宅配屋と喫茶店(10)
ぐるりぐるりと担当エリアを時間に追われ走っていると、あっという間に昼前になった。梨田は客からもらった栄養ドリンクをぐいっと飲み干したりした。
祐平が思っていたよりもジュディはお荷物になることはなく、きびきびと働き、それは本来の宅配助手バイトがついたようだった。
「へえ、ではそのことはお兄さんから?」
「さあ、兄ともあんまり連絡とってないんですよ。年も離れてまして」
「しかしでも、お父様が」
「はは、いやまあ、なんというか、風の噂ってやつですかね」
車内で行われた会話の話題が家族についてになったとき、祐平は口ごもらざるをえなかった。
「あんたねえ、高窪さんは犯罪者じゃないんだから、そんな、言いたくない、ってことは訊かないの」
ジュディが梨田をたしなめ、祐平は苦笑いを浮かべた。
「あ、高窪さん、あの、ちなみにお昼というのは」
さすがに目の前の宅配物の量と時間の比率を考えると、梨田にも昼を取る時間がないことは理解できたようだ。
「昼メシですか?」
「はい、私達ちょっと用意してなくて」
「はあ、僕は弁当を用意してましてね。走りながら食べるという形をとりますが」
「えっ、では僕達はどうすれば?」
「栄養ドリンクとみかん、食べましたよね?」
祐平は嫌みったらしく言った。
「……なるほど」
(なるほどじゃねえよ。なんだよなるほどって。いいの?、張り合いのねえやつだ。昼メシがみかんでいいのお前。)
「というのは冗談で、大丈夫ですよ。時間取ってますから」
祐平はジュディ達にしばし昼休みの時間を用意していた。宅配物を、出来うる範囲で、そう調整したからだ。もちろんジュディたちが休んでいるその間、自らは宅配を続ける算段だった。
「しかし、そんな時間あるんですか?」
「大丈夫です。まあ、この近くで食べるところといやファミレスかラーメン屋ぐらいしかないんですけど」
「それは、構いません、よね?、先生」
梨田がジュディに意見を問うと、
「コンビニに寄ってもらって、適当なもの買って一緒に食べればいいじゃない」
と、言った。そして続けて、
「高窪さんもそっちの方が面倒じゃないのではないかしら?。私達が昼ご飯を食べてる間、あなた走り回るんでしょ?、ま、あたし達が足手まといじゃなけりゃあねえ」
ジュディは、顔面蒼白なのに、気丈にそう言った。
「そんなことないです。助かってますし、そうしていただけたならなお助かります」
祐平はずばり、作業的には問題ないが、ジュディ達を精神的に足手まといと感じていて、ひとりになりエンジン音に紛れ文句を叫びたかった。
「じゃあ決まりだ。そういうことで」
昼になり、コンビニ近くの宅配のついでに、ふたりを買い物にやった。その隙に祐平もダッシュボードから特製サンドイッチを取り出した。ダッシュボードの中には、昨日克明にもらったゆで卵が入りっぱなしで、食う食わないに逡巡し、とりあえず出した。
飲み物と、ジュディは菓子パン、梨田は唐揚げ弁当と“おでん”を買ってきやがった。
「お、高窪さん、お弁当ってそれですか?」
特製サンドイッチを一口ほおばった祐平をみて、梨田が言った。
「ええ、うまくもなんともないですけどね」
(何をしちめんどくさいもの買ってきやがってんだよお前は!。ついに買いやがっておでん!。)
ジュディはさっさとパンの包装をといて、小さな口でついばんだ。
それをみた祐平は、
「じゃあ、発車しますよ」
と言って、エンジンをかけた。
「あ、ちょっと、ちょっと待ってください。止まって食べないんですか?」
あわてて梨田が言った。
「あたりまえでしょ」
ジュディがあきれた調子で応えた。
「あ、だから先生、普段はたくさん食べるのに」
「うるさい」
大食らいが恥ずかしいのか、ジュディはぴしゃりと梨田の口をしめた。
(梨田よ。ジュディは車酔いで単純に食欲がわかないからそれだけなんじゃないか?。)祐平はそう思った。
「ちょっと、ちょっとだけ待ってください。汁だけ、おでんの汁だけ飲んじゃいますから。…だあちっ」
梨田はおでん汁の熱さに唇と舌をやられ、少しこぼした。そして、すいませんすいません、とおでんの入ったカップをなぜか頭上高くにあげながら、ぺこりぺこりと頭を下げた。その様はまるでオラウータンのようだった。
「はは」
「まったく。荷物にこぼしてないでしょうね」
「はひ、だいしょうふでふ」
(子供かお前は。)
「では高窪さん、梨田のことは気になさらずに発車してください。あんたは早く食べなさい」
祐平は車を発進した。
「普段から昼はそれなんですか?」
唐揚げを口に入れながら梨田が祐平に言った。
「いえ、普段はもっとマシなもん食べてますよ。時間にも余裕がありますし。今の時期だけですね」
「普段は昼休みには配達しない、ということですか?」
「そうですね。僕の個人的な意見でもありますが、昼メシを食べてるときに、いただきますを言ってごちそうさまを言う前に人が訪ねて来たらむかつきませんか?」
昼間に人の家を訪ねてはいけないと、祐平は子供のころから父親に言われていた。
「ははあ、そんなもんですか」
「そうじゃないですか?」
「僕はあまり気にしませんけど」
「高窪さんの家は自営だからね」
ジュディが口を挟んだ。「やっぱりお昼にお客さんが来て迷惑だった経験があるのよね?」
「はは、そうですね。父親なんか浅草生まれですから」
「ですからって、あなたもでしょう?」
「ああ、そうですね」
(おっと、経歴を詐称してるんだったな。あやういあやうい。)
「昼間にお客さんが来ると、露骨に舌打ちなんかしまして、小声でばかやろうとかつぶやいて、機嫌が悪くなるんですよ。幸せな食卓がその瞬間から苦痛の食卓に変わっちゃいましてね。無言でテレビをみつめちゃったりして。嫌だったなあ」
「それわかるなあ、あるんだよねそういうこと」
「はは」
(ジュディも自営のうちなのか?、山下で自営、ということは、こいつ、あの呉服屋の娘か!。)
「だけど今はそれに構ってられないんですけどね。ただやっぱりお昼に配達ってのは気が引けるもんですよ。明らかに不満顔で応対されることもあります。その気持ちがわかる分、申し訳ない気持ちでいっぱいになります」
祐平達は、メシを食いながらてきぱきと仕事をこなした。梨田は弁当とおでんを急いでかきこんだ。
「あの、そのゆで卵食べないんですか?」
梨田は目ざとく克明のゆで卵を見つけた。
「ああ、これですか。よかったら食べます?」
梨田が、「いいんですか?、ちょうどおでんの玉子が売ってなかったんですよ」と嬉しそうに言ったのち、祐平はニヤリとして、
「ただ、賞味期限はきれてますけど」
と、言った。
「…大丈夫、ですよね?」
まさかの食い下がりをみせた梨田にジュディが、
「あんたねえ、そんなもん食べてさ、腹痛くなったっつったら目も当てられないよ。バカじゃないんだから」と、言い、梨田はもの惜しそうに、「そ、そうですか」とひき下がった。
だが、やっぱり、
祐平とジュディがそれぞれマンションに乗り込んだ隙をついて、ひとり車内に残った梨田はそのゆで卵を食った。帰ってきた祐平達に対し素知らぬ顔をしていた梨田だったが悪事はすぐにバレた。車内が硫黄臭かったし、なによりゆで卵が車内から消えたからだ。
「盗人猛々しいとはあんたのことだよ」
「すいません。どうしても、どうしても僕のおでんにはゆで卵が必要だったんです」
「意味わかんないよ」
「すいませんすいません」
「はは」と笑う祐平。
「あんたなんか腹を下しちまえばいい」
こうして、ゆで卵が原因なのかたらふく食べた結果そうなったのかジュディの呪いが功を奏したのか、10分後、梨田は腹を下すに至った。
「では、ゆっくりどうぞ。少し回ったら迎えにきますから」
腹痛の梨田を洋式トイレのある公園におろす。梨田は珍妙な歩き方をしてトイレに入っていった。それを見届けると、祐平とジュディを乗せたトラックはふたりが宅配を続けるために走りだした。
こうして、梨田が置いてけぼりを食らう羽目になる。
しょうがないですね、などと一通り梨田の話題で盛り上がり終わると、車内は沈黙の時に突入した。
「えっと、次は、ああ、お化け荘か」
ふたりきりの退屈な車内の空気を紛らわせようと、祐平は独り言をつぶやいた。
「お化け荘?」
それにジュディが食いつかなくてはお話にならない。
「ええ、僕の荷物ですけどね。あるんですよ。ちょっと本当に得体のしれない立ち寄り難い平屋のアパートが」
「へえ、だからお化け荘と?」
「それもあるんですが、そのアパート、まあイナ荘という荘なんですけど」
「イナ荘?、冗談じゃなくて?」
「ええ、冗談でもなんでもなく伊那荘という名前なんですが、四つの棟になってまして」
「あ、わかった。見る角度によって」
「そうなんです」
(しまった。荘だけにそうなんです。なんてダジャレになっちまった。)
「…細い路地のどん詰まりにあるボロいアパートなんですが、みるポイントによって棟の数が3つにも2つにも変化しまして、その様子があのお化け煙突みたいだと。そしてお化けが出そうな雰囲気だということから、僕らはお化け荘と言ってるんです。まあ、そんな大層なものではないんですが」
「へえお化け荘ねえ」
…………。
「ちなみに、その伊那荘の正式名称は第四八伊那荘というんです。初めて訪れたとき、こんな建物が48個もあるのか、と思いましたが、なんてことはない、ここいらの地主の伊那さんの、48個目の建物だっただけだったんです。はは」
話を自己完結してしまい虚に笑うしかなかった祐平は、我ながらどうでもいい話をしているなと思った。
ふたりを乗せたトラックが、伊那荘近くに止まった。
「よし、では山下さんはあちらの庭のある家に」
お化け荘の住人は、祐平にも把握しきれていなかった。都会とはいえぬD区とはいえ、東京23区の喧騒から置き去りにされ見てみぬふりをされたような、このうらさびれたボロボロの、一見するとなかに住人は居ず、廃屋と勘違いすることうけあいの伊那荘に、郵便はあってもあまり宅配便などないからだ。
この伊那荘には世捨て人世捨てられ人が世間から隠れ住んでいる、らしい。外部から置き去りにされた彼らに宅配便など届かないのだ。住人にはとりわけ老人が多く、需要はあるのかあまり空き家はないが、住人のサイクルは激しい。
祐平が手に持った宅配物はゴルフバックだった。このとき祐平はただ、「珍しいこともあるもんだ」と思っていた。
A棟三号室の扉を声をかけながら叩くと、なかから中年の男が出てきた。宅配物が住所通りか確かめると、男は祐平に「おう、ご苦労さん」と言いながらハンコを探しに一旦なかに戻った。
祐平は、不思議なことに、この男をどこかで見たような気がした。
どこだったか、もどかしく記憶をたぐらせていると、男が戻ってきた。
「わりいな兄ちゃん。ハンコ見つかんねえや」
「はい、ではサインをお願いします」
「おう、あっと、受取人の名前がいいのかな?」
「いえ、お客様の名前をこちらに、フルネームでお願いします」
「おう」
男が伝票にサインを書き終え、それを確かめた祐平は、不思議なことに男の顔だけでなく、その名前にも見覚えがあった。
不思議なこともあるもんだと思った瞬間、
ようやく、祐平は男の記憶に行き当たった。
「ありがとうございました、失礼します」
普段はこんな丁寧な言い方をして家をあとにしない。祐平は言い終えるとゴルフバックを抱えドキドキしながら小走りでトラックに戻った。いつも通り助手席からトラックにゴルフバックを積もうとしたら、ジュディが戻っていた。
「あ、間違えました」
「あら、残念」
祐平の持ったゴルフバックを見てジュディが言った。
「え?なんですか?」
祐平はドキドキしながらジュディの言葉の意味がわからず聞き返した。
「重くてかさばるのに、不在だったんでしょ?」
「は?、居ましたけど?」
祐平はまだ自分のミスに気がつかなかった。
続
祐平が思っていたよりもジュディはお荷物になることはなく、きびきびと働き、それは本来の宅配助手バイトがついたようだった。
「へえ、ではそのことはお兄さんから?」
「さあ、兄ともあんまり連絡とってないんですよ。年も離れてまして」
「しかしでも、お父様が」
「はは、いやまあ、なんというか、風の噂ってやつですかね」
車内で行われた会話の話題が家族についてになったとき、祐平は口ごもらざるをえなかった。
「あんたねえ、高窪さんは犯罪者じゃないんだから、そんな、言いたくない、ってことは訊かないの」
ジュディが梨田をたしなめ、祐平は苦笑いを浮かべた。
「あ、高窪さん、あの、ちなみにお昼というのは」
さすがに目の前の宅配物の量と時間の比率を考えると、梨田にも昼を取る時間がないことは理解できたようだ。
「昼メシですか?」
「はい、私達ちょっと用意してなくて」
「はあ、僕は弁当を用意してましてね。走りながら食べるという形をとりますが」
「えっ、では僕達はどうすれば?」
「栄養ドリンクとみかん、食べましたよね?」
祐平は嫌みったらしく言った。
「……なるほど」
(なるほどじゃねえよ。なんだよなるほどって。いいの?、張り合いのねえやつだ。昼メシがみかんでいいのお前。)
「というのは冗談で、大丈夫ですよ。時間取ってますから」
祐平はジュディ達にしばし昼休みの時間を用意していた。宅配物を、出来うる範囲で、そう調整したからだ。もちろんジュディたちが休んでいるその間、自らは宅配を続ける算段だった。
「しかし、そんな時間あるんですか?」
「大丈夫です。まあ、この近くで食べるところといやファミレスかラーメン屋ぐらいしかないんですけど」
「それは、構いません、よね?、先生」
梨田がジュディに意見を問うと、
「コンビニに寄ってもらって、適当なもの買って一緒に食べればいいじゃない」
と、言った。そして続けて、
「高窪さんもそっちの方が面倒じゃないのではないかしら?。私達が昼ご飯を食べてる間、あなた走り回るんでしょ?、ま、あたし達が足手まといじゃなけりゃあねえ」
ジュディは、顔面蒼白なのに、気丈にそう言った。
「そんなことないです。助かってますし、そうしていただけたならなお助かります」
祐平はずばり、作業的には問題ないが、ジュディ達を精神的に足手まといと感じていて、ひとりになりエンジン音に紛れ文句を叫びたかった。
「じゃあ決まりだ。そういうことで」
昼になり、コンビニ近くの宅配のついでに、ふたりを買い物にやった。その隙に祐平もダッシュボードから特製サンドイッチを取り出した。ダッシュボードの中には、昨日克明にもらったゆで卵が入りっぱなしで、食う食わないに逡巡し、とりあえず出した。
飲み物と、ジュディは菓子パン、梨田は唐揚げ弁当と“おでん”を買ってきやがった。
「お、高窪さん、お弁当ってそれですか?」
特製サンドイッチを一口ほおばった祐平をみて、梨田が言った。
「ええ、うまくもなんともないですけどね」
(何をしちめんどくさいもの買ってきやがってんだよお前は!。ついに買いやがっておでん!。)
ジュディはさっさとパンの包装をといて、小さな口でついばんだ。
それをみた祐平は、
「じゃあ、発車しますよ」
と言って、エンジンをかけた。
「あ、ちょっと、ちょっと待ってください。止まって食べないんですか?」
あわてて梨田が言った。
「あたりまえでしょ」
ジュディがあきれた調子で応えた。
「あ、だから先生、普段はたくさん食べるのに」
「うるさい」
大食らいが恥ずかしいのか、ジュディはぴしゃりと梨田の口をしめた。
(梨田よ。ジュディは車酔いで単純に食欲がわかないからそれだけなんじゃないか?。)祐平はそう思った。
「ちょっと、ちょっとだけ待ってください。汁だけ、おでんの汁だけ飲んじゃいますから。…だあちっ」
梨田はおでん汁の熱さに唇と舌をやられ、少しこぼした。そして、すいませんすいません、とおでんの入ったカップをなぜか頭上高くにあげながら、ぺこりぺこりと頭を下げた。その様はまるでオラウータンのようだった。
「はは」
「まったく。荷物にこぼしてないでしょうね」
「はひ、だいしょうふでふ」
(子供かお前は。)
「では高窪さん、梨田のことは気になさらずに発車してください。あんたは早く食べなさい」
祐平は車を発進した。
「普段から昼はそれなんですか?」
唐揚げを口に入れながら梨田が祐平に言った。
「いえ、普段はもっとマシなもん食べてますよ。時間にも余裕がありますし。今の時期だけですね」
「普段は昼休みには配達しない、ということですか?」
「そうですね。僕の個人的な意見でもありますが、昼メシを食べてるときに、いただきますを言ってごちそうさまを言う前に人が訪ねて来たらむかつきませんか?」
昼間に人の家を訪ねてはいけないと、祐平は子供のころから父親に言われていた。
「ははあ、そんなもんですか」
「そうじゃないですか?」
「僕はあまり気にしませんけど」
「高窪さんの家は自営だからね」
ジュディが口を挟んだ。「やっぱりお昼にお客さんが来て迷惑だった経験があるのよね?」
「はは、そうですね。父親なんか浅草生まれですから」
「ですからって、あなたもでしょう?」
「ああ、そうですね」
(おっと、経歴を詐称してるんだったな。あやういあやうい。)
「昼間にお客さんが来ると、露骨に舌打ちなんかしまして、小声でばかやろうとかつぶやいて、機嫌が悪くなるんですよ。幸せな食卓がその瞬間から苦痛の食卓に変わっちゃいましてね。無言でテレビをみつめちゃったりして。嫌だったなあ」
「それわかるなあ、あるんだよねそういうこと」
「はは」
(ジュディも自営のうちなのか?、山下で自営、ということは、こいつ、あの呉服屋の娘か!。)
「だけど今はそれに構ってられないんですけどね。ただやっぱりお昼に配達ってのは気が引けるもんですよ。明らかに不満顔で応対されることもあります。その気持ちがわかる分、申し訳ない気持ちでいっぱいになります」
祐平達は、メシを食いながらてきぱきと仕事をこなした。梨田は弁当とおでんを急いでかきこんだ。
「あの、そのゆで卵食べないんですか?」
梨田は目ざとく克明のゆで卵を見つけた。
「ああ、これですか。よかったら食べます?」
梨田が、「いいんですか?、ちょうどおでんの玉子が売ってなかったんですよ」と嬉しそうに言ったのち、祐平はニヤリとして、
「ただ、賞味期限はきれてますけど」
と、言った。
「…大丈夫、ですよね?」
まさかの食い下がりをみせた梨田にジュディが、
「あんたねえ、そんなもん食べてさ、腹痛くなったっつったら目も当てられないよ。バカじゃないんだから」と、言い、梨田はもの惜しそうに、「そ、そうですか」とひき下がった。
だが、やっぱり、
祐平とジュディがそれぞれマンションに乗り込んだ隙をついて、ひとり車内に残った梨田はそのゆで卵を食った。帰ってきた祐平達に対し素知らぬ顔をしていた梨田だったが悪事はすぐにバレた。車内が硫黄臭かったし、なによりゆで卵が車内から消えたからだ。
「盗人猛々しいとはあんたのことだよ」
「すいません。どうしても、どうしても僕のおでんにはゆで卵が必要だったんです」
「意味わかんないよ」
「すいませんすいません」
「はは」と笑う祐平。
「あんたなんか腹を下しちまえばいい」
こうして、ゆで卵が原因なのかたらふく食べた結果そうなったのかジュディの呪いが功を奏したのか、10分後、梨田は腹を下すに至った。
「では、ゆっくりどうぞ。少し回ったら迎えにきますから」
腹痛の梨田を洋式トイレのある公園におろす。梨田は珍妙な歩き方をしてトイレに入っていった。それを見届けると、祐平とジュディを乗せたトラックはふたりが宅配を続けるために走りだした。
こうして、梨田が置いてけぼりを食らう羽目になる。
しょうがないですね、などと一通り梨田の話題で盛り上がり終わると、車内は沈黙の時に突入した。
「えっと、次は、ああ、お化け荘か」
ふたりきりの退屈な車内の空気を紛らわせようと、祐平は独り言をつぶやいた。
「お化け荘?」
それにジュディが食いつかなくてはお話にならない。
「ええ、僕の荷物ですけどね。あるんですよ。ちょっと本当に得体のしれない立ち寄り難い平屋のアパートが」
「へえ、だからお化け荘と?」
「それもあるんですが、そのアパート、まあイナ荘という荘なんですけど」
「イナ荘?、冗談じゃなくて?」
「ええ、冗談でもなんでもなく伊那荘という名前なんですが、四つの棟になってまして」
「あ、わかった。見る角度によって」
「そうなんです」
(しまった。荘だけにそうなんです。なんてダジャレになっちまった。)
「…細い路地のどん詰まりにあるボロいアパートなんですが、みるポイントによって棟の数が3つにも2つにも変化しまして、その様子があのお化け煙突みたいだと。そしてお化けが出そうな雰囲気だということから、僕らはお化け荘と言ってるんです。まあ、そんな大層なものではないんですが」
「へえお化け荘ねえ」
…………。
「ちなみに、その伊那荘の正式名称は第四八伊那荘というんです。初めて訪れたとき、こんな建物が48個もあるのか、と思いましたが、なんてことはない、ここいらの地主の伊那さんの、48個目の建物だっただけだったんです。はは」
話を自己完結してしまい虚に笑うしかなかった祐平は、我ながらどうでもいい話をしているなと思った。
ふたりを乗せたトラックが、伊那荘近くに止まった。
「よし、では山下さんはあちらの庭のある家に」
お化け荘の住人は、祐平にも把握しきれていなかった。都会とはいえぬD区とはいえ、東京23区の喧騒から置き去りにされ見てみぬふりをされたような、このうらさびれたボロボロの、一見するとなかに住人は居ず、廃屋と勘違いすることうけあいの伊那荘に、郵便はあってもあまり宅配便などないからだ。
この伊那荘には世捨て人世捨てられ人が世間から隠れ住んでいる、らしい。外部から置き去りにされた彼らに宅配便など届かないのだ。住人にはとりわけ老人が多く、需要はあるのかあまり空き家はないが、住人のサイクルは激しい。
祐平が手に持った宅配物はゴルフバックだった。このとき祐平はただ、「珍しいこともあるもんだ」と思っていた。
A棟三号室の扉を声をかけながら叩くと、なかから中年の男が出てきた。宅配物が住所通りか確かめると、男は祐平に「おう、ご苦労さん」と言いながらハンコを探しに一旦なかに戻った。
祐平は、不思議なことに、この男をどこかで見たような気がした。
どこだったか、もどかしく記憶をたぐらせていると、男が戻ってきた。
「わりいな兄ちゃん。ハンコ見つかんねえや」
「はい、ではサインをお願いします」
「おう、あっと、受取人の名前がいいのかな?」
「いえ、お客様の名前をこちらに、フルネームでお願いします」
「おう」
男が伝票にサインを書き終え、それを確かめた祐平は、不思議なことに男の顔だけでなく、その名前にも見覚えがあった。
不思議なこともあるもんだと思った瞬間、
ようやく、祐平は男の記憶に行き当たった。
「ありがとうございました、失礼します」
普段はこんな丁寧な言い方をして家をあとにしない。祐平は言い終えるとゴルフバックを抱えドキドキしながら小走りでトラックに戻った。いつも通り助手席からトラックにゴルフバックを積もうとしたら、ジュディが戻っていた。
「あ、間違えました」
「あら、残念」
祐平の持ったゴルフバックを見てジュディが言った。
「え?なんですか?」
祐平はドキドキしながらジュディの言葉の意味がわからず聞き返した。
「重くてかさばるのに、不在だったんでしょ?」
「は?、居ましたけど?」
祐平はまだ自分のミスに気がつかなかった。
続