宅配屋と喫茶店(21、最終回)
「へえ、あいつらが結婚か」
「なんですかそのさっぱりした言い方は、土居さん、まさか、知ってたんですか?」
早朝、もとの担当地区に戻った祐平と克明は、しみったれたロッカールームで顔を合わせた。
「いや、知らねえ。知らねえが、年末に沖田からかなり年上の、40代の彼女ができたと相談されたことはあった」
「…にぶ過ぎだろあんた」
「そう言うなよ。40代の彼女があのジュディにつながるわけないだろ」
「つながりますよ普通。まず真っ先につながりますよ普通」
「まあおれも色々準備で忙しかったからなあ」
「はあ。しかしそのことを僕にも言ってくれりゃ、あんなに驚きの対面になることはなかったのに」
「受けた相談をおれがお前に?」
「そうですよ」
「はっはっはっ、おれはこう見えて、口は堅いんだ。秘密は墓場まで持ってくタイプなんだよ」
「言う割に今あっさりゲロしましたよね」
「いや、これはもう済んだ話だろ」
「土居さんに秘密を秘密のまま処理する能力があるとは思えないですけどね」
「ははは、まあ、そうかもな」
そう言った克明だが、土居克明は終生、祐平とジュディのキスの件を秘した。なかなかどうして、この土居克明、男だ。
「ところで、準備ってなんの準備ですか?」
「ああ、引っ越しとかのな。おれ今月でこの仕事辞めるんだよ」
「あははウケる。じゃあおれそろそろ行きます」
「おい、そのリアクションおかしいだろ!。随分と、おれ随分と重大なこと言わなかった!?」
克明は本当にロッカールームから出て行こうとした祐平の肩をつかみ、引き留めた。
「痛いなあ。どうせあれでしょ?。プロレスラーになるメドがついたからって話でしょ?」
祐平は克明がこの仕事を辞めると言った刹那、ほんの少し、自身の瞼にたまる液体を感じ、こっぱずかしくなり、それを克明に察せられないようああいう行動をとっていた。
「どうせってお前なあ。まあ、その通りだけど」
「誰か辞めるとは薄々感じてはいましたが、まさか克明さんだとは」
「おいおい、まずおれが辞めると感づけよ。おれはプロレスラーになるって言ってたろ」
「口だけ番長かと思ってましたよ」
「ひでえなおい」
ロッカールームの空気が冬なのにしんみりと湿度を帯びたなら、何か良いことを言わなければならないと、克明は、
「お前はどうするんだ?」
と、言った。
「僕ですか?」
「お前さ、若いじゃん。おれより若いしさ。まだまだこんなとこで落ち着く歳じゃないだろ。やりたいこととかよ、夢のひとつもあるだろ」
克明の生ぬるい問いかけに、祐平は、
「はあ、それがまた、特にないんですよ」
と、答えた。
「そうか。お前はあれだもんな。なんだかんだ、受け身だもんな。人生に対してさ」
克明の言葉に、祐平は子供みたくムッとなった。
「なんですかそれは。僕にだって夢のひとつやふたつありますよ。土居さんみたく言い触らさなだけでね」
「それが受け身だって言うんだよ」
克明は諭すように言った。
「おれのことを口だけ番長ってお前は言ったけどよ、気持ちの上だけ番長ってのはもっと、なんつうかな、人生というたった一度しかないものの進展性がないぜ」
「………」
祐平は黙った。そんなことは言われなくてもわかっているが、わかりたくないことでもあった。
「人の人生なんてよ。神様がくれたおまけみたいなもんじゃねえか。たった一度のさ。こりゃおふざけだぜ。おふざけが許されてんだよ。そんなら楽しくやればいいんだ。おれはいざ死ぬってときに、後悔したくないんだよ。おれの人生つまんなかったなってなりたくないんだ。真にやりたいようにやって生きたいように生きれば、あんときああしてりゃ良かったこんときこうしてりゃ良かっただの、きっと後悔はしないんだ。たとえそれが世間一般でいわれる負け組のような人生だったとしてもだ。おれにとって後悔の種をおれの人生に蒔くかどうかは今なんだ。お前の後悔を生む種がいつ蒔かれるか、もう蒔かれたか知らねえが、少なくともお前はこの仕事を好きでやってるわけじゃないだろ。なあ、お前はどうすんだ?」
「そんなこと急に言われても」
祐平はぐぐもりながらもやっとの思いでそう言った。
「お前さ、やることがねえんなら家に帰れよ。別にお前のことバカにして言ってんじゃねえぜ。意地はってるかなんだか知らねえけど、お前見てるとさ、家から逃げてるとしか思えないんだ。そんなものは自立でもなんでもないよ。結局のところ家に依存してるんだ。まあ、それは言い過ぎかもしらんけど、お前みたいにやることもねえ夢もねえ、でも家業はあるってんならさ。家に帰れよ。のらりくらりてきとーに生きたいってんなら、それが一番楽だろ。別にお前をバカにして言ってるわけじゃないんだ。おれだってプロレスラーになってマットの上に花を咲かせたいなんて思っていなければ、こうして日銭を稼ぐしかないただのダメ人間だよ。今だってただのバカだ。たまたま強烈にやりたいことがあって、それに行動のベクトルが向いてるだけなんだよ。ましてやおれの親は健在だけど」
「土居さん、もう時間ですよ」
祐平はそう言って克明の話を止めた。
「そうか、ま、今の話は新しい生活を目の前にした男の、不安と興奮のはけ口だと思って忘れてくれ。ただ、なんか最近、おれのことも含めて身の回りが賑やかだからな。お前もこの波に乗るのも悪くないぜ」
それから、特に克明とは不仲になるわけでもなくこういった話をするわけでもなく、仲の良いまま、ひと月が過ぎ、克明は世話になった人々に囲まれて宅配屋を辞めていった。
数ヶ月後、祐平は未だ宅配屋をしていた。
指名手配犯と思しき男はやはり指名手配されたその人で、1月初旬に本来のエリア担当者の通報により逮捕された。しばらく動乱が祐平の身の回りにも及んだが、祐平の部屋の冷蔵庫には、彼からもらった缶ビールがまだ入っている。
ジュディと沖田はめでたく結婚式を挙げた。その式に、マスター夫婦は列席した。メディアには、「年の差ビビっと婚」と賑やかに踊ったが、その際、大手新聞社に実年齢をバラされたジュディの怒りによってあっという間に沈静化した。ジュディの怒りは凄まじく、ジュディは段筆を宣言し、その新聞社に連載していたジュディの小説は唐突に最終回をむかえた。その小説はほのぼのとした家族物の作品だったが、最終回にして主人公の若奥さんが突然発狂し、家族を皆殺しにするというなんともはやな終わり方だった。その最後の一文にはこうある。
「空を見ろ、この重く青く透き通りある蒼空を見ろ、不気味に存在するこの蒼空を、君は不安にならないか、この空の青さを、この青さの彼方に、薄皮一枚超えればそこには未だ謎に包まれた宇宙がある、繋がっているのだ謎に満ちた空間とこの場所は、君よ、死を待つ仮装行列に列んでいるだけの君よ、死ね、今死ね、魂が空に還るというのなら今すぐに死ね、人生はマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者マスク剥ぎマッチ)だ。他人に化けの皮を剥がされまいとビクビク生きていたってなんだというのだ、己のマスクを死人の血で汚してなにになるというのか、おまえの生命は生きながらにして死んでいる、だから死を携えればこそ、この空を越え青を越え、宇宙へ導かれるのだ、確かにそこに自在に包まれた生命がある、生きるというならさあ死ね今死ね、君の死はやがていたいけな異国の少女の耳に入り、少女に一筋の涙を与えるだろう、その一筋の涙はこれから生きる君の生涯を以て代え難い代償だ、だから死ねさあ今死ぬのだ、死ぬことも満足にできぬやつに生きてる価値などないのだ、死んだことの無い奴に、死後の世界などわかりやしない!。さあ!さあ!死して初めて解き
放たれろ!未知の水泡を越え、謎を謎としない存在となり、自在に描かれた生命の日々を!新しい日々を!想え!さあ!想え!(了)」
それを読んだ祐平は、やはりこいつは好きになれない、と思った。
ジュディの担当編集だった梨田は、都会の空気があわないと、田舎に引っ込んだ。
数年後、土居克明はプロレスラーとしてデビューしたものの、相次ぐ怪我に泣かされ、静かに引退して、今ではデビューした団体の裏方になっている。
祐平は、宅配屋を辞めて、喫茶店での再開以来和解の進んだ実家に戻った。父親は、兄に子供が出来てからというものすっかり、祐平の記憶にある父の顔ではなくなった。
あの喫茶店には、毎年、正月に赴いては、マスター夫婦と父親とともに毎年変わらぬ思い出話に花を咲かす。正月の喫茶店には祐平たちだけではなく、あんな人も、こんな人も。
父が孫と遊ぶ姿を眺めつつ、家業を継ぐことが一番楽だ、と、祐平は思った。
終わり。にゃは
「なんですかそのさっぱりした言い方は、土居さん、まさか、知ってたんですか?」
早朝、もとの担当地区に戻った祐平と克明は、しみったれたロッカールームで顔を合わせた。
「いや、知らねえ。知らねえが、年末に沖田からかなり年上の、40代の彼女ができたと相談されたことはあった」
「…にぶ過ぎだろあんた」
「そう言うなよ。40代の彼女があのジュディにつながるわけないだろ」
「つながりますよ普通。まず真っ先につながりますよ普通」
「まあおれも色々準備で忙しかったからなあ」
「はあ。しかしそのことを僕にも言ってくれりゃ、あんなに驚きの対面になることはなかったのに」
「受けた相談をおれがお前に?」
「そうですよ」
「はっはっはっ、おれはこう見えて、口は堅いんだ。秘密は墓場まで持ってくタイプなんだよ」
「言う割に今あっさりゲロしましたよね」
「いや、これはもう済んだ話だろ」
「土居さんに秘密を秘密のまま処理する能力があるとは思えないですけどね」
「ははは、まあ、そうかもな」
そう言った克明だが、土居克明は終生、祐平とジュディのキスの件を秘した。なかなかどうして、この土居克明、男だ。
「ところで、準備ってなんの準備ですか?」
「ああ、引っ越しとかのな。おれ今月でこの仕事辞めるんだよ」
「あははウケる。じゃあおれそろそろ行きます」
「おい、そのリアクションおかしいだろ!。随分と、おれ随分と重大なこと言わなかった!?」
克明は本当にロッカールームから出て行こうとした祐平の肩をつかみ、引き留めた。
「痛いなあ。どうせあれでしょ?。プロレスラーになるメドがついたからって話でしょ?」
祐平は克明がこの仕事を辞めると言った刹那、ほんの少し、自身の瞼にたまる液体を感じ、こっぱずかしくなり、それを克明に察せられないようああいう行動をとっていた。
「どうせってお前なあ。まあ、その通りだけど」
「誰か辞めるとは薄々感じてはいましたが、まさか克明さんだとは」
「おいおい、まずおれが辞めると感づけよ。おれはプロレスラーになるって言ってたろ」
「口だけ番長かと思ってましたよ」
「ひでえなおい」
ロッカールームの空気が冬なのにしんみりと湿度を帯びたなら、何か良いことを言わなければならないと、克明は、
「お前はどうするんだ?」
と、言った。
「僕ですか?」
「お前さ、若いじゃん。おれより若いしさ。まだまだこんなとこで落ち着く歳じゃないだろ。やりたいこととかよ、夢のひとつもあるだろ」
克明の生ぬるい問いかけに、祐平は、
「はあ、それがまた、特にないんですよ」
と、答えた。
「そうか。お前はあれだもんな。なんだかんだ、受け身だもんな。人生に対してさ」
克明の言葉に、祐平は子供みたくムッとなった。
「なんですかそれは。僕にだって夢のひとつやふたつありますよ。土居さんみたく言い触らさなだけでね」
「それが受け身だって言うんだよ」
克明は諭すように言った。
「おれのことを口だけ番長ってお前は言ったけどよ、気持ちの上だけ番長ってのはもっと、なんつうかな、人生というたった一度しかないものの進展性がないぜ」
「………」
祐平は黙った。そんなことは言われなくてもわかっているが、わかりたくないことでもあった。
「人の人生なんてよ。神様がくれたおまけみたいなもんじゃねえか。たった一度のさ。こりゃおふざけだぜ。おふざけが許されてんだよ。そんなら楽しくやればいいんだ。おれはいざ死ぬってときに、後悔したくないんだよ。おれの人生つまんなかったなってなりたくないんだ。真にやりたいようにやって生きたいように生きれば、あんときああしてりゃ良かったこんときこうしてりゃ良かっただの、きっと後悔はしないんだ。たとえそれが世間一般でいわれる負け組のような人生だったとしてもだ。おれにとって後悔の種をおれの人生に蒔くかどうかは今なんだ。お前の後悔を生む種がいつ蒔かれるか、もう蒔かれたか知らねえが、少なくともお前はこの仕事を好きでやってるわけじゃないだろ。なあ、お前はどうすんだ?」
「そんなこと急に言われても」
祐平はぐぐもりながらもやっとの思いでそう言った。
「お前さ、やることがねえんなら家に帰れよ。別にお前のことバカにして言ってんじゃねえぜ。意地はってるかなんだか知らねえけど、お前見てるとさ、家から逃げてるとしか思えないんだ。そんなものは自立でもなんでもないよ。結局のところ家に依存してるんだ。まあ、それは言い過ぎかもしらんけど、お前みたいにやることもねえ夢もねえ、でも家業はあるってんならさ。家に帰れよ。のらりくらりてきとーに生きたいってんなら、それが一番楽だろ。別にお前をバカにして言ってるわけじゃないんだ。おれだってプロレスラーになってマットの上に花を咲かせたいなんて思っていなければ、こうして日銭を稼ぐしかないただのダメ人間だよ。今だってただのバカだ。たまたま強烈にやりたいことがあって、それに行動のベクトルが向いてるだけなんだよ。ましてやおれの親は健在だけど」
「土居さん、もう時間ですよ」
祐平はそう言って克明の話を止めた。
「そうか、ま、今の話は新しい生活を目の前にした男の、不安と興奮のはけ口だと思って忘れてくれ。ただ、なんか最近、おれのことも含めて身の回りが賑やかだからな。お前もこの波に乗るのも悪くないぜ」
それから、特に克明とは不仲になるわけでもなくこういった話をするわけでもなく、仲の良いまま、ひと月が過ぎ、克明は世話になった人々に囲まれて宅配屋を辞めていった。
数ヶ月後、祐平は未だ宅配屋をしていた。
指名手配犯と思しき男はやはり指名手配されたその人で、1月初旬に本来のエリア担当者の通報により逮捕された。しばらく動乱が祐平の身の回りにも及んだが、祐平の部屋の冷蔵庫には、彼からもらった缶ビールがまだ入っている。
ジュディと沖田はめでたく結婚式を挙げた。その式に、マスター夫婦は列席した。メディアには、「年の差ビビっと婚」と賑やかに踊ったが、その際、大手新聞社に実年齢をバラされたジュディの怒りによってあっという間に沈静化した。ジュディの怒りは凄まじく、ジュディは段筆を宣言し、その新聞社に連載していたジュディの小説は唐突に最終回をむかえた。その小説はほのぼのとした家族物の作品だったが、最終回にして主人公の若奥さんが突然発狂し、家族を皆殺しにするというなんともはやな終わり方だった。その最後の一文にはこうある。
「空を見ろ、この重く青く透き通りある蒼空を見ろ、不気味に存在するこの蒼空を、君は不安にならないか、この空の青さを、この青さの彼方に、薄皮一枚超えればそこには未だ謎に包まれた宇宙がある、繋がっているのだ謎に満ちた空間とこの場所は、君よ、死を待つ仮装行列に列んでいるだけの君よ、死ね、今死ね、魂が空に還るというのなら今すぐに死ね、人生はマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者マスク剥ぎマッチ)だ。他人に化けの皮を剥がされまいとビクビク生きていたってなんだというのだ、己のマスクを死人の血で汚してなにになるというのか、おまえの生命は生きながらにして死んでいる、だから死を携えればこそ、この空を越え青を越え、宇宙へ導かれるのだ、確かにそこに自在に包まれた生命がある、生きるというならさあ死ね今死ね、君の死はやがていたいけな異国の少女の耳に入り、少女に一筋の涙を与えるだろう、その一筋の涙はこれから生きる君の生涯を以て代え難い代償だ、だから死ねさあ今死ぬのだ、死ぬことも満足にできぬやつに生きてる価値などないのだ、死んだことの無い奴に、死後の世界などわかりやしない!。さあ!さあ!死して初めて解き
放たれろ!未知の水泡を越え、謎を謎としない存在となり、自在に描かれた生命の日々を!新しい日々を!想え!さあ!想え!(了)」
それを読んだ祐平は、やはりこいつは好きになれない、と思った。
ジュディの担当編集だった梨田は、都会の空気があわないと、田舎に引っ込んだ。
数年後、土居克明はプロレスラーとしてデビューしたものの、相次ぐ怪我に泣かされ、静かに引退して、今ではデビューした団体の裏方になっている。
祐平は、宅配屋を辞めて、喫茶店での再開以来和解の進んだ実家に戻った。父親は、兄に子供が出来てからというものすっかり、祐平の記憶にある父の顔ではなくなった。
あの喫茶店には、毎年、正月に赴いては、マスター夫婦と父親とともに毎年変わらぬ思い出話に花を咲かす。正月の喫茶店には祐平たちだけではなく、あんな人も、こんな人も。
父が孫と遊ぶ姿を眺めつつ、家業を継ぐことが一番楽だ、と、祐平は思った。
終わり。にゃは