アラクネ(16)~再投稿~
マユミの面接を担当した高橋という男は、これまた大学の先輩且つ同じ学科出身者であり、就学時期こそ被らなかったが歳も先輩と言えるそれ相応のもので、マユミの相談相手役になるにはこれ一択という人物であった。高橋も同じく教授のコネで入社した口であり、マユミに親近感を覚え、先輩社会人としての役まわりにまんざらでもなかった。わりかし整った顔をしているマユミと、恋愛してもいいかわからない、と、高橋は考える程だった。というよりももはや高橋は完全に恋をしていた。
「俺の場合この会社に入社して良かったことは満員電車に乗らなくて良くなったことだ、都心に向かう人の群れとは上り下りが逆コースだからな。朝、向かいのホームで高校生バイトに押し込まれるおっさん達を見てると内心笑いが止まらないよ。もちろん帰りも。ま、それが如何に恵まれていることかを考えると嫌なことがあってもちゃんと働こうって気持ちにもなるさ。その分給料低いからとんとんかもしらんが」
マユミが社会人になって半年になろうとする頃、マユミと高橋は二人っきりで飲みに出かけた。
「そうですねぇ。私なんかやろうと思えば自転車で通えますからね。時間的に電車とバスを使った場合とあまり変わらないことに気がつきました」
それまでも月に一、二回二人っきりで飲みに出かけることがあった。もちろんマユミが酔って暴れ出すことはない。あれはミシモといる時専用と決めている。
「お前、だからといって交通費ちょろまかすなよな」
「交通費なんてあってないようなもんじゃないですか。駅から会社までのバス代出てないじゃないですか。かといって駐車場は一杯だし。むしろ自転車通勤を奨励してますよ。ということはちょろちょろとまかすしかないでしょう。一応冗談ですけど」
「うむ、経理にバレずにうまいこと月の半分ちょろまかしたとして、大体いくらになる?」
「…三千円弱ですか」
「行き帰りにコンビニに寄って水分補給やらなんやらしようものなら赤字、か。なんかむなしくなってくるな」
「…ですね。ところで今やってる新商品開発ってどんなものになるんですかね?」
マユミは開発室に異動する為、開発に興味があることを高橋に小出しにアピールする作戦をとっていた。自分に素直になれないマユミらしい、まどろっこしい作戦である。当然、この人私に興味持っているに違いない、と確信した上での作戦だ。そのことは決して誇大妄想の賜物ではない。高橋はそのことを態度や言動に、お首にも出していないつもりであったが、素人童貞である高橋のこと。高橋の心の機微を探り当てることなどマユミにとって赤子の手を痛めつけないように捻るが如く容易い。
高橋はマユミの面接を担当したが、開発室所属の人間である。うまいこと事が運べば、うまいこと私の提案をこいつが拾ってくれれば、うまいことこいつをダシにすれば。高橋と二人きりで飲む時に、マユミはラジオに投稿しているリスナーの気持ちになった(ちなみにマユミは男として見た場合の高橋に全く興味が無い。告白された場合には、そんなつもりで飲んできたわけではない、と無碍にあしらえば良いと既に判断が下されている。哀れ高橋。下の名前さえつけてもらえず。目的意識の違いが生む悲しき人間模様の贄よ。頑張れ高橋。負けるな高橋。お前にはきっといい未来を用意すると筆者が約束しようではないか。お前が恋したマユミは死んだが。)。
「うーん、行き詰まりだ。パスタなんだけど、何かいい案ある?」
高橋とて馬鹿ではない。マユミが開発に興味があることはこれまでのマユミの態度からわかっている。来て欲しいとさえ思っていた。自分に人事権があるならば。きっかけが必要だった。マユミが開発室に見初められるきっかけ、すなわち、実績。
マユミは基本的に馬鹿である。目標があってもそれに近付く努力、それを放り投げている。それをしないであーしたいこーしたいあーなりたいこーなりたいとほざくタチである。オセロや将棋を何度やってもうまくならない。小学生の頃、水泳の昇級試験を、教師から義務付けられた最低辺の級をやっつけでパスするとそれ以降受けなかった。英検三級を中学一年で取ると取得時に行った面接が怖くなってそれ以降受けなかった。ミシモが受験しなければ大学に進む気はなかった。運動をやらせれば、所謂運動神経というものにそこそこ恵まれていたのだろう、変に飲み込みが早く、割合何でも器用にこなし、始めて半年程は有望株と呼ばれる程であるが、それ以降はぱたりと成長を止める。そして辞める。物事の初期に出会う“コツ”を掴むとそれで満足し、周りがそれで通用しなくなるレベルに入ると、逃げる。向上心というものがまるでないのである。あるにはあるのだが向上心よりも自分が弱い現実に立ち向かうことの苦痛が先に立つ。やったことが無い人よりはうまい、強い、わかる、それでガラスの自尊心、虚飾に縁取られた自尊心を満ち足らせようとした。自分に向上心が欠如
していること、目標に向かって努力行動をしないことをマユミは自覚している。何といっても自分の大っ嫌いな部分である。しかし、それさえも、努力出来る人間になりたい、と思うだけで、克服する努力を、それが必要であるとわかっていながらしない、からこその馬鹿である。本気を出せば私だって、と、この期に及んで本気で思っている節がある。この時も、開発室に行きたい、と思ってはいたが、では現実的ないい案を用意しているかと問われればそんなものは、明日考えよう、という次第であった。
「パスタですか、何か決定事項はあるんですか?」
マユミは発想のかけらを拾い集めようとした。マユミが恐れていることは才能が無いことを認めること、悟られることである。奇をてらう性格もそれの現れであると云えよう。何かアイデアは無いかと問われたら無いとは言えない、言いたくない。ましてやこの機会だ。が、
「いやぁ、それがパッケージがパスタである以外なんもかんも決まらなくて」
かけらはパスタだけであった。せめてキーとなる食材や風味さえ決まっていればまだなんとか発想の余地はあったのだが。
「そうですか」
「そうなんだよ」
「…」マユミのアルコールを摂取していながらもちっとも酔っていない頭のなかでぐるぐると原価や旬の食材、最近の流行り、自分の好きな食べ物、食べたことがあるパスタ、どこかで見たことがあるパスタやらが目まぐるしく交錯した。食材に関係するものだけではおさまりつかず、交錯する思考の中に、好きな作家の言葉であるとか最近気になった洋服であるとかいつか見た映画のワンシーンなども参加して、めちゃくちゃになっていた。
「…ま、そんな簡単に」
タイムリミットを宣言されようとした刹那、マユミはとりあえず目の前にあった言葉を掴んで投げつけた。
「トイ・プードル、的な」
「えっ?」
苦し紛れに言った自分でも何が何やらわからぬイメージが、商品として現実にコンビニの陳列棚に並んだのはその日からおよそ1ヶ月半後のことである。「パスタDEヘルシー・プードル味!?」は世間を賑わす大ヒット商品に、とまではいかなかったがそこそこのスマッシュヒットを記録した。発売三日で「パスタDEヘルシー・目印はプードル!」に名前が変わったことはご愛嬌。
続
「俺の場合この会社に入社して良かったことは満員電車に乗らなくて良くなったことだ、都心に向かう人の群れとは上り下りが逆コースだからな。朝、向かいのホームで高校生バイトに押し込まれるおっさん達を見てると内心笑いが止まらないよ。もちろん帰りも。ま、それが如何に恵まれていることかを考えると嫌なことがあってもちゃんと働こうって気持ちにもなるさ。その分給料低いからとんとんかもしらんが」
マユミが社会人になって半年になろうとする頃、マユミと高橋は二人っきりで飲みに出かけた。
「そうですねぇ。私なんかやろうと思えば自転車で通えますからね。時間的に電車とバスを使った場合とあまり変わらないことに気がつきました」
それまでも月に一、二回二人っきりで飲みに出かけることがあった。もちろんマユミが酔って暴れ出すことはない。あれはミシモといる時専用と決めている。
「お前、だからといって交通費ちょろまかすなよな」
「交通費なんてあってないようなもんじゃないですか。駅から会社までのバス代出てないじゃないですか。かといって駐車場は一杯だし。むしろ自転車通勤を奨励してますよ。ということはちょろちょろとまかすしかないでしょう。一応冗談ですけど」
「うむ、経理にバレずにうまいこと月の半分ちょろまかしたとして、大体いくらになる?」
「…三千円弱ですか」
「行き帰りにコンビニに寄って水分補給やらなんやらしようものなら赤字、か。なんかむなしくなってくるな」
「…ですね。ところで今やってる新商品開発ってどんなものになるんですかね?」
マユミは開発室に異動する為、開発に興味があることを高橋に小出しにアピールする作戦をとっていた。自分に素直になれないマユミらしい、まどろっこしい作戦である。当然、この人私に興味持っているに違いない、と確信した上での作戦だ。そのことは決して誇大妄想の賜物ではない。高橋はそのことを態度や言動に、お首にも出していないつもりであったが、素人童貞である高橋のこと。高橋の心の機微を探り当てることなどマユミにとって赤子の手を痛めつけないように捻るが如く容易い。
高橋はマユミの面接を担当したが、開発室所属の人間である。うまいこと事が運べば、うまいこと私の提案をこいつが拾ってくれれば、うまいことこいつをダシにすれば。高橋と二人きりで飲む時に、マユミはラジオに投稿しているリスナーの気持ちになった(ちなみにマユミは男として見た場合の高橋に全く興味が無い。告白された場合には、そんなつもりで飲んできたわけではない、と無碍にあしらえば良いと既に判断が下されている。哀れ高橋。下の名前さえつけてもらえず。目的意識の違いが生む悲しき人間模様の贄よ。頑張れ高橋。負けるな高橋。お前にはきっといい未来を用意すると筆者が約束しようではないか。お前が恋したマユミは死んだが。)。
「うーん、行き詰まりだ。パスタなんだけど、何かいい案ある?」
高橋とて馬鹿ではない。マユミが開発に興味があることはこれまでのマユミの態度からわかっている。来て欲しいとさえ思っていた。自分に人事権があるならば。きっかけが必要だった。マユミが開発室に見初められるきっかけ、すなわち、実績。
マユミは基本的に馬鹿である。目標があってもそれに近付く努力、それを放り投げている。それをしないであーしたいこーしたいあーなりたいこーなりたいとほざくタチである。オセロや将棋を何度やってもうまくならない。小学生の頃、水泳の昇級試験を、教師から義務付けられた最低辺の級をやっつけでパスするとそれ以降受けなかった。英検三級を中学一年で取ると取得時に行った面接が怖くなってそれ以降受けなかった。ミシモが受験しなければ大学に進む気はなかった。運動をやらせれば、所謂運動神経というものにそこそこ恵まれていたのだろう、変に飲み込みが早く、割合何でも器用にこなし、始めて半年程は有望株と呼ばれる程であるが、それ以降はぱたりと成長を止める。そして辞める。物事の初期に出会う“コツ”を掴むとそれで満足し、周りがそれで通用しなくなるレベルに入ると、逃げる。向上心というものがまるでないのである。あるにはあるのだが向上心よりも自分が弱い現実に立ち向かうことの苦痛が先に立つ。やったことが無い人よりはうまい、強い、わかる、それでガラスの自尊心、虚飾に縁取られた自尊心を満ち足らせようとした。自分に向上心が欠如
していること、目標に向かって努力行動をしないことをマユミは自覚している。何といっても自分の大っ嫌いな部分である。しかし、それさえも、努力出来る人間になりたい、と思うだけで、克服する努力を、それが必要であるとわかっていながらしない、からこその馬鹿である。本気を出せば私だって、と、この期に及んで本気で思っている節がある。この時も、開発室に行きたい、と思ってはいたが、では現実的ないい案を用意しているかと問われればそんなものは、明日考えよう、という次第であった。
「パスタですか、何か決定事項はあるんですか?」
マユミは発想のかけらを拾い集めようとした。マユミが恐れていることは才能が無いことを認めること、悟られることである。奇をてらう性格もそれの現れであると云えよう。何かアイデアは無いかと問われたら無いとは言えない、言いたくない。ましてやこの機会だ。が、
「いやぁ、それがパッケージがパスタである以外なんもかんも決まらなくて」
かけらはパスタだけであった。せめてキーとなる食材や風味さえ決まっていればまだなんとか発想の余地はあったのだが。
「そうですか」
「そうなんだよ」
「…」マユミのアルコールを摂取していながらもちっとも酔っていない頭のなかでぐるぐると原価や旬の食材、最近の流行り、自分の好きな食べ物、食べたことがあるパスタ、どこかで見たことがあるパスタやらが目まぐるしく交錯した。食材に関係するものだけではおさまりつかず、交錯する思考の中に、好きな作家の言葉であるとか最近気になった洋服であるとかいつか見た映画のワンシーンなども参加して、めちゃくちゃになっていた。
「…ま、そんな簡単に」
タイムリミットを宣言されようとした刹那、マユミはとりあえず目の前にあった言葉を掴んで投げつけた。
「トイ・プードル、的な」
「えっ?」
苦し紛れに言った自分でも何が何やらわからぬイメージが、商品として現実にコンビニの陳列棚に並んだのはその日からおよそ1ヶ月半後のことである。「パスタDEヘルシー・プードル味!?」は世間を賑わす大ヒット商品に、とまではいかなかったがそこそこのスマッシュヒットを記録した。発売三日で「パスタDEヘルシー・目印はプードル!」に名前が変わったことはご愛嬌。
続