
アヤは心臓が渇いていく感覚を覚え、視界を砂嵐が覆い、奪う。血の気が引くとは言いえて妙なる慣用句である。
「アラクネ様の紡いだ縄はあの時、鈴木ホノカの首にかけられていたのさ。おお、我らが慈母アラクネ様。美しきアラクネ様。絶大なる絶対神にさえ刃向かいしアラクネ様。その強さを、その優しさを、その愛を、お前は知るのだ。知って知って知って知って、脚となるのだ」
ふくらはぎにぎゅむと力を込め、アヤは立ち上がった。脚は驚く程かくかくとし、ふらついた。そして今度こそまさしく立ち眩み。すぐにへたりと座り込んだ。見開いている筈の目がなにも外界の情報を読み取らない。
「縄に力はないのさ。あるのは矢印、ベクトル。お前が鈴木ホノカに与えた衝撃全てを斜め後方に変えたのさ。引っ張られたのさ。だから鈴木ホノカは浮き上がり、川に落ちることが出来たのさ」
「なんでそんなことを、二重の苦しみを」
「そんなことはないのさ。痛みは快楽さ。ぐじゅぐじゅぐじゅ。マグロのお前は知らぬだろう、なぜセックスが気持ちよくないのか、お前は知らぬ。快楽とは与えられるものではない、男に与えられるものではない。自ずから導くものであるのだ。お前はそれを勘違いしていた。しかし、お前も直にわかるだろう。ぐじゅぐじゅになればわかる。そしてお前は知ることになるだろう。アラクネ様の優しき御心を、己タケハルの強き願いを」
「勘違い」
苦痛しか残らない盛り上がらぬ夜ばかり過ごしてきた女はそっとつぶやいた。
「快楽のうちに“溺れ死んだ”鈴木ホノカのその死に顔には、先の脚達の死に顔と違い、深く刻み込まれる蜘蛛の刻印は無いであろう。生前と相変わらぬ顔のまま、底無しの笑顔のまま、鈴木ホノカは死んだのさ。おお、アラクネ様。悲しき定めを抱えるアラクネ様。アラクネ様の精一杯の優しさを知れ知れ知れ知れぇ窺い知れぇそして認めろぉ」
「ホノカは…アラクネ様に何を認め、何を与えられの?」
アヤの心は浮き立っていた。その目は父親を恋う娘のようにきらきらと輝いている。アラクネ様と呼ばれる神の優しさが身にしみてわかった気がした。神はいた。ここに。ベラブル様?あんなのインチキ。
「鈴木ホノカはあらゆる物事を続けることが出来なかった。予定を消化することが苦痛でしかたなかった。周りの人々が仕事や学校や趣味を続けられることをいつも不思議に思っていたのさ。なんであたしはこうなんだろう?どうしてあたしはこうなんだろう?いつも思っては土曜日が来る日までの日数を指折り数えて絶望していた。次の土曜日は、次の休みの日は、その次の休みの日は、その次の次の次の次の次の次の次の次の、カレンダーをめくっては絶望していた。そんな娘さ。だから我慢出来ぬ娘である菱山カナコと馬が合ったのさ。義務教育という理念の刷り込みから解き放たれた鈴木ホノカは、学校を辞めてもいいことに気がつき、お前と違いそれはそれは楽しさに縁取られた学校生活であったが一年も経たぬうちに高校を辞めた。楽しかったのに、幸せだったのに、それでも続けることの苦痛はどうしようもなく鈴木ホノカにのしかかった。先の予定が決まっているというつまらなさが鈴木ホノカを追い詰めた。仕方無く始めたバイトも長続きすることは無く、かといって生き馬の目を射る社会をさまよい歩く為の何か飛び抜けた才能があるわけでもなく、自ら掴みとった空虚
なる日々を、開け放たれた予定の無い白紙の日々を、後悔だけで埋めつくしては、続けられる人々のことを羨ましがっては泣いて過ごしていた。ただ楽しくその日その日を、刹那を生きていたかった。そして、認めた。だから、認めた。どうやら人生も続けられそうにないことを。そして、与えられた。だから、与えられた。続けられなかったことで生まれた後悔の数々を無くして脚になるまでの日々をただ楽しく。それはとても重く純粋なものだった。パンドラの箱の中に最後に残ったものは自らを希望と名乗った。しかし、あらゆる邪悪の中にあって最後まで残った重いそれは一番純粋な邪悪ではないのかね?、未来に希望を持ち、人間は何をした?、人間は希望を持つことで邪なる欲望を正当化しただけだろう?、差別をするのだろう?、未来に希望があるから何でもするし続けられるのだろう?、鈴木ホノカは気がついていたのさ、希望の正体に」
「私は何を」
まるで神に祈りを捧げる修道女のように、アヤは手を組んだ。
「お前は認めよ。自身が愚かな女であることを。そして与えられるであろう、お前を虐めた男に地獄を」
扁平頭の男はそう言うと、にやりと笑った。
次の日、昨夜の夢の何もかもを覚えていないアヤは、
「綺麗、生きているみたい」
鈴木ホノカの死に顔を写真で見せられそうつぶやいた後、二人の刑事の制止をものともせず腹を裂いて死んだ。
アヤを虐めていた男はこの日から昨日までと変わらぬはっきりとした自意識を保ちながらにして単純作業も困難な程著しく知能が低下した。その日までと変わらぬはっきりとした自意識を保ちながらである。これほどの地獄があるだろうか。白い夢を見るならば、白い精神が必要なはずなのに。男は周囲からバカにされ続け、数年後に自殺した。
続
「無駄だよ。そんなの」
と、鼻で嘲った。
「夢、これは夢、夢よ、夢だわ」
うずくまること時永く、アヤはそれに思い至った。
「そう、これは夢さ、儚いまほろば、一夜の夢さ」
アヤが顔を上げると、男の頭がぐにゅりぐにゅりとハンマーヘッド・シャークのように扁平になった。その様は妙に輝いて見えた。
「お前はただ認めよ。そしてアラクネ様の脚になるのだ。これは光栄なことなのだぞ」
「アラクネ様?」
男の言葉がすんなりと頭に入ってくる。もはや男の言葉を疑うこともかなわず、アヤは幼子のように扁平頭をただ見つめている。まるで蜘蛛の糸に絡めとられ身動き一つとれぬ蜆蝶のよう、仕留めの毒牙を待つばかり。
男は佐藤ヒロフミ、菱山カナコ、土師マユミらの死の顛末を語った。アヤは使い方のわからぬ古道具を渡された子供のように不思議そうな顔をして聞いていた。逃れる術はなかった。
「蜘蛛の女王が四つ脚、己タケハル、あいつはいい奴さ。その想いにアラクネ様も大層その御心に波を打たれなさったものさ」
「タケハル、あいつは何を認めたの?」
「シンプルさ。至ってシンプル、男の心など単純なのさ。己タケハル、初恋の君を助ける為なら命を捨てる覚悟がある、と奴はそれを認めたのさ」
「初恋の君?」
「己タケハル、あいつはいい奴だ。君は人の為に死ねるか?、即答だったさ。リインカネーションがあるというならあいつの前世はきっとポリスマンかガードマン。そして与えられた。与えられた。アラクネ様はいたく感動し、その麗しい御髪で一本の縄をお紡ぎになられた。あいつが望んだものはそう、初恋の君、鈴木ホノカを蜘蛛の糸から解き放つこと、そしてその願いは遂げられたのさ」
鈴木ホノカという音を聞いて、アヤに混濁した意識が流れ込んだ。
「ホノカ?ちょっと待ってよ!ホノカも死んだじゃん!腹を手で、自分の手で引き裂いて死んだ!私の目の前で!それは呪いだからでしょ!」
瞳を閉じればまぶたにありありと浮かぶ旧友の狂態。数時間前、アヤはみんなを救いたい一心から皆を説き伏せることを諦めず、まずはとっつき易いホノカを入信させようとした。そして遊歩道がある川沿いの親水公園に呼び出したのだった。夕陽が射す寂しい川の彩り。辺りに人影もなく、アヤは浮かんでは消えるミドリガメに石を投げつけたりしながら精一杯のフレンドリーさを惜しげもなく披露し、和やかに話をしていた。そして突然、何の前触れもなく、ホノカは腹を裂き始めたのであった。音も無く服を破る尖った指。ぷつりと皮が裂け、雪崩式に飛び出るはらわた。ぼとりと落ちゆく繋がるホルモン。おもらしみたくズボンを伝い滴る血汁。その狂態が不思議に醸し出すエロ、沸き立つリビドー。しかし、思い出しただけで死ねる光景。そして、
「願いは遂げられたのさ。お前の手によって」
「私の手!?そんな、違う違う違う違う違う違う違う違うちが私じゃない!私は殺してない!私がホノカを殺すわけないじゃない!ないじゃない!断じて!私」
「止めようとしただけなのに、だろう?」
ホノカを止めよう、動きまわる腕を止めなくちゃ、アヤはベラブル様の縫い込まれたお守りを握りしめ、胴タックルをするようにホノカの両腕の間に割って入った。ささやかな衝撃が顔や肩や手からホノカの肉体に伝わった刹那、ホノカは浮いて、遊歩道の柵を越え用水路にぼちゃんと落ち、呼吸を終えたミドリガメみたく川の中へと消えていった。あとには尾を引くよう流れる赤い水が夕陽を水面に反射させる川をゆるやかにゆるやかに。それ程の、人を浮かす程の衝撃をアヤは感じなかった。どうして、どうして、とアヤは狂ったように泣き喚いた。アヤは気がつかなかったがどこかに人の目があったらしく、またそれは不完全な目らしく、数分後、殺人容疑の現行犯として血まみれのアヤは身柄を拘束されていた。女を引き裂いて川に落とした奴がいる、と、通報されていた。
「だって」
「そうじゃない、か。それは正しい。しかし、お前が殺したこともまた真なり」
「そんなのおかしいじゃない!おかしいよ!」
「己タケハルの望みは本来ならば叶えられぬものなのさ。アラクネ様の転生を止めることなどアラクネ様にも出来やしないのさ。転生を紡ぐ蜘蛛の糸は断ち切れないのさ。鈴木ホノカは死ぬ以外に道はなかったのさ。それがお前らの繋がりさ」
「そんな、タケハルが、タケハルは無駄死にじゃない!」
「己タケハルもそれは承知さ。それでも、それでもなお、一縷の望みをかけたか己タケハルはそれ以外を望むことはなかった。そういう奴なのさ。己タケハルが自殺をしようと崖から身を投じることがあったとしたら、おそらく華麗に月面宙返りでも決めながらだろう」
「そんな」
アヤは心臓が渇いていく感覚を覚え、視界を砂嵐が覆い、奪う。血の気が引くとは言いえて妙なる慣用句である。
「アラクネ様の紡いだ縄はあの時、鈴木ホノカの首にかけられていたのさ。おお、我らが慈母アラクネ様。美しきアラクネ様。絶大なる絶対神にさえ刃向かいしアラクネ様。その強さを、その優しさを、その愛を、お前は知るのだ。知って知って知って知って、脚となるのだ」
ふくらはぎにぎゅむと力を込め、アヤは立ち上がった。脚は驚く程かくかくとし、ふらついた。そして今度こそまさしく立ち眩み。すぐにへたりと座り込んだ。見開いている筈の目がなにも外界の情報を読み取らない。
「縄に力はないのさ。あるのは矢印、ベクトル。お前が鈴木ホノカに与えた衝撃全てを斜め後方に変えたのさ。引っ張られたのさ。だから鈴木ホノカは浮き上がり、川に落ちることが出来たのさ」
「なんでそんなことを、二重の苦しみを」
「そんなことはないのさ。痛みは快楽さ。ぐじゅぐじゅぐじゅ。マグロのお前は知らぬだろう、なぜセックスが気持ちよくないのか、お前は知らぬ。快楽とは与えられるものではない、男に与えられるものではない。自ずから導くものであるのだ。お前はそれを勘違いしていた。しかし、お前も直にわかるだろう。ぐじゅぐじゅになればわかる。そしてお前は知ることになるだろう。アラクネ様の優しき御心を、己タケハルの強き願いを」
「勘違い」
苦痛しか残らない盛り上がらぬ夜ばかり過ごしてきた女はそっとつぶやいた。
「快楽のうちに“溺れ死んだ”鈴木ホノカのその死に顔には、先の脚達の死に顔と違い、深く刻み込まれる蜘蛛の刻印は無いであろう。生前と相変わらぬ顔のまま、底無しの笑顔のまま、鈴木ホノカは死んだのさ。おお、アラクネ様。悲しき定めを抱えるアラクネ様。アラクネ様の精一杯の優しさを知れ知れ知れ知れぇ窺い知れぇそして認めろぉ」
「ホノカは…アラクネ様に何を認め、何を与えられの?」
アヤの心は浮き立っていた。その目は父親を恋う娘のようにきらきらと輝いている。アラクネ様と呼ばれる神の優しさが身にしみてわかった気がした。神はいた。ここに。ベラブル様?あんなのインチキ。
「鈴木ホノカはあらゆる物事を続けることが出来なかった。予定を消化することが苦痛でしかたなかった。周りの人々が仕事や学校や趣味を続けられることをいつも不思議に思っていたのさ。なんであたしはこうなんだろう?どうしてあたしはこうなんだろう?いつも思っては土曜日が来る日までの日数を指折り数えて絶望していた。次の土曜日は、次の休みの日は、その次の休みの日は、その次の次の次の次の次の次の次の次の、カレンダーをめくっては絶望していた。そんな娘さ。だから我慢出来ぬ娘である菱山カナコと馬が合ったのさ。義務教育という理念の刷り込みから解き放たれた鈴木ホノカは、学校を辞めてもいいことに気がつき、お前と違いそれはそれは楽しさに縁取られた学校生活であったが一年も経たぬうちに高校を辞めた。楽しかったのに、幸せだったのに、それでも続けることの苦痛はどうしようもなく鈴木ホノカにのしかかった。先の予定が決まっているというつまらなさが鈴木ホノカを追い詰めた。仕方無く始めたバイトも長続きすることは無く、かといって生き馬の目を射る社会をさまよい歩く為の何か飛び抜けた才能があるわけでもなく、自ら掴みとった空虚
なる日々を、開け放たれた予定の無い白紙の日々を、後悔だけで埋めつくしては、続けられる人々のことを羨ましがっては泣いて過ごしていた。ただ楽しくその日その日を、刹那を生きていたかった。そして、認めた。だから、認めた。どうやら人生も続けられそうにないことを。そして、与えられた。だから、与えられた。続けられなかったことで生まれた後悔の数々を無くして脚になるまでの日々をただ楽しく。それはとても重く純粋なものだった。パンドラの箱の中に最後に残ったものは自らを希望と名乗った。しかし、あらゆる邪悪の中にあって最後まで残った重いそれは一番純粋な邪悪ではないのかね?、未来に希望を持ち、人間は何をした?、人間は希望を持つことで邪なる欲望を正当化しただけだろう?、差別をするのだろう?、未来に希望があるから何でもするし続けられるのだろう?、鈴木ホノカは気がついていたのさ、希望の正体に」
「私は何を」
まるで神に祈りを捧げる修道女のように、アヤは手を組んだ。
「お前は認めよ。自身が愚かな女であることを。そして与えられるであろう、お前を虐めた男に地獄を」
扁平頭の男はそう言うと、にやりと笑った。
次の日、昨夜の夢の何もかもを覚えていないアヤは、
「綺麗、生きているみたい」
鈴木ホノカの死に顔を写真で見せられそうつぶやいた後、二人の刑事の制止をものともせず腹を裂いて死んだ。
アヤを虐めていた男はこの日から昨日までと変わらぬはっきりとした自意識を保ちながらにして単純作業も困難な程著しく知能が低下した。その日までと変わらぬはっきりとした自意識を保ちながらである。これほどの地獄があるだろうか。白い夢を見るならば、白い精神が必要なはずなのに。男は周囲からバカにされ続け、数年後に自殺した。
続