宅配屋と喫茶店(5)
「へえ、この二日見ないうちにそんなことがあったとはねえ」
「ほんと、びっくりしましたよ」
珍しく興奮気味に語る祐平の話を喫茶店のマスターはニヤニヤと笑みを浮かべて聞いている。
「ほんで、それからどうしたんで?」
「いやあ、それがですね、忘れてたんですよ。ほら、腹痛になってた編集さん。置いてけぼりにしてたんです」
「ああ、そりゃあ片一方でそんなことが起こってりゃなあ」
「そうなんですよ。そのあとまあ拾ったんですが、大の男がすねちゃって、大変でした」
「みっともねえな。でもまあ、何時間置いてけぼりにしてたんだ?」
「昼からですから、おおよそ、六時間ですね」
「仕方ねえなそりゃお前」
「ところで、あの」
「なに?」
「奥さんは先ほどから何を?」
まるで孫の話を聴くように耳を傾けるマスターに普段なら激しい口撃をしかけてくるはずの奥さんが、さっきからずっと厨房にこもって、思い出したよう時折ちゃちゃを入れてくるだけだ。
「ああ、なんだか新メニューを開発するとか言ってかかりっきりよ」
「へえ、新メニューですか。二日見ない間にってやつですか」
「あれよ、祐平君が入れ知恵するからよ」
「へ?」
祐平は二日前に“された”唐揚げの話を思い出した。それしかマスターの言う入れ知恵に思い当たる話はない。
知らぬが仏、という言葉があるが、人間なにかキーワードを示唆されるとその気が出てきて、その事柄が今まで平然と或いは知らずして我慢していたとしても、キーとなるイメージを知った瞬間から我慢するのが難しくなるものだ。そのキーワードとは、例えば、最新のファッションアイテム、であったり、熟年離婚、などである。人は知らぬ間に十分間じっと身動きしないでいることは容易で時にそれはのんびりしていたとなるが、人から十分間動くなと言われた瞬間からその十分間は苦行にかわる。
この日は日曜日で、周りに中小企業のオフィスが乱立しているこの喫茶店は本来なら休みである。だが、12月などの祐平が日曜日に休日を持ってくる時には臨時開店する。「休みっつっても、どうせ店に出ることぐれえしかやることなんかねえんだよ」とはマスターの談。「僕もです」とは祐平の談。このサービスを祐平はありがたいと思うと同時に、ここまでされたらそうしないわけにはいかない、とも思う。
なぜこの時期祐平の休日が日曜日に移動するかというと、日曜日、すなわち休日は在宅率が高く、道もすいているし宅配物がどんどんさばけるために割合忙しくないからである。忙しくないから祐平のような出向ドライバーは仕事を臨時ドライバーに任せ、休む。任せるといってももちろん別のプロがつく。数が勝負の臨時ドライバーにとっては稼ぎ時とも言える。なによりどんどんと計算通りに宅配物がさばけるためにストレスがたまらない。平日と比べると休日は格段に楽なのだ。
「さあできた。祐平君ちょっと味見してって」
祐平の前に出された、奥さんがかかりっきりになっていた新メニューとは…………。
その日、祐平は朝からイライラしていた。昨日のモヤモヤが気になって入眠に手間取り、ノンレム睡眠中に起き、短時間睡眠でもすっきり起きることができる、として有名な90分睡眠をとれず入眠から65分後という中途半端なレム睡眠中に起きたということもあるが、なにより引きずるモヤモヤや疲れがイライラに昇華した。労働の忙しさで手いっぱいで、何も考えずにいたいのに小さなこととはいえそんなモヤモヤを抱え込んでしまったら。祐平の精神許容の風船は針をつつけば弾けたかけらがリバプールまで飛んでいってしまいそうになっていた。
でも、やはり特製サンドイッチは作っている。
克明を拾い、この日克明からもらった駄賃は百円ライターだった、克明に今日のことを伺うと、
「それはおれの口からは言えないんだ」
と半笑いで言われ、祐平は「アクセル全開で橋の欄干にぶつかってやろうか」と座った眼をして思った。しなかったが。
珍しく会社でため息をついて着ていた上着を会社のジャンパーに替えると、早速祐平は所長の山下に呼ばれた。
「ええ、こ、こちらが今日一日高窪君と一緒にC地区を回る、えっと、ええ」
所長はなぜか歯に羽毛布団をきせるようなものいいだった。もちろん、このようなタイミングでバイトを紹介されることなど、通常はない。山下の隣にいる二人の男女が普通のバイトではないということだけ祐平に伝わった。祐平は反射的にこの営業所の評価を下すために本社からやってきた人間かと思ったが、そのような人間ならば出向ドライバーである自分が適任なわけがないし、そもそもそんなシステムの話を聞いたことがない、と否定した。
山下が紹介に手間取る様子に隣の小柄な女性が、やれやれ、といった表情で山下を見つめたあと、
「どうもはじめまして。山下ジュディと申します」
「は?」
イライラの峠にさしかかりようやくこれから下り坂だと思った矢先に、髪を橙色に染めてはいるが日本顔丸出しの顔でジュディと名乗られたそのギャップに思わず、祐平は小さな戸惑いとイライラを込めた声を出してしまったが、女のあとに続きすぐに隣の男が、
「その編集を担当させていただいています、梨田です」
と言ったので、祐平の発した声はジュディに届かなかった。
そしてかたわらの編集と名乗る男により、この山下ジュディという珍奇な名前に合点がいった。
「え?あの、あの山下ジュディ、いや山下ジュディさん、いや山下ジュディ先生でよろしいのですか?」
山下ジュディといえばその名声が天下に響く直木賞作家だ。受賞して以来出す本出す本ベストセラーのメディアに顔を出さず個人情報をさらさないことで有名な人物である。その個人情報の秘匿は本名を非公開にしているほどだ。しかし名前こそ知っていたが、祐平はジュディの作品を読んだことがない。というよりも、以前その直木賞受賞作である「断罪レストラン」を古本屋の特価ワゴン販売で目にし、ぺらぺらと立ち読みして以来、祐平の「二度と読むことはないであろう作家」リストに追加された経緯がある。その後ろめたさといきなり目の前に顔を出さない有名人であり後ろめたさの元凶である本人が現れた驚きとで、しどろもどろになった。
「あら、セイちゃん、あっと所長、彼に何も言わなかったの?」
「ちょっと突然だったし、プレッシャーになると悪いから」
山下の下の名前は誠一(せいいち)だ。この山下とジュディの会話、そして二人の年齢、なによりジュディの割れたアゴにより、祐平はおおよそすべてを悟った。そして、その山下の気遣いのおかげでこっちは眠れぬ夜を過ごしたのかと一瞬イライラが再発しかけたが、一片の謎がとけたことによりそれはすぐ治まった。
「えっと、樹里さん、違う、ジュディさんは」
図らずもジュディの本名を祐平は垣間見た。
「しっかりしなさいよ。あんた所長でしょ。ねえ。今日は家族としてじゃなく、あ、いつも弟がお世話になっています。それと今日一日よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げたジュディ。祐平は、はは、と苦笑いをしたのち、はっとして、こちらこそと頭を下げた。遠巻きに同僚がこの成り行きを仕事をしているふりをしながらみていた。
「まま、祐平君も色々と準備があるから、一旦こちらにでも」
「その準備がみてみたいのですけどねえ」
どうやら、来訪目的が取材というやつらしいことがわかった。
「そのね、話があるんですよ色々」
「いやねえ、どうせ陰であたしの悪口言うんでしょ?」
「勘弁してくれよお姉ちゃん」
「はいはい。あ、ごめんなさいね、どうぞどうぞおかまいなく」
かまわなきゃ文句書き殴るつもりだろうが!かまわれたくないなら来るんじゃねえよ!、もちろん祐平はそれを声には出さなかった。
祐平はぽてぽてと一旦、ロッカー室に戻った。それは山下と目でやりとりした行動だ。
「どう?」
ロッカー室では克明がニタニタと笑顔を浮かべて待っていた。
「どうもこうも」
「大変だぞお前」
「いやでもいつも通りにやるだけでしょ。単純に時間ないですし」
「お前知ってるよな?」
「え?山下さんの姉だってことですか?」
「違うよ。それも驚いたけどさ。昨日な」
「はあ」克明の言いぐさに祐平はむかっとした。
「知らねえの?」
克明は、これは困ったぞとでも言いたげに、腕を組んで片手をアゴに置き顔を覗き込むようにして祐平に言った。
「なんですか?なにかあるなら早く教えてください」
「ああ、あの山下ジュディ、少し前にな、エッセイだかコラムだかのなかで“配達員は猿以下のバカがやる仕事、総じて人間のクズ”だと言ったんだよ。結構有名な話だぜ」
祐平はそのジュディが記したという内容よりも、ともかく目先にいるこの気色悪いニタニタ顔のゴリラに無性にむかついて一計を案じた。
「そりゃひどい言われようですね」
「そうだろ」
「なんか言ってやりますか。どの口で言いやがったんだって」
「おう、言っちゃえよ」
克明は釣り針に食いついた。
「ちなみに土井さんならなんて言います?」
「そうだなおれなら、てめえジュディだかマリーだか知らねえがお前が書いた森林破壊の元になってるつまらねえ本を読者に運んでんのは」
意気高々に朗々と文句を語り始めたその時、ロッカー室の扉の奥から「ごほん」と咳払いがひとつ。
人間、咳払いひとつでも瞬時に人物を特定できるものだ。血の気が引くとはまさにこのこと、顔面蒼白になる克明をみて、祐平の溜飲は下がった。
ロッカー室に入り、克明を無視して祐平に馴染みの平謝りをする山下。克明はそそくさと出ていった。
「難しいことは言わない。とにかく、いつも通りに頼む。お客様を第一に。なにか文句を言ってきかなかったら殴ってもいいから」
「そんなことするわけないじゃないですか」
姉の前と今とではずいぶん態度が違うなと思うと同時に、祐平はこのアゴの割れた上司から頼もしさを感じた。
「悪い。頼んだ。なにかあったらすぐにおれに電話してくれ」
「はい。わかりました」
山下が部屋を出て独りきりになると、祐平は、
「猿以下か、少なくとも土井さんは」
とつぶやいて、にたりと笑った。しかしすぐに、
「少なくとも土井さんとおれか」
とつぶやきを重ねて部屋を出た。
続
「ほんと、びっくりしましたよ」
珍しく興奮気味に語る祐平の話を喫茶店のマスターはニヤニヤと笑みを浮かべて聞いている。
「ほんで、それからどうしたんで?」
「いやあ、それがですね、忘れてたんですよ。ほら、腹痛になってた編集さん。置いてけぼりにしてたんです」
「ああ、そりゃあ片一方でそんなことが起こってりゃなあ」
「そうなんですよ。そのあとまあ拾ったんですが、大の男がすねちゃって、大変でした」
「みっともねえな。でもまあ、何時間置いてけぼりにしてたんだ?」
「昼からですから、おおよそ、六時間ですね」
「仕方ねえなそりゃお前」
「ところで、あの」
「なに?」
「奥さんは先ほどから何を?」
まるで孫の話を聴くように耳を傾けるマスターに普段なら激しい口撃をしかけてくるはずの奥さんが、さっきからずっと厨房にこもって、思い出したよう時折ちゃちゃを入れてくるだけだ。
「ああ、なんだか新メニューを開発するとか言ってかかりっきりよ」
「へえ、新メニューですか。二日見ない間にってやつですか」
「あれよ、祐平君が入れ知恵するからよ」
「へ?」
祐平は二日前に“された”唐揚げの話を思い出した。それしかマスターの言う入れ知恵に思い当たる話はない。
知らぬが仏、という言葉があるが、人間なにかキーワードを示唆されるとその気が出てきて、その事柄が今まで平然と或いは知らずして我慢していたとしても、キーとなるイメージを知った瞬間から我慢するのが難しくなるものだ。そのキーワードとは、例えば、最新のファッションアイテム、であったり、熟年離婚、などである。人は知らぬ間に十分間じっと身動きしないでいることは容易で時にそれはのんびりしていたとなるが、人から十分間動くなと言われた瞬間からその十分間は苦行にかわる。
この日は日曜日で、周りに中小企業のオフィスが乱立しているこの喫茶店は本来なら休みである。だが、12月などの祐平が日曜日に休日を持ってくる時には臨時開店する。「休みっつっても、どうせ店に出ることぐれえしかやることなんかねえんだよ」とはマスターの談。「僕もです」とは祐平の談。このサービスを祐平はありがたいと思うと同時に、ここまでされたらそうしないわけにはいかない、とも思う。
なぜこの時期祐平の休日が日曜日に移動するかというと、日曜日、すなわち休日は在宅率が高く、道もすいているし宅配物がどんどんさばけるために割合忙しくないからである。忙しくないから祐平のような出向ドライバーは仕事を臨時ドライバーに任せ、休む。任せるといってももちろん別のプロがつく。数が勝負の臨時ドライバーにとっては稼ぎ時とも言える。なによりどんどんと計算通りに宅配物がさばけるためにストレスがたまらない。平日と比べると休日は格段に楽なのだ。
「さあできた。祐平君ちょっと味見してって」
祐平の前に出された、奥さんがかかりっきりになっていた新メニューとは…………。
その日、祐平は朝からイライラしていた。昨日のモヤモヤが気になって入眠に手間取り、ノンレム睡眠中に起き、短時間睡眠でもすっきり起きることができる、として有名な90分睡眠をとれず入眠から65分後という中途半端なレム睡眠中に起きたということもあるが、なにより引きずるモヤモヤや疲れがイライラに昇華した。労働の忙しさで手いっぱいで、何も考えずにいたいのに小さなこととはいえそんなモヤモヤを抱え込んでしまったら。祐平の精神許容の風船は針をつつけば弾けたかけらがリバプールまで飛んでいってしまいそうになっていた。
でも、やはり特製サンドイッチは作っている。
克明を拾い、この日克明からもらった駄賃は百円ライターだった、克明に今日のことを伺うと、
「それはおれの口からは言えないんだ」
と半笑いで言われ、祐平は「アクセル全開で橋の欄干にぶつかってやろうか」と座った眼をして思った。しなかったが。
珍しく会社でため息をついて着ていた上着を会社のジャンパーに替えると、早速祐平は所長の山下に呼ばれた。
「ええ、こ、こちらが今日一日高窪君と一緒にC地区を回る、えっと、ええ」
所長はなぜか歯に羽毛布団をきせるようなものいいだった。もちろん、このようなタイミングでバイトを紹介されることなど、通常はない。山下の隣にいる二人の男女が普通のバイトではないということだけ祐平に伝わった。祐平は反射的にこの営業所の評価を下すために本社からやってきた人間かと思ったが、そのような人間ならば出向ドライバーである自分が適任なわけがないし、そもそもそんなシステムの話を聞いたことがない、と否定した。
山下が紹介に手間取る様子に隣の小柄な女性が、やれやれ、といった表情で山下を見つめたあと、
「どうもはじめまして。山下ジュディと申します」
「は?」
イライラの峠にさしかかりようやくこれから下り坂だと思った矢先に、髪を橙色に染めてはいるが日本顔丸出しの顔でジュディと名乗られたそのギャップに思わず、祐平は小さな戸惑いとイライラを込めた声を出してしまったが、女のあとに続きすぐに隣の男が、
「その編集を担当させていただいています、梨田です」
と言ったので、祐平の発した声はジュディに届かなかった。
そしてかたわらの編集と名乗る男により、この山下ジュディという珍奇な名前に合点がいった。
「え?あの、あの山下ジュディ、いや山下ジュディさん、いや山下ジュディ先生でよろしいのですか?」
山下ジュディといえばその名声が天下に響く直木賞作家だ。受賞して以来出す本出す本ベストセラーのメディアに顔を出さず個人情報をさらさないことで有名な人物である。その個人情報の秘匿は本名を非公開にしているほどだ。しかし名前こそ知っていたが、祐平はジュディの作品を読んだことがない。というよりも、以前その直木賞受賞作である「断罪レストラン」を古本屋の特価ワゴン販売で目にし、ぺらぺらと立ち読みして以来、祐平の「二度と読むことはないであろう作家」リストに追加された経緯がある。その後ろめたさといきなり目の前に顔を出さない有名人であり後ろめたさの元凶である本人が現れた驚きとで、しどろもどろになった。
「あら、セイちゃん、あっと所長、彼に何も言わなかったの?」
「ちょっと突然だったし、プレッシャーになると悪いから」
山下の下の名前は誠一(せいいち)だ。この山下とジュディの会話、そして二人の年齢、なによりジュディの割れたアゴにより、祐平はおおよそすべてを悟った。そして、その山下の気遣いのおかげでこっちは眠れぬ夜を過ごしたのかと一瞬イライラが再発しかけたが、一片の謎がとけたことによりそれはすぐ治まった。
「えっと、樹里さん、違う、ジュディさんは」
図らずもジュディの本名を祐平は垣間見た。
「しっかりしなさいよ。あんた所長でしょ。ねえ。今日は家族としてじゃなく、あ、いつも弟がお世話になっています。それと今日一日よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げたジュディ。祐平は、はは、と苦笑いをしたのち、はっとして、こちらこそと頭を下げた。遠巻きに同僚がこの成り行きを仕事をしているふりをしながらみていた。
「まま、祐平君も色々と準備があるから、一旦こちらにでも」
「その準備がみてみたいのですけどねえ」
どうやら、来訪目的が取材というやつらしいことがわかった。
「そのね、話があるんですよ色々」
「いやねえ、どうせ陰であたしの悪口言うんでしょ?」
「勘弁してくれよお姉ちゃん」
「はいはい。あ、ごめんなさいね、どうぞどうぞおかまいなく」
かまわなきゃ文句書き殴るつもりだろうが!かまわれたくないなら来るんじゃねえよ!、もちろん祐平はそれを声には出さなかった。
祐平はぽてぽてと一旦、ロッカー室に戻った。それは山下と目でやりとりした行動だ。
「どう?」
ロッカー室では克明がニタニタと笑顔を浮かべて待っていた。
「どうもこうも」
「大変だぞお前」
「いやでもいつも通りにやるだけでしょ。単純に時間ないですし」
「お前知ってるよな?」
「え?山下さんの姉だってことですか?」
「違うよ。それも驚いたけどさ。昨日な」
「はあ」克明の言いぐさに祐平はむかっとした。
「知らねえの?」
克明は、これは困ったぞとでも言いたげに、腕を組んで片手をアゴに置き顔を覗き込むようにして祐平に言った。
「なんですか?なにかあるなら早く教えてください」
「ああ、あの山下ジュディ、少し前にな、エッセイだかコラムだかのなかで“配達員は猿以下のバカがやる仕事、総じて人間のクズ”だと言ったんだよ。結構有名な話だぜ」
祐平はそのジュディが記したという内容よりも、ともかく目先にいるこの気色悪いニタニタ顔のゴリラに無性にむかついて一計を案じた。
「そりゃひどい言われようですね」
「そうだろ」
「なんか言ってやりますか。どの口で言いやがったんだって」
「おう、言っちゃえよ」
克明は釣り針に食いついた。
「ちなみに土井さんならなんて言います?」
「そうだなおれなら、てめえジュディだかマリーだか知らねえがお前が書いた森林破壊の元になってるつまらねえ本を読者に運んでんのは」
意気高々に朗々と文句を語り始めたその時、ロッカー室の扉の奥から「ごほん」と咳払いがひとつ。
人間、咳払いひとつでも瞬時に人物を特定できるものだ。血の気が引くとはまさにこのこと、顔面蒼白になる克明をみて、祐平の溜飲は下がった。
ロッカー室に入り、克明を無視して祐平に馴染みの平謝りをする山下。克明はそそくさと出ていった。
「難しいことは言わない。とにかく、いつも通りに頼む。お客様を第一に。なにか文句を言ってきかなかったら殴ってもいいから」
「そんなことするわけないじゃないですか」
姉の前と今とではずいぶん態度が違うなと思うと同時に、祐平はこのアゴの割れた上司から頼もしさを感じた。
「悪い。頼んだ。なにかあったらすぐにおれに電話してくれ」
「はい。わかりました」
山下が部屋を出て独りきりになると、祐平は、
「猿以下か、少なくとも土井さんは」
とつぶやいて、にたりと笑った。しかしすぐに、
「少なくとも土井さんとおれか」
とつぶやきを重ねて部屋を出た。
続