アノマニスからの脱却(2) | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

アノマニスからの脱却(2)

アノマロカリスって知ってる?。古代はカンブリア紀に生息していた生物さ。みんな一度は見たことあるはずだよ。中卒でもね。アノマロカリスの名前の意味は「奇妙なエビ」。もちろんラテン語だよ。学名だからね。まあアノマロカリスの生態や形なんてのはどうでもいい話だからしないけどさ。

じゃあなんで突然そんなことを言い出したのかというと、野木毛神見の家の、ま、ひらたく言や“家紋”がアノマロカリスなんだよ。それって変だろ?。その通り、変なんだ。

神見とつきあい始めたレイは嬉しくってさ。そりゃあそうだ、レイが生きてきた年月のなかでこんなにうまくことが運んだためしはなかったからね。バイトの職場にもすんなりとけ込んじゃったりなんかして。ずっとニートだった男がさ。早く人類滅亡しないかなって、半ば本気で夜空に、その先の宇宙に願いを託していた男がだよ。今じゃ、

「いらっしゃっせー」

ものだよ。変な笑顔浮かべちゃってさ。なまじそこそこかっこいいから、職場の人気者になんか成り上がりやがって。なんたるこっただよ。なんでノストラダムスは毎年恐怖の大魔王の到来を予言しなかったと、半ば本気で思っていた男がだよ。笑っちゃうね。何をやっても楽しんでやがる。今度みんなでどっか行こうか、だって。わかったいいよ、だって。ちゃちゃを入れないけどレイの家族は陰で喜色満面だって。ほんと、笑っちゃうよ。1日24時間じゃ足りねえな、だって。一転して人生バラ色だってさ。ああ、レイのバイト先は例のファミレス、ではなくて、その100メートルほど駅側にある、やっぱりファミレスだよ。違う系列のさ。特に何か考えての選択ではないみたいよ。さすがに常連所に履歴書は出せなかったそうでさ。まあ、お先のこと考えるとは暗いよね。だけど、レイはなんか楽しそう。

そのレイのバラはもちろん神見だよ。言わずもがなね。こいつほんと長いこと彼女なんかいなくてさ。高校中退前にファッションで彼女を作ったことあったけど、それは文字通りファッションでさ。さあデートだってなると、別に話すこともないし、行きたいとこもないし、なんせ無駄なことにそんなにお金使いたくないしで、まあ、そんな感じ。あの頃のレイは軽い結婚詐欺師みたいなもんでさ。彼女という飾りを手にいれたあとは、相手を意中のままに操りたかっただけなんだよ。アタック中、その気なんかないよとばかり、わざと連絡を入れなくなって相手をじらしたり。自分よりモテる友達にわざと狙ってる彼女と一旦いい仲にさせておいて、そのあと計画通りの不協和音の相談に乗る形でもつれ込んだり、わざと彼女の前でカッコ悪いことして、だけどもっとカッコ悪いことを友達に促して、彼女に「こっちのがマシだわね」なんて深層心理に訴えたり。あの頃のレイは決まって、彼女、に、自分、を選ばせやがるんだ。彼女の行動を彼女自身に選ばせやがる。そういう手を使いやがる。人間、自分が選んだ結果には甘いからね。多少思い描いていた結果と違くなっても、自ら修正
しちゃうんだ。だけどさ、そんな、いい意味でいう「恋のかけひき」なんて、つまらないもんだよ。要は、はじめは相手のこと好きだったかもしれない、けどそんなことしていると、相手を意中のままに操りたいってのが好きって感情より先に立つんだ。だからエサをまいといて、そのエサに相手が思い描いた通りの行動をとらないと、ムカついてきやがる。無性にイラついてきやがる。随分と自分勝手、そう結局は自分勝手なだけ。

レイはニート時代、やることがないもんでよく過去を振り返りみてた。その、振り返るには短いスペースのなかで、レイは気づいた。そんなものはクソだと。好きになったら、好きなようにやればいい、だなんてそんなことを女っけのかけらもない暗黒時代に思っていたんだ。笑っちゃいけないのかな。

恋のかけひき?、マニュアル?、そんなこと実践して、その先に一体何がある。何が残る。むなしいだけだろ。相手を意中のままに操ること、それが恋、ましてや愛なのか。おれは違う。いや、違くなる。もう二度とそんなことしない。毎日連絡入れてやる。コンビニだって毎日行ってやる。好きな気持ちをじらさない。隠さない。だけど縛りはしない。恋に対して奴隷になる。ならなきゃいけない。

レイは、それを実践したよ。子供みたいに目を輝かせてさ。神見も、まんざらじゃなかったみたいね。いつも嬉しそうにしてたよ。なんせ、初めての彼氏だし。初めての彼氏が同年代の大人ぶった子供じゃなかったって部分は、良かったことかもしれないね。

神見の誕生日には、ふたりで遊園地に行ったっけ。乗り物を待つ長い列、ちょっとしらけ始めた恋人同士が目立つなか、ふたりはあきることなく愉しく語り合っていたよ。神見は映画も本もほとんど読んだことなくてさ。どうやら世間ってやつも、あんまり知らないっぽい。コンビニでバイトしてるのが奇跡的とさえ思えるほどだよ。

神見はレイのそれらから受け売りのままの知識が、とても新鮮だったらしいよ。ほんと、回転寿司では回ってるベルトの上から皿ごと取らなきゃ駄目さ、なんて話にさ。時には目を丸めたり、時には目を細めて、レイのやる他愛ないギャグに腹を抱えて笑ったり。レイは「神見は今までどこで何をしていたのだろう」って、何度となく思った。だってさ、彼女、なんでも新鮮らしかったから。でもそれは訊かなかったよ。訊けなかったよ。神見がそれを語ることはなかったし、どちらかというとそれを遠ざけている節がある。そしてレイはその理由をなんとなくわかっていた。

その遊園地の帰りに、レイは神見にプレゼントを渡した。それは赤い小さなイヤリングで、

「勝手に選んじゃったけど、気に入らなきゃ捨てていいからね」
「捨てないよ。きっと」

だってさ。レイはとっても、嬉しくなっちまってやんの。

蜜月、ま、蜜月だよ。ふたりはハチミツみたいにどろっとした甘ったるい時間を共有してたよ。人は置かれている立場で変わると云うけど、レイは変わったよ。自分勝手な日々から、誰かのための日々に変わったんだ。だから、1日24時間じゃ足りないんだろうよ。まったくもって生意気な野郎だ。しかし、蜜月も、しばらく、しばらくでしかなかった。なに、ふたりにその責任はないよ。ないね。そんな犬も食わないような話したって、しようがないしさ。

神見の誕生日から幾日経ったろう。レイははじめて、“ちゃんとした形”で、神見の実家に行った。行くことになった。気分は最低だった。

神見からのお願い?、両親との面通し?、ま、当たらずも遠からず。レイは神見の父親に呼び出されたんだよ。

虫の知らせかどうかしらないけど、その日レイは目覚まし時計のベルがつんざき鳴る5分前に目を覚ました。そして起きしなに、目覚まし時計の代わりに携帯電話が震えに震えた。画面を確認すると野木毛神見。珍しく神見からの電話だと思って、嬉しさを噛みしめながら携帯電話に出てみれば、見知らぬ声知らぬおっさんが向こうで怒声を張り上げている。朝。こんな状況で、君ならどうする?。

レイはまず、鼻笑いをしちゃったんだ。これはまずかったね。相手は余計怒り狂ってさ。レイはますますことの次第がわからなくなった。携帯電話の画面に表示されている文字は、天女みたいな神見なのに、手におさまる機械の内部が振動して出し伝えている声は怒りに怒ってタンが絡んでるのも無視して自分を怒鳴りつけるおっさん。わかることは声にやたらエコーかかってる。さすがに、番号間違えてませんか、とレイは言わなかったよ。ありえないからね。相手はレイの名前をはっきり言っちゃってるし。

すぐにその人物が神見の父親だとわかった。相手はそう何度も名乗ってたからね。エネルギー不足のレイの脳には外国の呪文のように聴こえていただけでさ。そして、今日のデートがおしゃかになったことも理解した。そして、神見の父親が自分の家の前にいて、そこからわめきちらしていることもわかった。やけにエコー効いてる理由がわかった。ステレオで聴いていたからだ。ストーキングはやっちゃ駄目なことだと、レイはやられてはじめて心から理解したよ。

まるで野良犬を引っ張るように神見の父親に引き立てられながら、レイは神見の家の前に来た。道中は無言だったけど、オヤジの背中は張り裂けんばかりに怒ってた。実に20分ものあいだ、その背中をレイは見ていた。レイの家族が出払っていたことは心から幸いだったと思える。家の前に来た時、レイは改めてその家構えの全体を見た。やはり、異様だ。

自分の生まれ育った町だからこそ、普段赴くことのない地域がある。ましてや交通整備された23区内となれば生活の範囲というのは限りなく狭まれ、それは踏切を越えた先だったり、大きな国道の向こうだったり、小学校の時分に「ここから先はあっちの学校」と決めて立ち寄らなかったりしたように、無意識にテリトリーを築き上げ、生活の範囲を狭めている。近くにあるのに、電車を乗り継いで行く場所よりも遠く、知らない町。実家から歩いて20分、こんな近くにこんな得体のしれない建物があるとは。地元民だからこその盲点、いや、地元民だからこそのタブーだったのかもしれない。

外部からの侵入、詮索を拒む高い金属の立て板に取り囲まれ、外からは中をうかがい知ることはできない。まるで要塞のよう。そのフェンスには、なんだかよくわからない紋様がペンキで描かれていたのであろう形跡が見受けられるけど、今ではところどころ剥げ落ち、かすれ、色褪せ、おそらくはその用をなしてないはずなんだけど。外から見えるものは、二階建ての無彩色のコンクリート家屋と、その高い立て板よりも高い、内側すぐにある門だ。その門の真ん中に不気味なオブジェがある。昔、理科の教科書でみたことあるような、ないような。ストーカー時代、レイは、「ああ、厄介な家なんだ」と思った。ゴミ屋敷じゃないけどさ、こんなことするのは気違いか気違いだよ。それをわかってはいたが、抱いた。

オヤジに連れられ、ちゃちなアルミ扉から中に入ると、そこそこ広い庭を埋めつくさんばかりにいくつものビーチパラソルが花開いている。殺風景な外観からはまるで想像できないリゾート。レイは、衛星写真から身を守っているに違いない、と思った。こんな広い敷地があるのに駐車場はどうしてるんだろう、とこんな時にレイの脳みそは変に理屈っぽいことを浮かびあがらせたが、よく考えてみれば、車を持っているなら車でご参上ならせられるなとひとり納得した。

当然、ヤバいな、とレイは思っている。今から始まる何らかの話し合いは、文字通り相手のホームで行われる。公平もクソもない。議論もなにも、借りてきた猫みたくなってしまうことはうけあいだ。

大事なことは、これから家の中に入り、いざってことがあるようなら“道場破り”をするしかない。それだけをレイは瞬時に決めたよ。具体的に何が“道場破り”なのかどうかはレイもわからなかったけどね。意気込みってやつだからさ。

レイは何か今置かれている状況のヒントがないかと、敷地内を飼い主に見つからないようキョロキョロしたよ。手持ち無沙汰じゃ心許ないからさ。そしたら、あったね。ばっちり。玄関に。

“正統救済アノマロカリス教本部”

ってさ。でっかく、立派に、玄関の横に看板が。

アノマロカリスが何なのか、突然だったってこともあってわからなかったけど、教、の意味はわかるし、なんなら、本部、の意味もわかる男だからねレイってやつは。

「ああ、そっちね」

レイはひとり納得して、これからのことは、神見がどんな顔してるのか、それ次第で言動を決めよう、とそんなこと思って、家ん中入ったよ。