6月20(土) | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

6月20(土)

休み。昼起床。お台場のガンダムを見に行こうと思ったが、どうせ行くなら平日休みの日に行けばよいだろうと思い、やめる。
ふと昔、仕事で爺さんと一時的にコンビを組んでいたことを思い出す。70過ぎの爺さんだ。腹に大きながん手術の痕がある爺さんだ。爺さんには仲良くしてもらっていたのだが、ある時、時間に追われていたおれはのろのろ歩いていた爺さんに、彼のペースに日頃から思い悩み胃が痛くなっていたこともあるが、「走ってください」とイライラを露呈し冷淡に言ったことがある。これを職業意識の暴走と云わずしてなんといおう。果たしてその数秒数分の遅れは爺さんの疲れより優先されるべきものだったか。爺さんの疲れより優先される仕事などいくつあるのか。仕事だからといって何をしても許されると思うな。あの時のおれは人間ではなかったのだろう。人の皮を被ったつちくれであったのだろう。おれは小さい人間である。自身が一生懸命やっていると思っている時ほど不様でわがままな時はない。昨夜の吠え魂ではないが、男女問わず、自分の思い描いた要求、欲求通りに事や話相手の態度が運ばないとイライラを募らせたりキレたり態度を豹変させたりする気持ちは痛いほどわかる。だが、それはひとえに不様だ。パリ症候群のように。しかし、やっぱり、その気持ち理解でき
てしまう。よく、男らしさを求むるその心は女々しい心だ、といわれるが、自分に無いものを見てコンプレックスと捉えるか敬いと捉えるか、その差は何だ。当人の努力奮闘次第で叶うか否か、可能性の有無?リビドー?育ってきた環境次第?本心の部分で見下せるか否か?今の自分に必要か否か?