宅配屋と喫茶店(16) | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

宅配屋と喫茶店(16)

町にクリスマスがやってきた。街では小便臭いミニスカサンタが疲れた人々に一夜の現実を金にかえているが、どれもこれも、祐平には関係ない。
「今日はクリスマスっつうもんじゃらほい、もんじゃけわっせ」
そんな、下町のクリスマス。
とはいえ、Dでは、土地が都内では比較的安いため、若者夫婦が多く、外面は結構な盛り上がりを見せている。街路樹を彩るイルミネーションも、ある。ピカピカと青白く光ってきれいだ。
祐平はただ、いくつかある、プレゼントをミニスカサンタの代わりに人々へ届けるのみ、そういうクリスマス。プレゼントの受け取りにはハンコかサインが必須だ。クリスマスだからといって、特に何かあるわけではない祐平。振り返れば高窪祐平は、クリスマスパーティーというものに参加したことがない。子供のころからずっとだ。強いて言えば、今日の特製サンドイッチの具が、昨夜の帰り道で、多少酒に酔った際の戯れに買った、生クリームとミカンの缶詰めであるということだけだ。それを作りながら祐平は、「胃がイガイガしそうだな」、と、しょうもないことを思った。

朝、克明をひろった時は、特に普段と違う会話をしなかったが、昨日会った沖田とは昨日のことを話した。それもお互い時間に追われながらのわずかな一時だが。

「昨日はすいませんでした」
「いや、楽しかったよ。それより、そっちは山下ジュディと何を話したの?」
「何っていう何かを話したわけじゃないんですけど」
「大体さ、ジュディはなんでおれ達をつけまわしてるんだろうか?」
井戸端会議に花を咲かせるわけにはいかないので、祐平は次々と沖田に質問を浴びせた。沖田の返答から何か考えるのは、今でなくていい。
「それは、後学のため、とかなんとか言ってましたよ」
「おれの悪口言ってなかった?」
「はは、いえ、特に」
「梨田君は元気だった?」
「梨田?」
「ほら、ジュディにひっついてる老け顔の」
そう言いながら祐平は、このかわいい顔した沖田とあの梨田が同い年だと今わかり、ちょっと吹き出したが、沖田はそれを変な咳をする人だと思った。
「ごめん、梨田君ってほら」
「いや、梨田なんて人はいませんでしたよ」
「へえ」
まあそんなこともあるよな、と祐平はシンプルに思った。
「それどころか、ふたりきりでしたから」
「えっ」
祐平はそれを聞いて驚いたが、まあそんなこともあるよな、とシンプルに受け止めた。
「それもそうなんですが、ちょっと僕風邪気味になっちゃって。ほら、僕、昨日髪の毛乾ききってないままに外に出たから」
祐平と沖田の間では珍しく、沖田が会話の舵をきった。
「ああ、大丈夫?。ごめんね、おれがちょっかい出しに行ったばかりに」
「いえ、高窪さんのせいだなんてそんな」
「はは」
「強いて言って、誰かのせいにするというなら、僕はひとり適任者を知っていますし」
「土居さんなあ。あの人はほんと、よく言えば裏表ないよなあ」
柳に風、といった思考状態では、それた話の道筋を正すことなどできない。
「そうですね。…悪く言うとなんですかね?」
この時ふたりは、宅配物を整理するカゴの陰に隠れて会話を盗み聞きしている克明に気がついた。
「…人間の屑かな」
「おい!」
ここぞとばかりに克明が物陰からでてきた。
「人が聞いてないと思ってムチャクチャ言いやがって。おまえらの精神を疑うわ」
「人の話を盗み聞きしてたあんたに言われたくないですよ」
祐平はニヤリとして言った。
「言うにことかいて人間の屑とはなんだ屑とは」
「屑とは、まあ平たく言やあ、ゴミのことですね」
「そうそう、ゴミね。ちょっと粋な店だとゴミ箱の名札に“美を護る”と書いて護美箱だと書かれていたりってコラ。屑の説明はいいんだよ」
「うわあ、おれ、一般人がノリツッコミしてるとこ初めて見ましたよ」
「えっ、そう?」
「はい、残念です」
「初めての経験がおれだから!?」
「とても残念です」
「そう、ごめんね。なんかごめん」
「ほんと克明さんって人の役に立たない屑だなあ」
「おいおい、人のことを指して屑とはなんだ屑とは」
「屑っていうのは、まあ平たく言えば」
同じやりとりを延々と五回ほど繰り返していたら、気がついた時には時間が差し迫っていた。
こんなことをしている場合ではない。気がついた三人はいそいそと作業に戻った。

途中から克明がわいて出たこともあり、いまいち、祐平にはジュディの行動理念がわからないままだ。キスの件にしても、祐平はジュディに“させられた”と思うようになっていた。

クリスマスイブ頃にもなれば、宅配物の総量は繁忙期の最盛期よりもグンと減る。それでも普段よりは多いのだが、もうさばききれないといったことはない。
こうなってくると、祐平達には臨時ドライバー達より少し早く、若干、時間的余裕ができる。宅配個数がバイト代に繋がる臨時ドライバー達のために、自分の宅配物を減らして向こうに、宅配個数が減らないよう、多く任せるからだ。
クリスマスが終わると、在宅率が格段に上がるということもあり、繁忙期の嵐のような忙しない日常が通り過ぎ、一気に暇とも言える状況になる。具体的に言えば、昼食を車内で取らなくても大丈夫な状況になる。
以降の日々は、29日まで契約しているバイト達に宅配物を工面するのがやっととなるほどだ。
そういった事情からくる祐平の油断からか、この日、最後の山場に、ほんの些細な事件が起こった。

午後7時、ついに本格的に始まった日時と時間が指定された色とりどりの包装にくるまれた宅配物を祐平が慎重に配っていると、沖田から電話がかかってきた。

「すいません。おそらくですが、バッテリーあがりました」
「OK、わかった」

これはしようがないことなので、サンタとしての意気を折られはしたがもちろん祐平は怒らない。すぐさま沖田のもとに向かう。沖田は中央ハイツの駐車場にいた。
「よし、じゃあ今日はエンジンを切らないでね。なんかあったら連絡して」
軽バンの後部にあるバッテリーを復活させた祐平は、その鼻に、ほのかに香るキンとする香ばしい匂いを感じていた。
(一体この匂いはなんだろう。)
気にはなったが、頭にその匂いのもとが思い浮かばなかった。
沖田が頭を下げながら車を発進させようとして、すぐにまた車から降りた。降りてきた沖田は、さっきの申し訳ないといった表情よりも、青い顔をしていた。
「どうした?、動かない?」
祐平が沖田に訊くと、沖田は、
「動きます。でも、車内が異様に酒臭いです」
と、答えた。
祐平はさっき鼻に感じた匂いのもとに納得がいくと同時に、車内で何が起こっているのかもすぐにわかった。
車内で宅配物である酒瓶が割れているのだ。
その酒瓶は移動の際の負荷によるものか、缶ジュースがたっぷり詰まったお歳暮と床の間に挟まっていて、濡れていた。
「うわあ、やっちゃってんなこりゃ」
「すいませんすいません」
この世の終わりみたいな表情で平謝りに頭を下げる沖田。沖田がこのバイトを始めてから初めての宅配物欠損だった。しかし、祐平にとってみれば、さすがに酒瓶が割れることは初めてだったが、物にならないほどの欠損自体はよくあることだった。
その中身が漏れている宅配物を取り出し、周りの宅配物に被害という被害がないことを確認すると、祐平は沖田に、
「酒臭いなあ。飲酒運転になんのかなこれ」
と、軽口を言った。沖田はただ、すいません、と応えるのみだったが。
「不幸中の幸いだよ。ほら、これカタログギフトのやつだ。よかったじゃん。これがクリスマスに飲む大切なシャンパンだなんだってなってたらめんどくさかったけどね。これならどうとでもなるから」
「すいません」
「いいよいいよ」
「これはその、どうなるんですか?」
「ああ、これはね、お客さんに後日同じ商品をお届けする、まあ言っちゃえばそれだけだから」
「すいません」
「いいよいいよ。よくあることなんだから。去年のバイトさんなんか車の屋根に荷物置いたまま発進しちゃってさ。交差点で荷物飛ばしちゃってそれが散歩中の犬にぶつかってね。でもバイトさんはそれに気がつかないで行っちゃって、警察沙汰になったんだから。それに比べたらこんなもの、気にするこたないよ。沖田君は気にせずにさ、いつも通りに仕事を続けて。あ、エンジンは切らないでね」
「はい、すいません」
「あ、あと、寒いだろうけど、酒の匂いがなくなるまでは一応窓を開けといてね」
「はい、お手数おかけして、すいませんでした」
「いいっていいって、ああそうだ、一旦あっちに戻るから、いくつか荷物引き受けてくれない?」
「そんなことでしたらいくらでも」
「はは、受け取りの扱いはそっち持ちでいいからさ」
「すいません。ありがとうございます」
「じゃあ、がんばってね」
「はい、すいません」

といった、後日談もない本当に些細な事件だった。そして、この日はこれだけだ。他に何かあったかと云えば、例の指名手配犯“らしき”家に、あの日以来再度訪れ、何食わぬ顔をしてサインをもらっただけだ。だけだ。

イブからクリスマスになるその瞬間、祐平は営業所にいた。沖田達バイトはもう帰っている。
残務を処理していると所長からクリスマスケーキの差し入れがあった。こんなことは初めてだ。わけを訊けば、やはりジュディの差し金だった。
その時、ジュディから祐平にと、祐平は所長から手紙を渡された。
内容は杓子定規の、決まりきったお礼状だった。
その薄い撫子色の便箋に書かれた文字は、ニコチンにやられたミミズみたくのたうち回った解読にコツを要する字で、祐平は苦笑いを浮かべた。

沖田の契約最終日、祐平はセンター長に言われた通り、沖田に「この仕事を続けるつもりはないか」と訊いた。
沖田は、「すいません、それは考えていません」と、それをはっきり拒み、祐平は苦笑いを浮かべた。
天皇誕生日の休み以来、喫茶店が正月休みになったこともあり、マスター夫婦とはすれ違いの日々だった。祐平はそれを少し嬉しく思っていたが、正月に会わないわけにはいかなかった。