宅配屋と喫茶店(11)
その時、「おい!、兄ちゃん!」と呼ぶ声がして、祐平は飛び跳ねるように、体ごとびくんと脈を打った。祐平の後ろを男が追いかけてきていた。
あわわあわわ、と、言葉にするならそのように、祐平の口が震えた。ジュディは目をぱちくりさせて、その祐平を見た。
「おい、兄ちゃん、待ちなよ」
男の呼びかけに、確実に男の声が耳に届いているというのに、祐平は振り返りもせず、ジュディの隣で腰にかけていた機械を手に持ち、いじくっているふりをしていた。
「ちょっとあんた、呼んでるよ」
事情を知らぬジュディは、いや、事情を知っているジュディは祐平に声をかけた。
「へ?」
祐平は下手な嘘をついた。
「兄ちゃんってよ」
その時、男がついに祐平の肩を揺さぶった。
「は、はい。なんでしょうか」
振り返ると、祐平は男と目があった。やはり男は、あの男にそっくりだった。
「なんでしょうか、じゃねえよバカヤロウ」
そう言って男はにっこりと笑った。男は、受け取りのサインを書いたのに祐平が宅配物をそそくさと持ち帰るという、コンビニでお釣りを受け取り買ったものを持ち忘れるようなケアレスミスに対し怒っていなかったし、祐平が自分の顔に見覚えがあることなど思いもしていなかった。もっと言えば、久しぶりに面した丁寧な対応に好感さえ抱いていた。
「兄ちゃんそれそれ、おれぁハンコ押したんだよ?」
男は祐平のかたわらのゴルフバックを指した。
「え?、あ、あ!、すいません。すみませんでした。誠に申し訳ありません」
平謝りでゴルフバックを持ち、男の家まで駆け出す祐平に、「変なやつだな」と男は言った。
「まさしく」
ジュディは同調した。
えっちらおっちらと男が伊那荘に戻ると、祐平はただ頭を下げた。なるべく顔を見られたくなかった。
「わりいな何度も」
「とんでもない。こちらが悪いのですから」
「ちょっと待ってな」
「は」
経験上、この展開は、男が何か物をくれるのだろうことが祐平にはわかった。
「なんかの縁だ、これ持ってけよ」
男は祐平に缶ビールを二本差し出した。
帰り際、祐平は、
「あの、こちらに越してきてまだ日が浅い、ですよね?」
と、男に訊いた。
「そうだな」
男はシンプルに答えた。
「いやあ、新しく来た人もちゃんと覚えておかないといけませんからね」
どうして人は嘘をつくときにもっともらしい余計な言葉を吐くのだろう。
「それでは、またご用がありましたら」
祐平はダッシュしたい気持ちを抑え、ぎこちない足取りでトラックまで戻った。男は祐平のことなど気にもとめず、すでに玄関を閉めている。
トラックに戻ると、今度は意図的に助手席側に行った。
「あら、禁煙だったかしら」
ジュディはのんきにタバコを吸っていた。
「いえ」
祐平は短く答えると、缶ビールを置き、ダッシュボードを開けた。そして、中からぺら紙一枚を取り出した。
取り出した紙を怖いくらいじっと見つめた祐平を訝しみ、ジュディは紙を覗き込んだ。
「あ」
ジュディが声をあげると、祐平は、ばっ、と紙を覆い隠した。その紙にはさきほどの男が、全国指名手配犯、として、凶悪そうな表情をもって描かれていた。ニコニコと笑みをたたえた指名手配のイラストなど見たことがないが、犯人が市中に隠れている場合、あってもよいと思う。
「それ、ちょっと、あんた、高窪さん」
さすがに慌てたジュディ、しかし、その慌てぶりに祐平は逆に少し冷静になった。否、あきらめた。
「はは、そっくりでもうね」
わけのわからないことをにっこりと笑みを浮かべてささやく祐平。
「ちょっと見せなよ」
祐平から紙をひったくるように奪い取ると、ジュディはしっかとイラストを見た。
「似てる、なんてもんじゃないでしょ。あいつじゃないこれは」
「しかし、確証はなんもありませんからね」
「そんなこと言ってあんた、あんなに慌てふためいてたじゃないよ!」
祐平は静かに運転席へと回った。
「はは、そうですか?。びっくりしちゃって」
そう言うと、祐平はエンジンをかけた。
「ちょっとちょっと!、なにやってんのよ!」
ジュディがたまげたような声を出した。
「なにって、仕事ですよ」
「それどころじゃないでしょ!。なにこいつ、強盗殺人犯じゃない!。え?、まさかこいつが強盗殺人犯で連続放火魔?」
あのとき余計なことを言ったな、と祐平は後悔した。
「そうらしいですね」
「あんた、こいつこの辺りにいるって言ったじゃない!」
「いやあ、あれはちょっとした方便ってやつで」
祐平はトラックを発車できないことにイライラした。というよりも、わけがわからぬこの状況にイライラした。
「なんであんたがこんなもん持ってるのよ!、こいつがここいらにいるからあんたが持ってんじゃないの!?」
訊かれたくないことを訊かれる祐平にはジュディの質問が詰問に聞こえた。
「定期的にもらうんですよ」
祐平が喋ったわずかな合間に、ジュディはさっと祐平の置いた受取伝票を取った。
「あ、ちょっと」
時、すでに遅し。ジュディは伝票に書かれた男のサインと紙にでかでかと書かれた四文字の名前とを交互に二度見した。
「……」
祐平は黙った。まるでエロ本を、もとい、赤点のテスト用紙を母親に見つかった子供のようだった。
「これは、あんたこれは、まあまあ見事にビンゴじゃない」
「そうですかあ?」
祐平ののんきな、しかし、剣呑な空返事に、ジュディはイラっときた。
「そうですか、じゃないでしょうよ!。あんたこれどうすんのさ」
「だから、確証がない、と」
「確証ならあるでしょ!?、このサインだって」
「ありふれた名前ですからね」
「名前と顔と、おおよその年齢が一致してるよ!」
「まあ、世界には自分そっくりな人が三人いると言いますから」
「言いますからじゃないでしょう!」
「はは」
「笑ってんじゃないよ!」
「いやしかし、はは」
祐平はさっきからずっと堅い笑顔だった。
「はあ!?、笑ってんじゃないって言ってるでしょ!、なにを現実逃避なんかしてんのよ!」
「うるさいなあ」
「ああ!?」
「へ?、僕なにか言いました?」
祐平はこう言うと同時に、脳裏では心の声がついつい口を通ったことを認識した。
「うるさいってなにようるさいって!。言うにことかいてうるさいってあんた!、どの口で言った!?、この非常事態に!」
ガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミ。
ジュディの言う長くももっともな言葉は、祐平には朝の工事現場から発せられる雑音にしか聞こえなかった。
ガミガミと羅列される祐平を罵る言葉の数々を、ふわふわしながら微笑みを作って聞いていると、祐平は己の体内で脈打つ鼓動が段々と大きくなってきたことに気がついた。それはとても嫌な感じだった。
「いくじなしにもほどがあるでしょ!?、さあ警察に行くのよ!」
ジュディが警察という言葉を出してきたとき、祐平の高鳴る鼓動が止まった。
「うるせえって言ってんだろうが!!」
「な」
密閉されたトラックの車内をつんざく祐平の絶叫に、ジュディは驚いた。
「うるせえなあ!、黙れよバカヤロー!」
「な、あんたなんかにバカだと言われる筋合いはないよ!!」
バカだと言われ、話の筋が違ってきた。
「あたしはあんたの10倍は頭つかって働いてんだよ!」
祐平は密かに、そりゃそうだ、と思ったが、一度口から出た忌み嫌う父親譲りの言葉を引っ込めることはできない。即座に、
「作家が頭つかうのは当然だろうが!。てめえが座ったまま仕事してる間こっちはてめえの、ひゃ、10倍体つかって働いてんだバカヤロー!」
100倍は言い過ぎだな、と妙に冷静な祐平であった。
「座った、座ったままだって!?」
もう、男のことなどどうでもよくなったようだ。
「座ったまま小説が書けると思ってんのバカ!」
「ああ、思ってるよ!。そっちの職業病なんてたかだか腱鞘炎じゃねえか!。腱鞘炎で手首が痛い痛いと嘆いて、せっせと大袈裟にシップ貼って周りに見せびらかしているとき、世の中のブルーカラーは棺桶に片足突っ込みながら働いてんだよタコ!」
「な、そりゃ建設業なんかの仕事してるやつらはそうでしょうけど、宅配員なんかのバカでもできる仕事してるやつに言われたくないよマヌケ!」
「うるせえ!。てめえが書いた大層な本だっておれらがいないとどうしようもねえんだぞ!。手売りで、じゅ、100万本さばいてみろよ!。てめえのかわりにこっちは100万本届けてんだよ!だいたいてめえの小説はつまらねえんだよ!」
「あんたなんかになにがわかるってんのよ!。あんたみたいなバカに読まれるために書いてんじゃないのよ!」
「おれみたいなバカでもてめえの本はつまらねえってわかるんだよ!なにが直木賞作家だ!。調子のってんじゃねえぞバカが!」
「調子なんかのってるかバカヤロー!」
にべもない子供じみた言葉の応酬だが、それもしょうがない。三つ子の魂百まで、ふたりとも同じ川の出身で、汚い水を飲んで育ったのだから。
「髪なんか赤く染めやがって」
「髪は関係ないでしょ!」
「いい歳こいて発情中かバカヤロー!」
「発情中って、バカじゃないのあんた!」
祐平はくだらぬ言い合いをしながら、心がどんどんとすっきりしていく感覚があった。言ってやった感、というやつか。
一旦無言になった険悪な雰囲気の車内、そのとき、祐平の携帯電話がなった。沖田からだった。
「ちっ」
祐平は舌打ちをして電話にでんわ、もとい、電話に出た。
「はい、高窪です」
途端に態度をくるりと回し、丁寧な対応をする祐平、気がついてはいないが、その様は幼き日の飯時に見た嫌な父親の姿そのものだった。
「ああ、はい、中村さん、はいはい。わかった。えっと、うん、大丈夫。ちょうど今から行くよ」
それは個宅から配送の依頼だった。バイトに集荷はできないため、客から頼まれた沖田は赴くよう祐平に電話したのだ。
電話を切ると、無言のまま車は発進した。本当に、もう指名手配犯こと、山田次郎のことなど頭の片隅にもなかった。ついでにいうと、梨田のことなど宇宙の片隅にも存在しなかった。
双方機嫌悪そうにして無言のまま、トラックは進む。祐平は、実は、今のジュディに対し憎しみの感情はない。それどころか、ある種の親愛を思っていた。ファックコミュニケーションというやつである。
沖田に言われた現場に着くと、近いこともあり沖田がまだいた。
「山下さん、あの家とあっちの家に」
短くジュディに指示を出すと、ジュディは「はい」と短く応えた。
「がんばってるねえ」
トラックからおりた祐平は軽バンの後ろで宅配物の整理をしていた沖田に声をかけた。祐平は自身のテンションがいつになく高まっていることを自覚した。
「はい、なんとか。すいません、電話しちゃって」
「なにを言ってんの、それが仕事なんだから。気をやむことなんかないし、いい判断だよ。なんかあったらガンガン連絡して。そっちは大丈夫?、問題はない?」
「はい、大丈夫です」
ふたりの後ろを宅配物を抱えたジュディがかけて行った。それを見た沖田が、
「あの人は日雇いですよね?」
と、祐平に訊いた。
「そうだよ。まあ頑張ってもらってる」
この祐平の言葉に反し、ジュディは、祐平が沖田に自分の悪口を話し合ってるに違いない、と思っていた。
「まだここいら回るの?」
「はい、あと何軒か」
「じゃあ頑張って」
「はい、高窪さんも」
「はは、ありがと」
祐平が集荷から戻ると、沖田とジュディが会話をしていた。沖田は祐平を見つけるとバツが悪そうに笑みを浮かべてそそくさと立ち去った。祐平はジュディが自分の悪口を言ったに違いないと思った。いつも通りの客対応をし、多少落ち着いて思考が自分のなかだけじゃなく外にまで回ると、これから何時間もジュディとふたりきり一緒にいるのか、と気が重くなった。親愛の情は感じていても、それとこれとは別の問題だ。
続
あわわあわわ、と、言葉にするならそのように、祐平の口が震えた。ジュディは目をぱちくりさせて、その祐平を見た。
「おい、兄ちゃん、待ちなよ」
男の呼びかけに、確実に男の声が耳に届いているというのに、祐平は振り返りもせず、ジュディの隣で腰にかけていた機械を手に持ち、いじくっているふりをしていた。
「ちょっとあんた、呼んでるよ」
事情を知らぬジュディは、いや、事情を知っているジュディは祐平に声をかけた。
「へ?」
祐平は下手な嘘をついた。
「兄ちゃんってよ」
その時、男がついに祐平の肩を揺さぶった。
「は、はい。なんでしょうか」
振り返ると、祐平は男と目があった。やはり男は、あの男にそっくりだった。
「なんでしょうか、じゃねえよバカヤロウ」
そう言って男はにっこりと笑った。男は、受け取りのサインを書いたのに祐平が宅配物をそそくさと持ち帰るという、コンビニでお釣りを受け取り買ったものを持ち忘れるようなケアレスミスに対し怒っていなかったし、祐平が自分の顔に見覚えがあることなど思いもしていなかった。もっと言えば、久しぶりに面した丁寧な対応に好感さえ抱いていた。
「兄ちゃんそれそれ、おれぁハンコ押したんだよ?」
男は祐平のかたわらのゴルフバックを指した。
「え?、あ、あ!、すいません。すみませんでした。誠に申し訳ありません」
平謝りでゴルフバックを持ち、男の家まで駆け出す祐平に、「変なやつだな」と男は言った。
「まさしく」
ジュディは同調した。
えっちらおっちらと男が伊那荘に戻ると、祐平はただ頭を下げた。なるべく顔を見られたくなかった。
「わりいな何度も」
「とんでもない。こちらが悪いのですから」
「ちょっと待ってな」
「は」
経験上、この展開は、男が何か物をくれるのだろうことが祐平にはわかった。
「なんかの縁だ、これ持ってけよ」
男は祐平に缶ビールを二本差し出した。
帰り際、祐平は、
「あの、こちらに越してきてまだ日が浅い、ですよね?」
と、男に訊いた。
「そうだな」
男はシンプルに答えた。
「いやあ、新しく来た人もちゃんと覚えておかないといけませんからね」
どうして人は嘘をつくときにもっともらしい余計な言葉を吐くのだろう。
「それでは、またご用がありましたら」
祐平はダッシュしたい気持ちを抑え、ぎこちない足取りでトラックまで戻った。男は祐平のことなど気にもとめず、すでに玄関を閉めている。
トラックに戻ると、今度は意図的に助手席側に行った。
「あら、禁煙だったかしら」
ジュディはのんきにタバコを吸っていた。
「いえ」
祐平は短く答えると、缶ビールを置き、ダッシュボードを開けた。そして、中からぺら紙一枚を取り出した。
取り出した紙を怖いくらいじっと見つめた祐平を訝しみ、ジュディは紙を覗き込んだ。
「あ」
ジュディが声をあげると、祐平は、ばっ、と紙を覆い隠した。その紙にはさきほどの男が、全国指名手配犯、として、凶悪そうな表情をもって描かれていた。ニコニコと笑みをたたえた指名手配のイラストなど見たことがないが、犯人が市中に隠れている場合、あってもよいと思う。
「それ、ちょっと、あんた、高窪さん」
さすがに慌てたジュディ、しかし、その慌てぶりに祐平は逆に少し冷静になった。否、あきらめた。
「はは、そっくりでもうね」
わけのわからないことをにっこりと笑みを浮かべてささやく祐平。
「ちょっと見せなよ」
祐平から紙をひったくるように奪い取ると、ジュディはしっかとイラストを見た。
「似てる、なんてもんじゃないでしょ。あいつじゃないこれは」
「しかし、確証はなんもありませんからね」
「そんなこと言ってあんた、あんなに慌てふためいてたじゃないよ!」
祐平は静かに運転席へと回った。
「はは、そうですか?。びっくりしちゃって」
そう言うと、祐平はエンジンをかけた。
「ちょっとちょっと!、なにやってんのよ!」
ジュディがたまげたような声を出した。
「なにって、仕事ですよ」
「それどころじゃないでしょ!。なにこいつ、強盗殺人犯じゃない!。え?、まさかこいつが強盗殺人犯で連続放火魔?」
あのとき余計なことを言ったな、と祐平は後悔した。
「そうらしいですね」
「あんた、こいつこの辺りにいるって言ったじゃない!」
「いやあ、あれはちょっとした方便ってやつで」
祐平はトラックを発車できないことにイライラした。というよりも、わけがわからぬこの状況にイライラした。
「なんであんたがこんなもん持ってるのよ!、こいつがここいらにいるからあんたが持ってんじゃないの!?」
訊かれたくないことを訊かれる祐平にはジュディの質問が詰問に聞こえた。
「定期的にもらうんですよ」
祐平が喋ったわずかな合間に、ジュディはさっと祐平の置いた受取伝票を取った。
「あ、ちょっと」
時、すでに遅し。ジュディは伝票に書かれた男のサインと紙にでかでかと書かれた四文字の名前とを交互に二度見した。
「……」
祐平は黙った。まるでエロ本を、もとい、赤点のテスト用紙を母親に見つかった子供のようだった。
「これは、あんたこれは、まあまあ見事にビンゴじゃない」
「そうですかあ?」
祐平ののんきな、しかし、剣呑な空返事に、ジュディはイラっときた。
「そうですか、じゃないでしょうよ!。あんたこれどうすんのさ」
「だから、確証がない、と」
「確証ならあるでしょ!?、このサインだって」
「ありふれた名前ですからね」
「名前と顔と、おおよその年齢が一致してるよ!」
「まあ、世界には自分そっくりな人が三人いると言いますから」
「言いますからじゃないでしょう!」
「はは」
「笑ってんじゃないよ!」
「いやしかし、はは」
祐平はさっきからずっと堅い笑顔だった。
「はあ!?、笑ってんじゃないって言ってるでしょ!、なにを現実逃避なんかしてんのよ!」
「うるさいなあ」
「ああ!?」
「へ?、僕なにか言いました?」
祐平はこう言うと同時に、脳裏では心の声がついつい口を通ったことを認識した。
「うるさいってなにようるさいって!。言うにことかいてうるさいってあんた!、どの口で言った!?、この非常事態に!」
ガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミガミ。
ジュディの言う長くももっともな言葉は、祐平には朝の工事現場から発せられる雑音にしか聞こえなかった。
ガミガミと羅列される祐平を罵る言葉の数々を、ふわふわしながら微笑みを作って聞いていると、祐平は己の体内で脈打つ鼓動が段々と大きくなってきたことに気がついた。それはとても嫌な感じだった。
「いくじなしにもほどがあるでしょ!?、さあ警察に行くのよ!」
ジュディが警察という言葉を出してきたとき、祐平の高鳴る鼓動が止まった。
「うるせえって言ってんだろうが!!」
「な」
密閉されたトラックの車内をつんざく祐平の絶叫に、ジュディは驚いた。
「うるせえなあ!、黙れよバカヤロー!」
「な、あんたなんかにバカだと言われる筋合いはないよ!!」
バカだと言われ、話の筋が違ってきた。
「あたしはあんたの10倍は頭つかって働いてんだよ!」
祐平は密かに、そりゃそうだ、と思ったが、一度口から出た忌み嫌う父親譲りの言葉を引っ込めることはできない。即座に、
「作家が頭つかうのは当然だろうが!。てめえが座ったまま仕事してる間こっちはてめえの、ひゃ、10倍体つかって働いてんだバカヤロー!」
100倍は言い過ぎだな、と妙に冷静な祐平であった。
「座った、座ったままだって!?」
もう、男のことなどどうでもよくなったようだ。
「座ったまま小説が書けると思ってんのバカ!」
「ああ、思ってるよ!。そっちの職業病なんてたかだか腱鞘炎じゃねえか!。腱鞘炎で手首が痛い痛いと嘆いて、せっせと大袈裟にシップ貼って周りに見せびらかしているとき、世の中のブルーカラーは棺桶に片足突っ込みながら働いてんだよタコ!」
「な、そりゃ建設業なんかの仕事してるやつらはそうでしょうけど、宅配員なんかのバカでもできる仕事してるやつに言われたくないよマヌケ!」
「うるせえ!。てめえが書いた大層な本だっておれらがいないとどうしようもねえんだぞ!。手売りで、じゅ、100万本さばいてみろよ!。てめえのかわりにこっちは100万本届けてんだよ!だいたいてめえの小説はつまらねえんだよ!」
「あんたなんかになにがわかるってんのよ!。あんたみたいなバカに読まれるために書いてんじゃないのよ!」
「おれみたいなバカでもてめえの本はつまらねえってわかるんだよ!なにが直木賞作家だ!。調子のってんじゃねえぞバカが!」
「調子なんかのってるかバカヤロー!」
にべもない子供じみた言葉の応酬だが、それもしょうがない。三つ子の魂百まで、ふたりとも同じ川の出身で、汚い水を飲んで育ったのだから。
「髪なんか赤く染めやがって」
「髪は関係ないでしょ!」
「いい歳こいて発情中かバカヤロー!」
「発情中って、バカじゃないのあんた!」
祐平はくだらぬ言い合いをしながら、心がどんどんとすっきりしていく感覚があった。言ってやった感、というやつか。
一旦無言になった険悪な雰囲気の車内、そのとき、祐平の携帯電話がなった。沖田からだった。
「ちっ」
祐平は舌打ちをして電話にでんわ、もとい、電話に出た。
「はい、高窪です」
途端に態度をくるりと回し、丁寧な対応をする祐平、気がついてはいないが、その様は幼き日の飯時に見た嫌な父親の姿そのものだった。
「ああ、はい、中村さん、はいはい。わかった。えっと、うん、大丈夫。ちょうど今から行くよ」
それは個宅から配送の依頼だった。バイトに集荷はできないため、客から頼まれた沖田は赴くよう祐平に電話したのだ。
電話を切ると、無言のまま車は発進した。本当に、もう指名手配犯こと、山田次郎のことなど頭の片隅にもなかった。ついでにいうと、梨田のことなど宇宙の片隅にも存在しなかった。
双方機嫌悪そうにして無言のまま、トラックは進む。祐平は、実は、今のジュディに対し憎しみの感情はない。それどころか、ある種の親愛を思っていた。ファックコミュニケーションというやつである。
沖田に言われた現場に着くと、近いこともあり沖田がまだいた。
「山下さん、あの家とあっちの家に」
短くジュディに指示を出すと、ジュディは「はい」と短く応えた。
「がんばってるねえ」
トラックからおりた祐平は軽バンの後ろで宅配物の整理をしていた沖田に声をかけた。祐平は自身のテンションがいつになく高まっていることを自覚した。
「はい、なんとか。すいません、電話しちゃって」
「なにを言ってんの、それが仕事なんだから。気をやむことなんかないし、いい判断だよ。なんかあったらガンガン連絡して。そっちは大丈夫?、問題はない?」
「はい、大丈夫です」
ふたりの後ろを宅配物を抱えたジュディがかけて行った。それを見た沖田が、
「あの人は日雇いですよね?」
と、祐平に訊いた。
「そうだよ。まあ頑張ってもらってる」
この祐平の言葉に反し、ジュディは、祐平が沖田に自分の悪口を話し合ってるに違いない、と思っていた。
「まだここいら回るの?」
「はい、あと何軒か」
「じゃあ頑張って」
「はい、高窪さんも」
「はは、ありがと」
祐平が集荷から戻ると、沖田とジュディが会話をしていた。沖田は祐平を見つけるとバツが悪そうに笑みを浮かべてそそくさと立ち去った。祐平はジュディが自分の悪口を言ったに違いないと思った。いつも通りの客対応をし、多少落ち着いて思考が自分のなかだけじゃなく外にまで回ると、これから何時間もジュディとふたりきり一緒にいるのか、と気が重くなった。親愛の情は感じていても、それとこれとは別の問題だ。
続