怖い話、じゃなかった話 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

怖い話、じゃなかった話

その時、またどんどんと玄関が叩かれた。おっさんだ!おっさんが今の叫びに応じ召喚されたのだ!などと思う余裕はなかったが、おっさんが来てくれたことにどれほど救われたことか。頼りになるのは、全裸の友人より服着たおっさんだと昔から言うではないか。

僕はすがる思いで玄関を開けた。しかし、そこにおっさんの姿はなかった。

代わりに、子供の大群だ。みながみなくたくたのTシャツを着ている。子供達はリビングにいる少年と同じ目になると、ざっ、と部屋に入り、少年と合流した。子供達は部屋の、机の上や戸棚の上、天窓の中など思い思いに高いところ高いところへとわらわら登っていく。きゃっ、きゃっ、きゃっ、どったんばったんどったんばったん。この世のものではない光景とはまさにこのことだ。

どれくらい経ったかは知らないが、子供達の動きがぴたりと映像を一時停止したみたく止まった。と思ったら消えた。

「おい、友人、おい」

僕は震える声で彼を呼んでみたが、返事はなかった。わけもわからず周りを見渡してみる。なんだか、見慣れた景色がジオラマの作りものみたく、“形が形でない”ような気がした。僕は漠然と、“あいつは返事が出来ないのじゃない、僕がどこか違うところにいて声が届かないんだ”と思った。

子供達はどこに行ったのか。このまま部屋に入るのか。僕はじっとしたまま、玄関の前で動けなかった。

動けないでいると、生暖かい風が吹いた。上から、優しく吹きつけてきた。見るのはとてもイヤだったけど、どうしても顔は上を向いた。

天井には子供がいた。壁に両手足をつっぱって、僕を見ている。子供の呼吸は生暖かくて潮臭かった。

僕は裸足で逃げ出した。半狂乱して叫び声をあげながら駆け出した。狂乱ではなく半狂乱なのは、僕の今にもぶっ飛びそうな理性が駆け出した先の目的地を見つけていたからだ。正直、友人のことはどうでもよかった。

呼吸してるのかしていないのかわからない。とにかく走った。手をパーにした方が速い、なんてことが頭をよぎったりした。とにかく必死だった。

ひとつめの角を曲がる時、カーブミラーの中に、僕のかっこだけはジョイナーばりの全速力に平然とスキップみたいな走法でついて来る子供達の群が見えた。子供達の姿が見えたら、少年少女達の息づかいさえ聴こえ、感じた。僕は万引き犯みたく転ばないよう気をつけた。転んだら殺されると思った。

僕の目的地は近くの神社だ。信心深くはないけど、“聖なるもの”を求めていた。僕の足取りは次第に鈍くなっていた。突然の全力疾走で疲労もあったのだろうがそれだけじゃない。足元がなにかに取られていて、とても走りづらい。地面はアスファルトなのに、まるで浅瀬を走っているような、重くて鈍い。そして体中から汗が出て、着ていた服はびしょびしょになった。

それでもなんとか神社にたどり着いた。神社に来たからといってそれだけでどうにかなるもんではないであろうことはわかっていた。僕は社の隣りにある家屋に向かい、玄関をむちゃくちゃに叩いた。

「助けてくれ!!助けてくれ!!」

わめき散らしながら叩いた。振り向けば後ろに子供達がいることはセミが飛び立つ時に小便をひっかけてゆくぐらい明らかだった。

どのぐらい叩き続けたかはわからないけど、玄関に明かりがついた。人工の光をこれほど嬉しく思ったことはない。文明開化でざんぎり頭を叩いてみたような嬉しさだ(どんな喩えだ)。

中からお爺さんが出てきた。見た顔だ。初詣の時に見たここの神主さんだ。今は神主装束ではなく長期入院している患者みたいなパジャマを着ていた。

老神主は出てくるなり、

「こんな時間に騒ぐでない!!」

と一喝した。それは僕を見て言ったのではない。僕の後ろを厳しくも柔らかな瞳で睨みつけて言っていた。僕は泣いた。助かった、この人は僕をこの事態から守ってくれる。

老神主はぶっきらぼうに、

「君にゃゴンズイがわんさかついとる」

と僕に言った。

「ゴンズイ!?ゴンズイって魚のですか!?」

僕は僕なりに言葉を理解しようとしたのだが。

ゴンズイというのは魂吸いと書く、と老神主が説明してくれた。それだけでなんとなく魂吸いの意味はわかった。老神主は泣きじゃくる僕に、

「危なかったなあ、もうちょっとで君おちとったぞ」

と言った。おちる。聞いてはいないが、漢字で書くならおそらく、堕ちる、なのだろう。

老神主は僕の腕をしっかと痛いくらい掴み、質素な社殿に連れて行った。

「今から説得を試みる」

老神主はそう言って、祭壇からサカキをとった。

「説得?」

「お祓いといって差し支えない。ま、座りなさい」

座る時にびちゃりと鳴るほど僕は濡れていた。老神主はサカキの葉を一枚もぎり、くしゃりと噛んだ。そして、

「入ってこい」

と言い、僕の後ろに向かい手を振り招いた。

その時、バン、と音がなった。僕の後ろにある本殿の扉を叩く音だ。後ろを振り返る。扉は人ひとり通れる程開いている。その開けられた隙間からのそりのそりと、あのアーモンド達がこっちを覗き見ていた。僕は怖くてたまらなかった。

「ちょ、だ、大丈夫なんですか!?」

「うん?うーむ、この先何が起ころうと、まあ、わしは大丈夫だ」

「ちょ、ちょっと!僕は!?僕はどうなるんですか!?」

慌てふためく僕に、

「できれば助けてやりたいが、なるようにしかならん。君の姿を見るに、君はもう半分持ってかれてるしな」

僕は少し意識が遠のいた。

「さすがにこっちまで入れんか、うちもなかなか霊験あらたかだのぉ」

老神主は薄く笑うと、僕に降りかかっている事態を軽く説明してくれた。もうみなさんわかっているかと思うが、僕が旅行に出かけた場所はかの津波で大きな被害を受けた場所だ。

「君、魂吸いとはいわゆる、まあ、悪霊じゃな」

インフォームドコンセントも完璧だ。

「この子らは君を連れていきたがっている。君を自分らと同じ目にあわせてなぁ。それが魂吸いだ。おそらくその津波で亡くなった子等だろう。ほっといたら君、そのまま“溺れ死んで”いたところだ。よくここまで来れたもんだ」

言われて気がついた。僕の体についている大量の液体は、海水だ。こうしてる今もなお床にできた水たまりは広がっていた。

「しかしこんなに連れとるとは、向こうで何をしでかしたかしらんが」

「何かしたという記憶はありませんが」

「ふむ。海で泳いでる時に骸でも口にいれたか、まあ、この世の道理は通用せんからなぁ」

「……あの、それで、僕は、一体」

僕の不安をよそに老神主は独り言のようにぶつぶつと呟いた。

「この子達がわしの言葉を聞いてくれりゃいいのだが」

それから老神主は僕の後ろに回った。くちゃくちゃと口をいわしてる音が聴こえたから、きっとまたサカキを口にしたんだろう。

「いいかいお前達」

老神主は子供達に向かって徳ありげな声で時に切々と、時に得々と語り始めた。どうやら説得とは、この世で使われる説得と同じようだった。僕はどうしていいかわからず、心の中で「ごめんなさいごめんなさい」と祈った。そんな僕に向かって、老神主が突然、

「ええい、謝るでないわ!この子等、つけあがっちょるぞ!やめい!」

と怒鳴られた。僕はあまり思考が回らない状態で、そういうものかとすんなりその注意を受け入れたが、今思えば、老神主はなぜ僕の心の声を拾えたのだろう。テレパスか、はたまた知らず知らず僕が心に思っていたことを口に出していたからだろうか。ともかく、注意された僕は、到底“無”になるなんて出来やしないから、何を考えようか悩み、出した答えはグログロのスカトロ映像を思い浮かべ続けた。僕なりに、相手が僕の弱み(?)につけこめないであろうベストの選択だった。スカトロ趣味はないけれど、なりふり構っていられない。僕はとてもまじめで必死だった。そういえばこの時も老神主が少し笑うという反応を見せたような気がする。

しばらくして、僕の後ろから、

「ふむ。もう帰れ。向こうでお前達を待ってる人がいる」

と老神主は涙声で言った。諭し終わったらしい。想像のなかで僕がブサイクが産んだうんこを食う前に。なにをしてるんだお前はと思われるかもしれないが僕も必死だった。

老神主は僕の前に来て、相対するようどっかと腰を下ろし、あぐらになった。なにを言うでもなく、黙っている。これもなにかの儀式かと思ったが、しんとする雰囲気に耐えられなくなり僕は、

「どうでしたか?」

と言った。

老神主はにやっと笑うと、

「駄目だった。話は聞いてくれるが、いかんせん言葉が通じん。わし先の大戦では中国に…」

駄目だった駄目だった駄目だった駄目だった…………。スカトロ映像を削除し、ぽっかり虚ろになった心に老神主のギブアップ宣言がいつまでもリフレインした。戦争中の思い出話を話す老神主の言葉を遮り、パニック状態の僕は、

「んなわけあるか!!駄目だった駄目だった駄目だったって!?駄目だったって!?なんとかしろよ!なんとかよお!神主だろ!なんとかしろよお!」

みたいなことをぐだぐだに言葉を噛みながら叩きつけた。わけのわからぬ事態ともう駄目みたいという絶望感で怒りがこみ上げてきた。

「しかしなあ」

老神主は他人事だと思ってのんきにポリポリとこめかみをかいた。

「しかしもくそもあるか!」

そうがなった僕に、老神主の鼻が笑った。この時僕はバカにされてると思ったが、今思えば、糞はあったじゃないか、ということではなかろうか。僕は老神主をやる気にさせなくてはいけないと思った。金ならいくらでも出すとか、代案を出したりとか。とはいえ、冷静じゃない僕、ましてやそっち方面の知識もない、だが黙っていることは出来ない。なにか、なにか言わなくては。口をついて出たものは、

「言葉が通じない!?あんたなあ、マリリン・モンローの霊が憑依したイタコはずーずー弁で話してたぞ!」

だった。

「むちゃくちゃ言うな君は」

老神主はあきれていたようだが、こっちは命がかかっている。

「イタコができるならあんたもできるだろ!」

「ふうむ」

老神主はなにか思案しているよう顎に手をあてると、

「降りてきた霊はマリリン・モンローじゃろ?そのイタコは偽もんじゃ」

と言った。そんなことはわかってるさ。正論をぶつけられた僕に返す言葉はなかった。すると老神主はしんとする堂内で小さく、

「マリリン・モンロー・ノーリターン、なんちゃって」

と、言った。たまたま僕は野坂昭如をかじったことがあるので、かろうじて意味がわかる昭和ギャグだ。一瞬止まったのち、なぜか僕は、

「それぎりぎりだぞ!」

と言っていた。そのギャグの仕組みおれはぎりぎりわかるけど、ということを伝える言葉だ。僕もなぜこんな時にこんなことを言ったのかわからない。

その時、後ろの扉がまたどんどんと鳴ると、子供達がケラケラ笑う声が聴こえた。僕は後ろを振り返ると、

「嘘つけ!日本語もわからねえお前等に今のがわかるわけあるか!」

と怒鳴った。僕もどうかしてた。僕の態度に怒ったのか、子供達はどんどんどんどんと本殿を乱打し始めた。怒らせてはいけない奴っているよね。

「ぼ、僕はどうすればいいんですか。助けてください助けてください」

パジャマ姿のジジイに僕は土下座の体勢で、もはやジジイを拝んでいた。

「ふむ。わしの知るホンモノに向こうの言葉を話せる奴はおらんなぁ」

「助けてください助けてください」

どんどんどんどんどんどんどんどん。

「ふむ」

この時、多分ジジイはまた顎に手をあてたに違いない。

「こうなったらしょうがない。わしも老い先短い人生、今更後味の悪いことはしたくないもんじゃ。よし、行こう」

「助けてください助けてください…は?」

「現地へ飛ぶぞ。現地の霊能力者に祓ってもらうのじゃ。その土地の水になんやらじゃな」

「は?」

「なに、道中あの子等の力からは守ってやるわい。ちょっとした、さまあばけいしょんってやつじゃよ、ハハハ」