宅配屋と喫茶店(4) | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

宅配屋と喫茶店(4)

準備が整い、さあ担当エリアまでかっ飛ばすか、意気揚々と会社トラックに乗り込まんとした時、祐平は所長の山下に呼び止められた。
「祐平君、ちょっと待って、忘れてた忘れてた」
この時期の所長は宅配物の事故処理とクレーム処理に追われている。
祐平は、何かミスをしてしまったか、と瞬間的に頭を回したが、特に思いあたることはなかった。
「はい」
「悪い悪い、あのねえ」
「はあ」
「えっと、まずはこれね、新しいの」
そう言って、歳より若く見えることが自慢の色黒ではないのになぜか色黒だという印象を残すアゴの割れた不思議な顔立ちの所長が笑顔で祐平に、ぺら紙一枚を差し出した。
「ああ、なるほど」
祐平は受け取った紙をじっと見た。そこには男の顔のイラストが大きく印刷されていた。
「ね、よろしく」
それは指名手配犯のイラスト写真であった。配達員というものは職務上否応なく、担当エリアの数百数千にのぼるほとんど全ての人間の名前や住所はもちろんのこと、顔、家族構成、ペット、大まかな職業、趣味、生活サイクル、いつごろ引っ越してきたか、どのような人たちと関係があるのか、を脳内にメモリーしている。あくまでも職務上否応なく、である。宅配物と玄関から垣間見る人間模様というのもなかなかおもしろいものがあり、宅配員になってからまだまだベテランなどというものではない祐平だが、色々なものを見てきた。
コアなアニメグッズを買うこわもての入れ墨ジジイ。
自分は歴史作家だぞと誇示し自著を渡してくる自己顕示の強いおばさん。必ず、どうだった?、と訊いてくるので迷惑極まりない。
定期的に実家から米などが届く若いバンドマン。
結構いいマンションに一人暮らししてるニート。
毎日配達終わりに栄養ドリンクをくれる老人ホーム。
人間不信の女。
待ち人があると玄関を開けて待っている盲人。
お母さんの言いつけを守り決して玄関を開けない子供。
自社ビルを持つ弁護士の趣味はサバイバルゲーム。
初めてその家に訪れた人では中の住人を呼び出す方法がわからないであろう家。
夫や義理親に内緒でブランド品を買いまくる町工場の若奥さん。
亀を愛してる若奥さん。
暇を持て余す若奥さん。
おたわむれに中へとお誘いになる若奥さん。
それに決して乗じない祐平。
引き寄せる若奥さん。
拒む祐平。
お遊びでおクレームをお嗜みになられた若奥さん。
お困りになる祐平。
等々。某宅配業者のテレビコマーシャルでおなじみ「いつものお兄さん」といわれる宅配員は、逆の言い方をすれば、あなたがその宅配員を知っている以上に、宅配員が町のみんなを知っている、のである。

その能力を犯罪捜査に活用しない理由がない、というわけだ。いわば走るビジネスホテルの受付の裏だ。宅配員による通報がきっかけの検挙の割合などゼロに近いだろうが。

「…強盗殺人犯ですか。会いたくないですね」
「なんでもねえ、知ってる?ここ最近D区で連続して放火があったんだけど、なんでもそれもコイツの仕業、手口らしいんだよ」
「強盗殺人犯で連続放火魔ですか。どういう奴なんですかそいつは」
「いや、こういう奴だよ」
そう言って所長はニコニコと手配イラストを指した。
「…はい」
「うんうん」
所長もだいぶ疲れがたまってきているなと祐平は察した。
「…ますます会いたくないですね。逃亡中で、ハンコ持ってんですかねえ」
「なに、ハンコ持ってなかったらフルネームでのサインが基本だからね。顔と本名確認次第、そこで君がババッと犯人の首根っこを捕まえて」
「返り討ちにされる、ですかね」
「はは、まあさすがに指名手配犯が受取人に自分の名前を表記しているなんてバカなことはないにしても、本人受取じゃなくても本名でサインは書かないでしょ。つい書いちゃったってんならそいつは稀にみるバカだね。まあ冗談はさて置き」
「はい」
「明日、君にバイト付くから」
「はあ、あの、一応訊きますがどっちのですか?」
どっちの、とは、例の2006年に道路交通法改正により誕生した駐車監視員対策として、宅配業者が新たに募集を始めた、いわゆる助手席に座ってるだけのバイトか、一緒に宅配を手伝ってくれるバイトか、を指している。一応、と付けたのはもう助手席に座っているだけのバイトが要らないことがわかった、つまり余程のことがない限り宅配の車は取締りをされないことが年月を経てわかったことと、祐平の担当エリアは住宅街で、そもそも駐車禁止の場所がほぼないのだ。よって祐平のトラックにはそのバイト者は必要なかった。
しかし、前者も後者も、このように前日に宣言されるということは無い。前者はさて置き、後者の場合通常は朝に、今日はきつそうだ、というエリア順にバイトがあてがわれていくからだ。
「うーん、まあ、それは明日ふたりで決めてくれ」
山下の表情が打って変わって曇った。
「えっ、どういうことですか?」
「ま、君が適任、かなと」
「僕、が?、はあ、一体どういう…」
祐平は戸惑った。こんなあやふやなこと山下から言われたことがない。そんな祐平をよそに、山下はまたニコニコになって、
「ままま、さあ今日も一日よろしく!さあ時間ないよ!いってらっしゃい!」
と言った。
山下に見送られ、祐平はモヤモヤした気持ちのまま担当エリアに向かった。ちなみに「遠い担当エリア」の場合、得てして現場近くに別の配送基地があり、プロドライバーは担当臨時ドライバーの世話以外のことはそっちで行うのだが、ややこしくなるだけなのでそのことはばっさりと割愛する。

しかし、その祐平のモヤモヤもすぐに忙しさの前に吹き飛んだ。山下が言ったように、時間がないのだ。時刻は8時になろうとしている。8時になった瞬間から早速、時間指定された宅配物との戦いが始まる。
祐平の会社では、時間指定の区切り方には、朝の8時から10時、10時から12時、午前中、12時から3時、以降また二時間ずつ区切られ、最後に9時から10時、がある。先に述べたように、これを一分一秒でも過ぎると山下の出番になる場合がある。また、一分一秒“早く”ても、それはある。それは当然といえば当然なのかもしれないし、現に宅配員は余程のことがない限りそれを厳守してるし、それができるよう人口を鑑みて会社が担当エリアを区分しているのだが、やはり繁忙期には大きなプレッシャーになる。すべての宅配物がひとつの時間帯に集中していた、という夢を見てうなされることが祐平のみる悪夢だ。
ここでひとつ気にかけて欲しいことがある、最後の時間指定帯である9時から10時のことだ。
まず、原則的にプロドライバーは担当エリアに10時まで居る。それはこの時間区分があることもそうだが、その日の宅配物はその日のうちに、というのがこれまた原則としてある。その、その日のうち、というのが10時を基準としているのだ。不在の宅配物がひとつでも残っていればプロドライバーは10時まで現場に待機する。そしてすべからく不在の宅配物が残っていない日など稀である。
そして、この時期帯が一時間しかないことだ。この時期帯を指定する宅配物が他の時間帯に比べ少ないとはいえ、繁忙期ではなにより宅配物の総量が桁違いである。必然的にこの時間を指定した宅配物の量が増える。また、この時間帯は最後の努力を“見せ”なければいけない時間だ。その日の宅配物はその日のうちに、なのだ。不在票を置いた家に最後の電話をかける。出たら即宅配。そして、案外、時によかれと思って、時にバカバカしくて、こんな時間だからと、帰宅しながらも不在票にかかれた携帯電話番号に電話をしない、しわすれた人が結構いる。そしてそして、ここは賛否の否に意見が片寄るところだろうが、電話にも出なかった家には、最後の最後にまた直接出向く。これは宅配物をできるだけさばくためもあるが、客から今日届くはずの荷物が届いていないと、と文句を言われた時に、うちはやることやりました、と返すためでもある。これまた案外、電話にでんわ、もとい、電話には出なくても在宅率は高い。客にしてみればこんな時間になんだ、無礼と迷惑が千万じゃないかという話だが、特にこの時期は宅配員も必死で、とてもじゃないが相手のことなど気にかけて
いる余裕はない。時間に追われているのだ。ちなみにマンションなどには入口に宅配ボックスというものが、宅配員は原則使用禁止である。ましてや、玄関の前に置いといてなど絶対に受け付けられない注文である。ハンコやサイン、証明スタンプなどが用意されていてもだ。受取人に手渡し、が宅配の原則だからである。宅配物は受取人もしくはそれに代わる人物が受け取るまでが宅配物であるらしく、たとえ本人の指示に従ってそれらを行った結果宅配物が盗まれたりしても、その責任は宅配業者にかかる。だから禁止なのだ。とはいえ、人間だもの、客から宅配ボックスに入れておけ等言われれば、融通することも、ある。やるときはやる。

現地に着いた祐平は宅配をしつつ個宅から集荷の連絡を受け、沖田のフォローをしつつ昼頃から特性サンドイッチを宅配一件ごとに一口ずつついばみ、営業所に戻っては新しい宅配物を仕分け、積み込み、営業所にある軽食の自動販売機で夜食のサンドイッチを買い、また走り出す。そんなこんなで息つく暇なくあっという間に夜が来て、最後のラッシュをかける。10時を過ぎても、実はまだ配っている。頃合いを見て事務所に戻り残務をこなす。

「あのぉ、すいません」
「はい?」
今日の宅配個数を専用の表に書き込む沖田と雑談をしているとき、祐平は臨時ドライバーの平均年齢と比較すると若い臨時ドライバーの女に話しかけられた。新人だ。
「この機械のことなんですけど」
女が差し出す機械とは、臨時ドライバー用のバーコードリーダーであった。臨時ドライバー用はプロ仕様の機械をおもちゃにしたようなやつで、営業所から宅配物を持ち出す時に伝票を読み込み、受取時に伝票を読み込むだけの機能を有している。バイトに代引きなどもってのほかだ。
「どうしました?」
「あのぉ、ちょっとミスしちゃいまして、お客さんが受け取ってないのに読み込んじゃったんですよぉ。すいません。それを消したいんですけどどうしたらいいか」
「ああ、それはですね。確か、それのBボタンありますでしょ。ああいや、“戻る”ボタン。うん。それを間違ったところの上で長押ししてみてください。確かそれでいけるはずです」
「えっと、………あっはいはい」
「できました?」
「あっ、できました。すいません、ありがとうございました」
いいえとんでもない、と言って祐平は笑顔をつくった。

「なあ、お前明日大変だぞ」
帰り道、肩口から克明がからかうように祐平に言った。
「明日って、僕にヘルパーがつくって話で?」
思い出して祐平はまたモヤモヤした。
「ふふふ」
「なんなんですかあれ。何か知ってるんですか?」
「それはお前、明日になってのお楽しみってやつよ」