小さじいっぱいのマボロシ(6) | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

小さじいっぱいのマボロシ(6)

「ねえ、どう?私どう?あの機転どう?名付けて、反対口たむろ捜し作戦」

興奮した様子の高梨。ひどく嬉しそうに裏道をイザマの原付と横並びで自転車をこいでいる。辺りは落日の情景に様変わりしようとしている。

「よくやってくれたよ」

イザマのほめ言葉に高梨は、

「わしゃしゃしゃしゃしゃしゃ」

と、高笑い。事実、高梨はよくやった。イザマにアカリと栗田が肉体関係を持っていたことを示唆したものは、断じて、栗田の挙動言動ではなく、高梨がもたらした情報からだ。

とろとろ進み行く2人と時間。9月のむせったい風が2人の頬を撫でる。

「あ、雨の味がする」

高梨が事務所方向の空を指す。

「あの雲だな。こりゃ早く帰らないと」

そう言ってイザマは法定速度を突破した。

「待てこら」

懸命に脚を回す高梨だったが、イザマはすぐに点になって消えた。

事務所に着いたイザマが携帯電話を覗くと、「ここはどこ?わたしはだれ?」と高梨からのメールが入っていたが、黙して殺した。

イザマが、いつものように、椅子に腰掛け、ぼーっと隣のビルの壁を見ていると、高梨が「最悪」と喚きながら帰還した。きゅっきゅっ、と鳴る靴の音に反応してイザマは、

「あれ?雨に降られたか」

と、訊いた。イザマは一度もビルの壁から視線を移していない。

「違う。雨じゃない。水かけババアにやられたのよ」

ぷんすかぷんすかしながら高梨は「入ってくるなよ」と言って、奥の部屋に消えた。

「妖怪かあ。いるんだな。まだ東京にも」

イザマは事務所でタバコを吸わない。あまり本数を費やすタイプではないことに加え、高梨がタバコ嫌いでうるさいからだ。

しばらくして、高梨は上半身にTシャツ、下半身にバスタオルを巻いたスタイルで登場した。

敏子が座った椅子にどっかと腰を据えると、

「あのババア、なんの水だと思う?雑巾揉み出した水よ!?何拭いてたんだその雑巾で、はっ、うんこ、うんこ!?」

そう言って、また、高梨は奥の部屋に消え、また現れた。

「だけどさあ、あんた、あんな口から出任せよく吐けるねえ。空気読める?人の心が読める?呼吸に色がある?あんたが?んなわけないじゃない」

高梨は、学校から見て駅の反対口のハンバーガー屋にたむろしていたアカリのクラスメート達から訊きだした情報をイザマに電話したのち、イザマに通話状態をキープしてくれと頼んでいたのだ。イザマは後々、高梨から確実に何を話していたか問い詰められることを懸案し、二度手間を避ける為それを認めた。

「商売だからなあ」

イザマはぽつりとつぶやいた。

「でもさ、あれでゲロってくれたからよかったものの、もしか情報に間違いがあったらどうしてたのよ」

パタパタとバスタオル越しにふくらはぎを叩く高梨。

「そりゃあ、その時は、ごめんなさいして、それだけだな」

「ふうん。プライド無いのねえ」

「無いなあ。しかしよくもまあ、あんな秘密裏な情報を仕入れることができたもんだ。おれにはできそうにない」

「でしょでしょ!?見つけたのはいいけど、こまっしゃくれたガキ達でさでさ、タダで教えてあげるわけにはいかないでしょうだなんて、自腹でおごったわよ。ポテトやらコーラやらナゲットやらサラダやらタバコ買ってこいだ、ああ!このお金は?」

「領収証もらってないだろ?」

「だって、ハンバーガー屋じゃない」

「もらえないわけじゃないだろ。ふふん、お姉さんにでも払ってもらいなよ」

「そうね。そうするわ。あの人のせいよ。あの人のせい。私にふりかかる厄介事の大半はあの人のせい」

くるりと、イザマは振り向き、相対し、

「そんなことより、それで?どうやって訊き出した?」

「なに?興味あるの?珍しい」

自身の仕事ぶりに対して、の質問に、

「おれは人の噂話が好きなんだよ。根はおばさんなんだろうな」

と、答えたイザマ。

「私の頑張りは?おばさ…」

高梨は顔の横に垂れ下がる髪を口にはんだ。

「言われたか、おばさんと。まあ、相対的にそれは正しい」

「じゃあなに、あの人なんて私が子供の頃既にハタチ越えてたじゃん!でも、お姉ちゃんって未だに呼ぶじゃん。それってどうなの?40過ぎなんてババアじゃん。なによ!私まだピチピチじゃん。何?髪を噛むな?私のここの毛は砂糖より甘いのよ!」

はいはい、とイザマは呆れた調子で言うと、いきさつを促した。

「うーん、まあ、話は実に単純なんだけどね。おごった後、何か知らないかしらって訊いたら、彼女達が勝手に話してくれただけで」

「そんな不確かな情報をおれに、自信満々で伝えたのか?」

「ふふふ、でも本人からその話聞いたって楽しそうに言ってたわ」

「言ってたわって、それを不確かな、本人が言っていた?」

「なんでも、ああ、その子達はあんまりアカリちゃんと仲が良いわけでもなかったらしいんだけど」

「ふうん」

「うん、前回家出する前ぐらいに、ちょうど制服が夏服に替わる時ぐらいに、腕に変なアザがあったらしいのよ」

「ほう、変なアザとな」

「仲良かったわけじゃないけど、別段仲悪いわけでもなかったから何の気なしに、そのアザどうしたのって訊いたら、栗田の趣味だって答えたんだってさ。それで興味持ったあの子達はアカリちゃんからいきさつを訊いたら、嬉々として話してくれたんだって。だから、栗田との関係はみんな知ってるってさ」

「ふうん。サドか」

「栗田から聞いてないの?」

「プレイ内容までは聞いてないなあ。しかし、おかしい」

「え?」

「アカリさんは、栗田から聞く限り、そんなことをペラペラと喋るような子ではない」

「知らないのはいつも大人だけ、常識でしょ。そもそも栗田は、あの野郎人の心を利用してたぶらかしやがって、何が、つい、よ。こいつなら絶対ヤってもバレないって思っただけ。変態の自業自得よ。変態業変態得ね」

「ふうむ。しかしそれなら、学校裏サイトかなんかで暴露されてる筈だが、そして、栗田の目に耳に、必ず届く筈だが」

「何を聞きかじりの知識で。だから、知らないのはいつも大人だけって話。既にみんな知ってるって言ってたし。人を呪わば穴ふたつ、女の子達はえげつないのが好き。墓穴掘っただけよ。そもそも、そんなサイトあんの?」

「知らん。携帯で検索してみたがアカリさんに関するものは見つからなんだ」

「ケータイからしか!?あんた本当にアカリちゃん捜す気あんの?今だってこんなことしてるぐらいなら、渋谷とかを見張ってりゃ、そっちのがいいんじゃないの?」

「恐ろしいことを言うな君は」

「は?」

「夜の渋谷で立ってろ?怖いじゃないか」

「…はあ。なんでここにパソコン無いのよ、金は持ってんだから買えばいいじゃない」

「君が持ち運べるやつ買えばいいだろ?」

「それとこれとは話が別でしょ!」

「まあ、昔な、ある泥棒と話したことがあるんだよ。その人はもうじいさんだったが、八年前まで現役だった。その人が言うには、ハイテクだかコンピューターだか知らないが、おれ達が引っ掛けるのはいつの世も人の心の錠前だって言ってたんだ。なかなか小粋なじいさんでな。その人は空き巣なんかを賤しい仕事だと言ってね。お客さんになんらかの知性を感じさせなけりゃ、被害者を感心させるぐらいのことしなけりゃ商売じゃねえって、後味を良くしなけりゃ商売じゃねえって、そんなエンターテイメント泥棒だった。だが、五年前何を思ったか、力技で銀行強盗を強行して、刑務所の中で死んだ」

「はあ、それとパソコンと何か関係が?」

「…無いな」

「無いのかよ」

「ただな、ここでこうしてずっと壁を見てるおれと、ずっとオンラインゲームをしてるおれ、君はどっちがいい?」

「どっちも廃人じゃない」

イザマはくるりと回り、また壁の方を向いた。

「それもそうか」

「なに?いじけた?ひゃひゃひゃ」

「心の錠前の鍵穴は、常に自分と向き合っている。そんなことも、言ってたなあ」

「は?」

「錠前を開けるには、人が思っていることと、思っていないことを同時にやれ、そうも言ってたなあ」

「あんた、泥棒になりたかったの?まあいいわ。私帰るね」

「うむ、君、明日の朝もう一度その子達に会って、アカリさんがいじめられていたかどうかを確かめてくれ」

「はあ!?イヤだ。自分でやれば!?」

「おれはちょっと用がある。手間賃を出す」

「わかった。でもどうやって?」

「ふむ、いじめていたかを訊いて、いじめていたと答えれば、それはいじめていたということだ」

「当たり前じゃないよ!そんな簡単だったら警察いらない!探偵もいらない!」

そう興奮して言った衝撃で、高梨の腰に巻かれたバスタオルの結び目がほどけた。

「ふふん、言ったろう?そんな秘密をおれは訊き出せないと。君なら、きっとできる、気がする」

「おい!…はあ、お金は出してくれるんでしょうね…あーあ、こんなことして、次の日にしれっとアカリちゃん帰ってきたらどうすんのよ。私、恥ずかしい思いしてくたびれ儲け、やってられない。うん?うわっ」

高梨はつっけんどんに立ち上がった。その動きにバスタオルはついていけず、ももからしだれ落ちた。光の速さで屈伸運動をし、高梨はそそくさと奥の部屋に消えた。しばらくして、帰り支度を整えた姿で現れた。

「じゃあ、明日頼んだぞ。7時には駅からの通学路上にいてくれよ」

「はあいはい、と」

「あと、お姉さんにイヤミを言っといてくれ。久しぶりに仕事をさせてもらい心身共に充実しています、ありがとうございます、と」

「わかりましたよ。お姉さんにはあなたの弟さんが廃人になったと言っておきます」

ふふん、と苦笑したイザマに、

「それにしても、今日は珍しく忙しい日だったね。2回も人が訪ねてきたりさ」

と、無邪気に、構ってもらいたい子犬のように高梨は小さく言った。

「ああ。珍しい日だった。君の下半身を日に二度も見るとはな」

「…最悪」

つかつかと高梨は濡れそぼった靴で玄関と歩いて行った。

「明日、上半身を二回見せてくれれば、バランスがとれるのだが」

高梨の姿が見えなくなった頃そう付け足したイザマに、高梨は大声で、

「お姉ちゃんに言いつけるからね!しつこくセクハラしてくるって!貞操が危ういって!」

バタンと扉が閉められたのち、

「…まいったな。冗談が通じる人じゃないんだよなあ」

苦笑いしてつぶやく。高梨が出て行ったあと、折りよくバケツをひっくり返したような夕立が轟々と降り注ぎ、また苦笑い。何を思っているのか、イザマはそれからずっと、夜の街にアカリを捜しに行くこともせず、薄ぼんやりと自分の映る窓越しに隣のビルの壁を見つめていた。