アラクネ(15)~再投稿~ | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

アラクネ(15)~再投稿~

土師マユミは、嫌い、と言うことでしか自己主張の出来ない子だった。何かを好きになったらそのものと同じジャンルの異なるものにケチをつけることでしか愛し方を知らない人がよくいるが、それとは違う。マユミにとって、好き、という言葉は自分をさらけ出してしまっているようで、とても怖かった。好きな食べ物、服装、タレント、音楽、作家、テレビ番組、ラジオ番組、人間性、その全てを周りにはぐらかしたり冗談であるということを前提として伝えた。自分の知識、個性にバックボーンがあることを知られることが怖かった。影響を受けたものを知られ、それを自分から引いた時の薄っぺらい自分がたまらなくイヤだった。私あれ嫌いだな。あれは嫌いではない。あれは嫌いではないけど好きでもない。お母さん、私があれ嫌いって知ってるでしょ。彼のあの部分は嫌い。好き、という言葉は覆すことの出来ない決定の言葉である。一度何かを好きと周りに言ってしまえば、それはもう覆せない。マユミあれ好きなんだ。マユミあの頃あれ好きだったよね。じゃあこれも好きなんじゃないの。しかし、嫌い、という言葉はとりかえしのつく言葉である。今は嫌いじゃない。そこ
まで嫌いじゃないよ。もうそんなことどうでもよくなったよ。

好きという言葉は嫌いという言葉よりも強い主張と意見、そして、自分が好きなものが嫌いな者、への敵愾心を煽り、ある種の責任すら伴う。マユミはそういう争いごとや強き意志決定が苦手だった。また自分が好きなものを周りの人間に否定されることが人一倍怖い。認知的不協和にとても弱い。マユミはとても打たれ弱い人間であった。そのくせインターネットの巨大掲示板「兄ちゃんねる」をまとめたブログのチェックが日課になっていて、奇をてらっている気取りであるマユミの好きなものは比較的掲示板内で肯定的に扱われる傾向があるとはいえ、そうだな、や、本当かよ…、と一喜一憂するスリルを味わっていた。

マユミは決して周囲の意見に迎合するマジョリティに則った、私嫌い、を使うわけではない。むしろ流行りものなどを目の敵の如く否定することが多かった。周囲から奇異の目で見られたいという、上記した自分自身の弱さを認めない為に成長過程で培った自己欺瞞もあったが、平気でそういうことが言えるようになったのは隣に自分のことを誰よりも理解してくれている尾形ミシモという存在が出来たからである。

マユミがミシモと出会ったのは幼稚園の頃だが、仲良くなったのは中学受験の為に小学三年の頃から通い出した地元の塾で鉢合わせした時からである。それまで互いの、否、ミシモと出会う前のマユミの性格上、互いに互いを敬遠していたものであったが、あまり大きな塾ではなかったことが幸いした。十人にも満たぬ程度の小さなクラス内で二人の「幼馴染み」、二人は仲良くならなければならなかった、と言ってしまえばそれまでだが、学校から離れた社会の中で二人が仲良くなることは必然だった。ミシモは強い人間である。小さい頃から自分というものをしっかり持っていた。不思議と、今まで敬遠していたのが馬鹿らしくなる程、二人はうまが合った。強いミシモと弱いマユミ。それは体毛の薄い男が体毛の濃い男に憧れを抱くよう、またその反対といった具合に、互いの表裏一体にある強さ弱さの凸凹ががっちり噛み合った故であろう。ミシモはマユミの素直にならない“弱さ”がとても新鮮で、魅力的で、強烈な個性、ある意味徹底した弱さをマユミの強さと感じた。だからマユミは安心して周りに奇をてらった攻撃をしかけたし、存分に弱い自分を守った。ミシモが隣にいて
くれればそれだけで他の人間とどうなろうがそんなことどうでも良かった。ただミシモが楽しくなればそれで幸せだった。そんなマユミの形成性格上、男に影響を受ける、なんてことは嘲笑の対象でしかなかった。周りの友人達の趣味趣向主義主張がつきあっている男によってころころと変化することに、やりきれぬ憤りすら感じた。見知らぬ人に道を訊くことすら嫌いなマユミなのだから。

偶然を装いながらも、結局大学までミシモにくっついて離れなかったマユミ。その間恋愛の一つや二つしたものであるが、それさえ一つの欺瞞で、燃えるような感情も確かにあったが、別れ話をミシモが笑ってくれればそれでよかったといった具合である。しかし、さすがに就職までは思うようにいかず、マユミはミシモと袂を分かつことになる。やりたい仕事はあった。しかし、マユミは変人教授の推薦でまるで興味のない食品企業の内定を取ることにした。自分のやりたいことなど誰にも言いたくなかった。自分にも言いたくなかったのかもしれない。いずれにせよ、の話である。

マユミがすんなり就職した埼玉県にある食品会社は社員六十人、パート百人程の中小企業といって差し支えない会社で、主にコンビニ弁当の開発、製造をしている。取引先は大手数社のコンビニ以外のコンビニ数社が主である。入社当初、せっかくなら商品開発の方に参加出来ないかと希望的観測を抱いていたが、現実はベルトコンベアーの管理という名のパートと変わらぬ単純作業と少しの事務がその仕事だった。当たり前といえば当たり前である。何より新人であるし、そもそも商品開発室には大学の先輩の大学院卒が占めているのであるから。また、ミシモ無き退屈な日々の環境に単純作業はよく合った。パートのおばちゃん達とも打ち解けた。しかし、やはり物足りない。マユミにだって少しは主体性というものがある。奇をてらう人間は得てして、口だけ番長、になりがちだが、マユミもそうだった。私ならこういう商品を作るのに。私ならこうして購買層を絞るのに。私ならこういうキャッチコピーをつけるのに。私なら、私なら。とはいえ、口だけ番長のアイディアとは得てして無知故の発想であることは否めない。マユミはそんな無知なる自分を知っていた。実際に商品を開
発する立場になったら毒にも薬にもならぬ、どこにでもありそうな、落ち着いた案を出すのだろう。そう考えると泣けた。だが、確かに開発室に行きたい自分もいる。何か出来るのではないかと考える自分もいる。入社して数ヶ月、マユミはジレンマに揺れていた。

そして、マユミは入社半年にしてひょんなことから商品開発室に潜りこむことが出来たのであった。