6月14日(日)
昨夜知ることになった三沢光晴の訃報。痛恨のきわみ。目覚めてからも一日気を落とす。昨夜そのニュースを知った時分、食後だったこともありわけのわからぬ吐き気がこみ上げてきた。ニュースを伝えるテレビが痛い。N氏が死んだ時には、歌をうたったり酒を飲んだりしておれなりに哀悼の意を表したが、そうはいかなかった。「動けない」。リングの上で意識を失う前、安否を問うレフェリーにそう告げたという。ただの状況報告であり、それは他意の無い、どうしようもない状況から出た偶発的必然な言葉である。だが、プロレスを愛し、プロレスに愛され、ファンを愛し、愛され、ボロボロになりながらも体が動く限りリングに上がり、陳腐な言葉であるが多くの人々に夢や希望、日々の生活に活力を与え続けた男の最期の言葉を、おれは忘れない。人の死す時というものは挫折であればあるほど後世その人の人生は完成を見るという。三沢光晴という不世出の天才は試合中に亡くなればこそ、三沢光晴たり続ける。
この一年、別れが多すぎる。人の死には早すぎる死か、遅すぎた死しかない。等、例々の警句を思い出し、沈む心に染み渡り広がる心地よい虚空を感じる。改めて合掌。
夜、カツオのたたきを食う。
この一年、別れが多すぎる。人の死には早すぎる死か、遅すぎた死しかない。等、例々の警句を思い出し、沈む心に染み渡り広がる心地よい虚空を感じる。改めて合掌。
夜、カツオのたたきを食う。