宅配屋と喫茶店(2)
まだ夜も明けぬ暗がりの中、高窪祐平はバイクにまたがり走る。長いはずの短い一日のはじまりだ。
本来なら日光街道を埼玉方面に向けて走り環七に入ってちょいちょいと行くのが最短ルートなのだが、祐平は言問橋を渡り大回りするルートをとる。それは積載量をオーバーしたトラックが検閲を避けるルートに似る。祐平はこのルートを、前者を表、後者を裏とし、裏から回ると表現している。なぜわざわざ遠回りのこのルートを使うのかというと、その大通りは二輪車による事故が絶えないことも少なからずあるのだが、途中で同僚をピックアップするためだ。
同僚の土井克明(どいかつあき)の家は入り組んだ路地の中にある。墓場の真ん前にある画一的デザインのアパートだ。克明はほぼ祐平と同期だが、年齢は三つばかり祐平より上だ。昔レスリングをしており今もプロレスラーにおれはなるんだと言ってはばからず暇な時間は肉体鍛錬に励むという立派な体格の持ち主で、年中坊主頭で年中粉を吹く肌を持つ人特有の土色の肌をした、しかし童顔の男である。
プロレスラーになるんだと言ってはばからないのだが、克明はいわゆる運動神経というものが壊滅的惨状だということを祐平は知っていた。以前ふたりで飲んだ夜、公園に寄った際、酔いもあってふとしたことからふたりは鉄棒をすることになった。子供のころ割と鉄棒が得意だった祐平が懐かしそうに空中逆上がりでくるくる回ったり、コウモリ振り降りで着地を決めていたその横で、なよなよと空中で足をばたばたするだけで、逆上がりができない克明がいた。昔はできたのにな、と克明はつぶやいた。祐平はこのときに、ああこの人は体力はあれどセンスがないんだな、と確信した。
ふたりは克明の家の近くのコンビニ前で合流するのが日常だった。
「おはようさん、ほい」
克明は祐平にいつも、そのコンビニで売っている200円未満の飲食物を駄賃代わりに渡す。一昨日は歯磨きガムなるもので、今日はゆで卵だった。
「殻、めんどくさいなあ」
作業的な話ではなく、殻むき作業にかかる時間のことを指しての、めんどくさい、であることはまっすぐ克明に伝わった。
「お前、今日もあれだろ?」
あれ、が昼食兼夕食の祐平特製サンドイッチであることは、祐平にまっすぐ伝わった。特製サンドイッチとは、八枚切りの食パン二枚の間に甘いピーナッツバターを塗り込み、さらに魚肉ソーセージを一本入れたものだ。シンプルながらにしてグロいサンドイッチ。これは即効性のある栄養食だ、が祐平の口癖である。その日常食を危惧した克明のゆで卵だった。だが、今日の特製サンドイッチはいつもと少し違った。
「今日はね、二本なんですよ」
「えっ?」
「今日はね、魚肉ソーセージが二本入りなんですよ」
「…そうか、それは、そうだな」
まだまだ夜も明けぬ暗がりの中のあくびまじりのよくわからぬ会話を交わし、いわゆるビッグスクーターは走り出した。克明が必要以上にぎゅっと祐平の胴を抱え、冬の寒空の下克明のぬくもりが必要以上に祐平に伝わる。祐平はそれをずっとイヤだなと思っていたが、言い出せなかった。いつものことだ。
克明を乗せると、祐平は職務上知り得た裏道をちょこまかちょこまかと走る。裏道ではあるが、このいつものルートは決して抜け道ではない。通りを走った方が断然早いのだが、これは祐平のクセのようなもので眠気覚ましの意味がある。いわば働く態勢を整える重要な儀式のようなものだった。
「あれ?土井さんも昨日休みでしたっけ?」
「なに?」
「土井さんも昨日休みでしたっけ!?」
「いや、聞こえてたけどね。それがなに?」
「…………」
ちょっとした会話のすれ違い。
「土井さん、昨日酒飲みました?」
「えっ、まさか」
「まずいんじゃないですかねえ、多少匂いますよ」
「…まあ、なかったことにしておいてくれ」
「なかったことにはできないでしょ」
「でも、ちゃんと八時間は寝た見積もりなのだが」
「見積もりってどういうことだよ」
ふたりを乗せたバイクは未だ明けきらぬ冬の暗がりを背に、営業所へと滑り込んだ。一通りの支度を済ますと早速仕事に取りかかる。
なお、ふたりはお歳暮シーズンやお中元、暑中見舞いシーズンの繁忙期のみ、普段働く台東エリアから出向し人口とエリアの広さが比較にならないこのDエリアの営業所にヘルプにやってくる。おっとそうだ、この物語は決して「土地付き」の物語ではないということを先に伝えておこう。そしてこの物語に登場する人物、世界は基本的に作者が作った架空の世界に於けるフィクションであるということも伝えておこう。しばしば現実世界に実在する地名等が出てくるが、それは現実であって現実でない創作の世界だということを認識されるようお願いしたい。
「今日もまた一段とパンパンだな」
克明はどこか嬉しそうに山と積まれた担当エリアの宅配物を眺めて言った。その横で、通称「親方」が荷分けのバイトに怒鳴り散らしながら指図をしている。いつもの静かな朝だ。
正直に言って、この繁忙期、祐平達ドライバーは諦めている。この山と積まれたその日分の宅配物を一日で配りきれるはずがない、と。実際はなんとか配りきってしまうのだが。もう床に着こうとした夜遅くにチャイムがなり、訝しみながら応答すると宅配便だったということはないか?、非常識と言うことなかれ。これには事情というものがある。まず、基本的にその日配送センターに届いた荷物はその日の内に消化しないといけないということ。繁忙期の膨大な量の宅配物はとてもじゃないが通常通りさばききれないためにそういうことが起こる。とは言っても10時を過ぎれば次の日に持ち越しになるのだが。それと、宅配の時間を指定できるようになってからというもの、この時期、その時間指定された宅配物をなんとか指定された時間内に配りきることで手一杯で、ついでに届けることができるマンションなどの集合住宅を除き、個宅の場合どうしても時間指定されていない荷物は後回しにされる。なぜならば時間が指定されていないからだ。では、時間指定した方が“得”なのかという話になるが、ドライバー達の本心をいえば、どうでもいい宅配物はいちいち時間指定をするな
、だ。受け取れなかった時にいつでも受け取れるよう不在票は存在するのだと。そしてたった一分指定された時間範囲から遅れただけでクレームをつけるなと。この時期、その手のクレームは平謝りという術により華麗に流されることを知るべし。
諦観を抱えた人間というものはニヤニヤと笑みを浮かべ、成り行きに任せるしかないと悟るものだ。だから、この時期ドライバーや事務方の人間は、まるで文化祭のために徹夜して準備をしている高校生のように、皆一様にテンションが高いし、優しくなる。いわば宅配ハイだ。宅配ハイの詳細についてはいずれ後述するとして、この時期に雇う臨時バイトドライバーが、例えば時間指定を無視してしまっても、あまつさえ宅配物を壊してしまうようなことがあっても、まあしょうがない、とニヤニヤ笑って済ます。次から次への流れ作業が続くなか、説教のひとつもしていちいち足を止めている暇はないという事情もある。
続
本来なら日光街道を埼玉方面に向けて走り環七に入ってちょいちょいと行くのが最短ルートなのだが、祐平は言問橋を渡り大回りするルートをとる。それは積載量をオーバーしたトラックが検閲を避けるルートに似る。祐平はこのルートを、前者を表、後者を裏とし、裏から回ると表現している。なぜわざわざ遠回りのこのルートを使うのかというと、その大通りは二輪車による事故が絶えないことも少なからずあるのだが、途中で同僚をピックアップするためだ。
同僚の土井克明(どいかつあき)の家は入り組んだ路地の中にある。墓場の真ん前にある画一的デザインのアパートだ。克明はほぼ祐平と同期だが、年齢は三つばかり祐平より上だ。昔レスリングをしており今もプロレスラーにおれはなるんだと言ってはばからず暇な時間は肉体鍛錬に励むという立派な体格の持ち主で、年中坊主頭で年中粉を吹く肌を持つ人特有の土色の肌をした、しかし童顔の男である。
プロレスラーになるんだと言ってはばからないのだが、克明はいわゆる運動神経というものが壊滅的惨状だということを祐平は知っていた。以前ふたりで飲んだ夜、公園に寄った際、酔いもあってふとしたことからふたりは鉄棒をすることになった。子供のころ割と鉄棒が得意だった祐平が懐かしそうに空中逆上がりでくるくる回ったり、コウモリ振り降りで着地を決めていたその横で、なよなよと空中で足をばたばたするだけで、逆上がりができない克明がいた。昔はできたのにな、と克明はつぶやいた。祐平はこのときに、ああこの人は体力はあれどセンスがないんだな、と確信した。
ふたりは克明の家の近くのコンビニ前で合流するのが日常だった。
「おはようさん、ほい」
克明は祐平にいつも、そのコンビニで売っている200円未満の飲食物を駄賃代わりに渡す。一昨日は歯磨きガムなるもので、今日はゆで卵だった。
「殻、めんどくさいなあ」
作業的な話ではなく、殻むき作業にかかる時間のことを指しての、めんどくさい、であることはまっすぐ克明に伝わった。
「お前、今日もあれだろ?」
あれ、が昼食兼夕食の祐平特製サンドイッチであることは、祐平にまっすぐ伝わった。特製サンドイッチとは、八枚切りの食パン二枚の間に甘いピーナッツバターを塗り込み、さらに魚肉ソーセージを一本入れたものだ。シンプルながらにしてグロいサンドイッチ。これは即効性のある栄養食だ、が祐平の口癖である。その日常食を危惧した克明のゆで卵だった。だが、今日の特製サンドイッチはいつもと少し違った。
「今日はね、二本なんですよ」
「えっ?」
「今日はね、魚肉ソーセージが二本入りなんですよ」
「…そうか、それは、そうだな」
まだまだ夜も明けぬ暗がりの中のあくびまじりのよくわからぬ会話を交わし、いわゆるビッグスクーターは走り出した。克明が必要以上にぎゅっと祐平の胴を抱え、冬の寒空の下克明のぬくもりが必要以上に祐平に伝わる。祐平はそれをずっとイヤだなと思っていたが、言い出せなかった。いつものことだ。
克明を乗せると、祐平は職務上知り得た裏道をちょこまかちょこまかと走る。裏道ではあるが、このいつものルートは決して抜け道ではない。通りを走った方が断然早いのだが、これは祐平のクセのようなもので眠気覚ましの意味がある。いわば働く態勢を整える重要な儀式のようなものだった。
「あれ?土井さんも昨日休みでしたっけ?」
「なに?」
「土井さんも昨日休みでしたっけ!?」
「いや、聞こえてたけどね。それがなに?」
「…………」
ちょっとした会話のすれ違い。
「土井さん、昨日酒飲みました?」
「えっ、まさか」
「まずいんじゃないですかねえ、多少匂いますよ」
「…まあ、なかったことにしておいてくれ」
「なかったことにはできないでしょ」
「でも、ちゃんと八時間は寝た見積もりなのだが」
「見積もりってどういうことだよ」
ふたりを乗せたバイクは未だ明けきらぬ冬の暗がりを背に、営業所へと滑り込んだ。一通りの支度を済ますと早速仕事に取りかかる。
なお、ふたりはお歳暮シーズンやお中元、暑中見舞いシーズンの繁忙期のみ、普段働く台東エリアから出向し人口とエリアの広さが比較にならないこのDエリアの営業所にヘルプにやってくる。おっとそうだ、この物語は決して「土地付き」の物語ではないということを先に伝えておこう。そしてこの物語に登場する人物、世界は基本的に作者が作った架空の世界に於けるフィクションであるということも伝えておこう。しばしば現実世界に実在する地名等が出てくるが、それは現実であって現実でない創作の世界だということを認識されるようお願いしたい。
「今日もまた一段とパンパンだな」
克明はどこか嬉しそうに山と積まれた担当エリアの宅配物を眺めて言った。その横で、通称「親方」が荷分けのバイトに怒鳴り散らしながら指図をしている。いつもの静かな朝だ。
正直に言って、この繁忙期、祐平達ドライバーは諦めている。この山と積まれたその日分の宅配物を一日で配りきれるはずがない、と。実際はなんとか配りきってしまうのだが。もう床に着こうとした夜遅くにチャイムがなり、訝しみながら応答すると宅配便だったということはないか?、非常識と言うことなかれ。これには事情というものがある。まず、基本的にその日配送センターに届いた荷物はその日の内に消化しないといけないということ。繁忙期の膨大な量の宅配物はとてもじゃないが通常通りさばききれないためにそういうことが起こる。とは言っても10時を過ぎれば次の日に持ち越しになるのだが。それと、宅配の時間を指定できるようになってからというもの、この時期、その時間指定された宅配物をなんとか指定された時間内に配りきることで手一杯で、ついでに届けることができるマンションなどの集合住宅を除き、個宅の場合どうしても時間指定されていない荷物は後回しにされる。なぜならば時間が指定されていないからだ。では、時間指定した方が“得”なのかという話になるが、ドライバー達の本心をいえば、どうでもいい宅配物はいちいち時間指定をするな
、だ。受け取れなかった時にいつでも受け取れるよう不在票は存在するのだと。そしてたった一分指定された時間範囲から遅れただけでクレームをつけるなと。この時期、その手のクレームは平謝りという術により華麗に流されることを知るべし。
諦観を抱えた人間というものはニヤニヤと笑みを浮かべ、成り行きに任せるしかないと悟るものだ。だから、この時期ドライバーや事務方の人間は、まるで文化祭のために徹夜して準備をしている高校生のように、皆一様にテンションが高いし、優しくなる。いわば宅配ハイだ。宅配ハイの詳細についてはいずれ後述するとして、この時期に雇う臨時バイトドライバーが、例えば時間指定を無視してしまっても、あまつさえ宅配物を壊してしまうようなことがあっても、まあしょうがない、とニヤニヤ笑って済ます。次から次への流れ作業が続くなか、説教のひとつもしていちいち足を止めている暇はないという事情もある。
続