宅配屋と喫茶店(12)
無言の時を挟んでは、ひょんなことをきっかけにぶり返す悪言の応酬。長く、ひたすら長く、それは続いた。あたりはもう夕闇を過ぎ、夜の帳がおりてきていた。
「人を見下す前に自分のやってること考えろ」
「そうやって時代におもねって、人にこびへつらって、そのくせバカにしてよ、てめえが一番バカじゃねえか」
「養生テープでぐるぐる巻きにして、あの、得体のしれぬオブジェとして、なんだ、ゴビ砂漠に捨ててやろうかコノヤロウ」
あまり怒声を張り上げたことのない祐平は、いささか迫力にかけた。
「あんたみたいな人間が一番バカだよ。なにもできないくせして」
「いきがってんのはどっちだ、いくじなし」
「ヨウジョウテープってなに!?」
ジュディはジュディで、段々と心ここに在らずといったようになってきた。
「養生テープってのはこの緑色のなにかと頼りになる、あんたが荷物を破損させた時などに応急処置としてって、そんなこたどうでもいいんだよ!、そもそもなんであんたはここに居るんだ!。迷惑なんだよ!」
「足手まといだと言いたいの!?」
「あんたのせいでこちとら仕事が増えてんだよ!、なんでおまえはここに居るんだ!」
「それは」
信号待ちで停車すると、無言になることがいつしかルールになっていた。
ジュディが意を決したようになにか言いかけたその時、
ドンドン、と助手席側の車体を叩く音がした。
びっくりした祐平が振り向くと、びっくりしたジュディが外に目をやると、
憔悴した悲しげな瞳に、放課後の少年のような嬉しさをたたえた梨田が、ドアを叩いていた。
「さあできた。祐平君ちょっと味見してって」
祐平の前に出された、奥さんがかかりっきりになっていた新メニューとは、スープカレーだった。緑色したグリーンカレーだ。ジャガイモやニンジン、そのほか旬の野菜やキノコがごろごろと入っている。
「おいしそうですねえ」
祐平は、流行に乗るにしても後追いすぎやしないか、と思ったが、そんなことはおくびにも出してはいけない。
「ほんで、そのあとは?」
マスターが祐平に話の続きを促す。もちろん祐平は自分にとって都合の悪いことは話していない。つまり、指名手配犯のことや、ジュディとのじゃれあいのこと、すなわち、あの売れっ子作家山下ジュディを乗せ、ジュディがわがまま言って困ったという話にしていた。
「まずは食べてもらわなきゃでしょ」
と、奥さんがマスターを止めた。そしていつもの丁丁発止のやりとりが繰り広げられ、猫舌の祐平は湯気を吹くカレーを前にちょうどいい時間稼ぎができた。
止まらぬやり合いとカレーの熱の頃合いをみて、
「ではいただきます」
と、祐平はカレーを口に運んだ。
「どう?」
祐平がぶつを口に途端に、夫とのやり合いを中止して奥さんが声をかけた。
「あ、おいしいですよこれは」
もぐもぐと咀嚼しながらそう祐平が言った瞬間、奥さんのカレーはその底力を発揮した。
「……………!!」
辛い、やたらめったらに辛い、全身が凍てつくように辛い、痛い。祐平のスプーンを運ぶ腕の動きが止まったのをみて、奥さんはニヤリと笑った。
「どう?、辛いでしょ」
「はひ、からいでひ」
もともとあまり辛いのが得意ではない祐平だが、これは辛すぎる、人間の食べるものではない。
一瞬にして祐平の額から鼻から頬から脇からすねから、全身から汗が噴き出してきた。マスターと奥さんの手間、じっと耐えてはいるが、誰もいなかったらのた打ち回るであろうほどの辛さだった。
「おい、おまえはこんなもんを売り出す気か」
マスターが奥さんに言った。
「ただの新メニューじゃ目新しさがないでしょ」
「だからっておまえこれは」
「ほら、斬新なものってどっちかに突き抜けてるでしょ。辛さマニアっていうの?、中途半端なもん作っても意味ないからね。振り子の針をどっちかに振り切らなきゃさ。必ず当たるわこれは」
息も絶え絶えに、
「これは、ひぃ、何倍の辛さなんでしか」
と、祐平が言った。
奥さんは、
「さあ、何倍になるのかしら。ほらこれみてよ」
奥さんはエプロンのポッケから小瓶を取り出して祐平に見せた。その小瓶には大きくドクロマークが印刷されていた。
「これはねえ、去年娘がメキシコに行った際のおみやげなんだけど、世界一辛い調味料なんだってさ。これを目一杯ふりかけてみたの」
それを聞いた瞬間、祐平の体は限界に達した。冗談ではなく、死、が脳裏をよぎった。知らぬが仏というやつだ。
がくがくと祐平は震えだし、脳裏に昨日起こった光景が走馬灯のように巡る。懸案していた助手バイトが山下ジュディだったこと、ジュディが地元出身だったこと、今も右膝に残るやけどをつけた犯人がジュディだったこと、梨田が年下だったこと、ふたりはそこそこちゃんと働いていたこと、高橋さんが留守で結局終日に渡り留守だったこと、梨田が腹をこわしたこと、指名手配犯を見つけたこと、ジュディと喧嘩になったこと、梨田を拾ったこと、エリアを去る際に梨田の目を盗んでジュディと小さくキスをしたこと…………………。
次の瞬間祐平の見ている光景は喫茶店から病院のベッドの上に移った。
「すまん」
「ごめんなさい」
目を覚ました祐平にふたりが頭を下げた。
「ここは」
「病院なんだ。祐平君、倒れちゃって、いや、病気ではなくてな、こいつのカレーで」
自分の腕をみた祐平は、点滴をされていることに気がついた。
「…いやあ、病院のベッドなんて子供の頃にひきつけを起こした時以来ですよ。はは」
祐平は本来怒りから縁遠い人間だ。
二言三言言葉を交わすと、祐平は、
「あ、辛い、辛い、辛い」
と言い、水を所望した。出てきたのはカフェオレだった。
「食中毒で運ばれるってんならまだわかるが、辛いカレーを食った客が運ばれるなんて、これは食中毒よりことだぜ」
マスターは笑いながら言った。昼過ぎに病院へとかつぎ込まれたが、時刻は夕刻になっていた。失神を契機に睡眠をとったらしい。目覚めた祐平は心身ともに尋常じゃないくらいすっきりしていた。点滴のためか睡眠のためか、失神によるものか、おそらく、失神した結果だろう。他人から絞め落とされたりすると、体が異常にすっきりすることは学生時代に危険なゲームを講じている、いた者には周知の事実だ。おそらく、緊急事態に陥った脳みそが措置としてなくした時間を取り戻すよう活発に働き脳内麻薬を異常分泌するからであろう。ちょっとしたナチュラルハイだ。
「だけどさあんた、これは、イケる」
奥さんはまだ自信があるようだった。
「おまえなあ、キラーカーンがアクシデントでアンドレの足を折っちゃったことで逆に箔がついたって話じゃねえんだよ」
「怪我の功名ってやつね」
「あ、いいですね。失神者続出、君は生きて帰れるか!?激辛カレーデスマッチ60分一本勝負なんて売り文句で」
祐平はなんだか楽しくってしょうがない。
「でしょ!?、ね!、イケるでしょ!」
なにかをやろうとしている人は、止めようとする他人の意見を自分に都合のいい解釈を通してしか聞けないものだ。
「でよ、祐平君」
「なんですか」
「こんな時で悪いんだが」
「はあ」
「話の続きを」
マスターは嬉々とした表情を浮かべた。
「続きですか、えっと」
「編集を拾ったとこまでだったな、いやその、まあ、無理をしなくてはいいんだけどな」
気恥ずかしそうにマスターは笑った。
「っとその前に、退院した方がよろしくないですかね?」
祐平はこの話にマスターの期待が上がっていることに不安を覚えた。まさかキスをしたなんて言えない。この話は梨田を拾って、オチがつく話と想定していた。実際梨田を拾ってからは別段話になる、話にできるようなことなどなかった。しかし、こうもマスターが嬉しそうにしていると、サービス精神過剰と化した祐平は、話を作らなきゃならない。しかし、この気づいたら病院のベッドの上にいたという、大虎になった奴が気づいたらブタ箱にいたというような、ありそうでなさそうでだが確実にある稀有といえば稀有、ありふれたといえばありふれた状況に置かれては、まともに頭が働くわけもなく、時間が欲しかった。
これは自分のくたびれた体に問題があって起こった可能性が強い、と、祐平は支払いを受け持とうとしたが、おせっかい焼きのふたり相手にはどだい無理な話だった。
支払いの段になって、なぜか奥さんが自分の保険証を持っていたことに多少不信感を抱いた祐平だが、それはしょうがない、と追求をさけた。
マスターが運転する車の中で、祐平は話を考えたが、どうもうまくいかない。思考に邪魔が入る。ふってわいたようなジュディとの口づけによる和解という強烈なエピソードが思考の邪魔をする。
(ジュディは実は宇宙人だった!、何を考えてるんだおれは。
ジュディの陰部に蝶のタトゥーが!、いやいや、どう話と結びつけるんだよそんなこと。下ネタなんか話せるか。下手すりゃすぐバレる嘘だし。
梨田の陰部に蝶のタトゥーが!、だから、だからしっかりしろよおれ。
梨田が車内でクソを漏らした!、うん、今後うまいこと考えつかなかったらこれでいこう。帰りしなに車内で異臭騒ぎ、しれっとした顔の梨田、営業所に着いて、ちょっと間を置いて笑いながらトイレに行く梨田。よし。しかし、ありがちかな。話の構成力次第か。難しくなってきたなおい。
ジュディは実は宇宙人だった!、いやこれさっき出たよ。わけわかんねえし。
…………ジュディは実はニャントロ星人だった!、いや変えただけだろ宇宙人を。
ジュディはラエリアンムーブメント信奉者だった!、いや普通ラエリアンって言われても何事かわかるまい。ていうか、ありそうだし、カルト関連はまずい。下手に宗教の話をしていいことなんかない。それをきっかけに貴重な栄養源がなくなる可能性がある。
沖田、そうか沖田君がいた。沖田君がキスをしたことにすればいいんじゃないか!?………悪いな沖田君。ダシに使わせてもらうよ。)
三人を乗せた古いボルボが喫茶店に着くと、喫茶店の前に、スーツ姿の祐平の兄がいた。久しぶりに見る兄の姿に、祐平はどぎまぎした。とととっとふたりが兄に駆けつけ、気恥ずかしさから祐平はのっそりと車から降りた。
「この度は弟がご迷惑をかけました」
「こちらこそご面倒をおかけしました」
兄がこの場にいることを祐平は瞬時に察した。もちろん、マスターが祐平の実家に連絡を入れたから、だ。部屋を契約する際に実家の連絡先を書いていた。
「倒れたって聞きましたけど、どうやら問題はないみたいですね」
兄はちらりと弟に横目をやった。
「なんら問題はない」
別に兄弟仲が悪いわけではないので、祐平は気恥ずかしさを胸に押し込めてそう答えた。
「いやあ、たまたま仕事で近くにいたもんで、様子をみてこいと」
祐平は実家に自分の醜態の連絡がいったことを確信し、とても嫌な気持ちになった。
「申し訳ないね、こいつが変なもん食わせちまって」
「変なもんってなによ変なもんって」
「ははは、そうだ、ちょっとこいつと積もる話もあるので、借りますよ。あ、あと、親がよろしくと伝えておいてくれと」
気弱な兄にしてはやけに親しげにマスター達に話しかけるな、と祐平は思った。そして、作り話を話さなくてよくなるかもしれないチャンスだ、とも冷静に思った。
祐平と兄は祐平の部屋に入った。兄は部屋に上がり込むと開口一番、
「いやあ、久しぶりだなあ」
と、言った。
「一昨年にあった以来かな」
祐平がそう答えると、兄は、
「ああ、夏伯母さんの葬式か、って違うよ。お前のことじゃない」
と、言った。
「え?」
「原口さん達にだよ」
兄はマスター夫妻の名前を口にした。
続
「人を見下す前に自分のやってること考えろ」
「そうやって時代におもねって、人にこびへつらって、そのくせバカにしてよ、てめえが一番バカじゃねえか」
「養生テープでぐるぐる巻きにして、あの、得体のしれぬオブジェとして、なんだ、ゴビ砂漠に捨ててやろうかコノヤロウ」
あまり怒声を張り上げたことのない祐平は、いささか迫力にかけた。
「あんたみたいな人間が一番バカだよ。なにもできないくせして」
「いきがってんのはどっちだ、いくじなし」
「ヨウジョウテープってなに!?」
ジュディはジュディで、段々と心ここに在らずといったようになってきた。
「養生テープってのはこの緑色のなにかと頼りになる、あんたが荷物を破損させた時などに応急処置としてって、そんなこたどうでもいいんだよ!、そもそもなんであんたはここに居るんだ!。迷惑なんだよ!」
「足手まといだと言いたいの!?」
「あんたのせいでこちとら仕事が増えてんだよ!、なんでおまえはここに居るんだ!」
「それは」
信号待ちで停車すると、無言になることがいつしかルールになっていた。
ジュディが意を決したようになにか言いかけたその時、
ドンドン、と助手席側の車体を叩く音がした。
びっくりした祐平が振り向くと、びっくりしたジュディが外に目をやると、
憔悴した悲しげな瞳に、放課後の少年のような嬉しさをたたえた梨田が、ドアを叩いていた。
「さあできた。祐平君ちょっと味見してって」
祐平の前に出された、奥さんがかかりっきりになっていた新メニューとは、スープカレーだった。緑色したグリーンカレーだ。ジャガイモやニンジン、そのほか旬の野菜やキノコがごろごろと入っている。
「おいしそうですねえ」
祐平は、流行に乗るにしても後追いすぎやしないか、と思ったが、そんなことはおくびにも出してはいけない。
「ほんで、そのあとは?」
マスターが祐平に話の続きを促す。もちろん祐平は自分にとって都合の悪いことは話していない。つまり、指名手配犯のことや、ジュディとのじゃれあいのこと、すなわち、あの売れっ子作家山下ジュディを乗せ、ジュディがわがまま言って困ったという話にしていた。
「まずは食べてもらわなきゃでしょ」
と、奥さんがマスターを止めた。そしていつもの丁丁発止のやりとりが繰り広げられ、猫舌の祐平は湯気を吹くカレーを前にちょうどいい時間稼ぎができた。
止まらぬやり合いとカレーの熱の頃合いをみて、
「ではいただきます」
と、祐平はカレーを口に運んだ。
「どう?」
祐平がぶつを口に途端に、夫とのやり合いを中止して奥さんが声をかけた。
「あ、おいしいですよこれは」
もぐもぐと咀嚼しながらそう祐平が言った瞬間、奥さんのカレーはその底力を発揮した。
「……………!!」
辛い、やたらめったらに辛い、全身が凍てつくように辛い、痛い。祐平のスプーンを運ぶ腕の動きが止まったのをみて、奥さんはニヤリと笑った。
「どう?、辛いでしょ」
「はひ、からいでひ」
もともとあまり辛いのが得意ではない祐平だが、これは辛すぎる、人間の食べるものではない。
一瞬にして祐平の額から鼻から頬から脇からすねから、全身から汗が噴き出してきた。マスターと奥さんの手間、じっと耐えてはいるが、誰もいなかったらのた打ち回るであろうほどの辛さだった。
「おい、おまえはこんなもんを売り出す気か」
マスターが奥さんに言った。
「ただの新メニューじゃ目新しさがないでしょ」
「だからっておまえこれは」
「ほら、斬新なものってどっちかに突き抜けてるでしょ。辛さマニアっていうの?、中途半端なもん作っても意味ないからね。振り子の針をどっちかに振り切らなきゃさ。必ず当たるわこれは」
息も絶え絶えに、
「これは、ひぃ、何倍の辛さなんでしか」
と、祐平が言った。
奥さんは、
「さあ、何倍になるのかしら。ほらこれみてよ」
奥さんはエプロンのポッケから小瓶を取り出して祐平に見せた。その小瓶には大きくドクロマークが印刷されていた。
「これはねえ、去年娘がメキシコに行った際のおみやげなんだけど、世界一辛い調味料なんだってさ。これを目一杯ふりかけてみたの」
それを聞いた瞬間、祐平の体は限界に達した。冗談ではなく、死、が脳裏をよぎった。知らぬが仏というやつだ。
がくがくと祐平は震えだし、脳裏に昨日起こった光景が走馬灯のように巡る。懸案していた助手バイトが山下ジュディだったこと、ジュディが地元出身だったこと、今も右膝に残るやけどをつけた犯人がジュディだったこと、梨田が年下だったこと、ふたりはそこそこちゃんと働いていたこと、高橋さんが留守で結局終日に渡り留守だったこと、梨田が腹をこわしたこと、指名手配犯を見つけたこと、ジュディと喧嘩になったこと、梨田を拾ったこと、エリアを去る際に梨田の目を盗んでジュディと小さくキスをしたこと…………………。
次の瞬間祐平の見ている光景は喫茶店から病院のベッドの上に移った。
「すまん」
「ごめんなさい」
目を覚ました祐平にふたりが頭を下げた。
「ここは」
「病院なんだ。祐平君、倒れちゃって、いや、病気ではなくてな、こいつのカレーで」
自分の腕をみた祐平は、点滴をされていることに気がついた。
「…いやあ、病院のベッドなんて子供の頃にひきつけを起こした時以来ですよ。はは」
祐平は本来怒りから縁遠い人間だ。
二言三言言葉を交わすと、祐平は、
「あ、辛い、辛い、辛い」
と言い、水を所望した。出てきたのはカフェオレだった。
「食中毒で運ばれるってんならまだわかるが、辛いカレーを食った客が運ばれるなんて、これは食中毒よりことだぜ」
マスターは笑いながら言った。昼過ぎに病院へとかつぎ込まれたが、時刻は夕刻になっていた。失神を契機に睡眠をとったらしい。目覚めた祐平は心身ともに尋常じゃないくらいすっきりしていた。点滴のためか睡眠のためか、失神によるものか、おそらく、失神した結果だろう。他人から絞め落とされたりすると、体が異常にすっきりすることは学生時代に危険なゲームを講じている、いた者には周知の事実だ。おそらく、緊急事態に陥った脳みそが措置としてなくした時間を取り戻すよう活発に働き脳内麻薬を異常分泌するからであろう。ちょっとしたナチュラルハイだ。
「だけどさあんた、これは、イケる」
奥さんはまだ自信があるようだった。
「おまえなあ、キラーカーンがアクシデントでアンドレの足を折っちゃったことで逆に箔がついたって話じゃねえんだよ」
「怪我の功名ってやつね」
「あ、いいですね。失神者続出、君は生きて帰れるか!?激辛カレーデスマッチ60分一本勝負なんて売り文句で」
祐平はなんだか楽しくってしょうがない。
「でしょ!?、ね!、イケるでしょ!」
なにかをやろうとしている人は、止めようとする他人の意見を自分に都合のいい解釈を通してしか聞けないものだ。
「でよ、祐平君」
「なんですか」
「こんな時で悪いんだが」
「はあ」
「話の続きを」
マスターは嬉々とした表情を浮かべた。
「続きですか、えっと」
「編集を拾ったとこまでだったな、いやその、まあ、無理をしなくてはいいんだけどな」
気恥ずかしそうにマスターは笑った。
「っとその前に、退院した方がよろしくないですかね?」
祐平はこの話にマスターの期待が上がっていることに不安を覚えた。まさかキスをしたなんて言えない。この話は梨田を拾って、オチがつく話と想定していた。実際梨田を拾ってからは別段話になる、話にできるようなことなどなかった。しかし、こうもマスターが嬉しそうにしていると、サービス精神過剰と化した祐平は、話を作らなきゃならない。しかし、この気づいたら病院のベッドの上にいたという、大虎になった奴が気づいたらブタ箱にいたというような、ありそうでなさそうでだが確実にある稀有といえば稀有、ありふれたといえばありふれた状況に置かれては、まともに頭が働くわけもなく、時間が欲しかった。
これは自分のくたびれた体に問題があって起こった可能性が強い、と、祐平は支払いを受け持とうとしたが、おせっかい焼きのふたり相手にはどだい無理な話だった。
支払いの段になって、なぜか奥さんが自分の保険証を持っていたことに多少不信感を抱いた祐平だが、それはしょうがない、と追求をさけた。
マスターが運転する車の中で、祐平は話を考えたが、どうもうまくいかない。思考に邪魔が入る。ふってわいたようなジュディとの口づけによる和解という強烈なエピソードが思考の邪魔をする。
(ジュディは実は宇宙人だった!、何を考えてるんだおれは。
ジュディの陰部に蝶のタトゥーが!、いやいや、どう話と結びつけるんだよそんなこと。下ネタなんか話せるか。下手すりゃすぐバレる嘘だし。
梨田の陰部に蝶のタトゥーが!、だから、だからしっかりしろよおれ。
梨田が車内でクソを漏らした!、うん、今後うまいこと考えつかなかったらこれでいこう。帰りしなに車内で異臭騒ぎ、しれっとした顔の梨田、営業所に着いて、ちょっと間を置いて笑いながらトイレに行く梨田。よし。しかし、ありがちかな。話の構成力次第か。難しくなってきたなおい。
ジュディは実は宇宙人だった!、いやこれさっき出たよ。わけわかんねえし。
…………ジュディは実はニャントロ星人だった!、いや変えただけだろ宇宙人を。
ジュディはラエリアンムーブメント信奉者だった!、いや普通ラエリアンって言われても何事かわかるまい。ていうか、ありそうだし、カルト関連はまずい。下手に宗教の話をしていいことなんかない。それをきっかけに貴重な栄養源がなくなる可能性がある。
沖田、そうか沖田君がいた。沖田君がキスをしたことにすればいいんじゃないか!?………悪いな沖田君。ダシに使わせてもらうよ。)
三人を乗せた古いボルボが喫茶店に着くと、喫茶店の前に、スーツ姿の祐平の兄がいた。久しぶりに見る兄の姿に、祐平はどぎまぎした。とととっとふたりが兄に駆けつけ、気恥ずかしさから祐平はのっそりと車から降りた。
「この度は弟がご迷惑をかけました」
「こちらこそご面倒をおかけしました」
兄がこの場にいることを祐平は瞬時に察した。もちろん、マスターが祐平の実家に連絡を入れたから、だ。部屋を契約する際に実家の連絡先を書いていた。
「倒れたって聞きましたけど、どうやら問題はないみたいですね」
兄はちらりと弟に横目をやった。
「なんら問題はない」
別に兄弟仲が悪いわけではないので、祐平は気恥ずかしさを胸に押し込めてそう答えた。
「いやあ、たまたま仕事で近くにいたもんで、様子をみてこいと」
祐平は実家に自分の醜態の連絡がいったことを確信し、とても嫌な気持ちになった。
「申し訳ないね、こいつが変なもん食わせちまって」
「変なもんってなによ変なもんって」
「ははは、そうだ、ちょっとこいつと積もる話もあるので、借りますよ。あ、あと、親がよろしくと伝えておいてくれと」
気弱な兄にしてはやけに親しげにマスター達に話しかけるな、と祐平は思った。そして、作り話を話さなくてよくなるかもしれないチャンスだ、とも冷静に思った。
祐平と兄は祐平の部屋に入った。兄は部屋に上がり込むと開口一番、
「いやあ、久しぶりだなあ」
と、言った。
「一昨年にあった以来かな」
祐平がそう答えると、兄は、
「ああ、夏伯母さんの葬式か、って違うよ。お前のことじゃない」
と、言った。
「え?」
「原口さん達にだよ」
兄はマスター夫妻の名前を口にした。
続