あぶらかたぶら(2)
こうなったら話は早かった。あれよあれよという間におれが高校生の頃の記憶に戻ったという話が伝言ゲームのように口から耳また口へとおれの関係者に流布されていった。ガスボンベの爆発とその被害者という社会的ニュースの力もあり、ちょっとした悲劇のヒーロー扱いだ。続々と見舞いに来る社会人になった旧友達、中にはまだ大学生の奴もいたが、親戚縁者、そして当時の担任と校長。なんせこちとら悲劇のヒーローだ。私立ということもあり、無条件での復学は容易だった。休学届を出していたことも事をうまく運んだという。インタビューの依頼もあったが全て断った。密着取材などになればおれの存在と置かれている環境や状況が世間に知れ渡り将来役に立つかもしれないが、嘘が露見しては元も子もない。
“記憶障害以外の”重大な後遺症もなく、腫れ物に触れないようニート時代のことを語らない円満な家族関係の中、順調に回復したおれは色めく世界へと復帰した。
退院して部屋に帰った時、おれがニート時代に買ったものが処分されていたことには笑わせてもらった。十年前の部屋がそこに再現されていた。ニート時代に出会った作家の本、CD、DVD、ゲーム、おれがブログを書いていた携帯電話は新規契約で新しい機種になっていたが、なんとエロ本やエロDVDまで当時の再現をされていた。そこまでしておれに記憶を取り戻してもらいたくないのか。
それらに別れを告げることは寂しくもあったが、おれも注意をしなくてはならない。ニート時代に知ったことや見たもの、習慣や思い出を口に出したり行動に移してはいけない。これは案外たやすい。なぜならニート時代は光陰ライフル弾の如し、大した思い出も、毎日ただ時間を垂れ流していた日々にそれこそまさしく残るような記憶もないからだ。ま、都合の悪いことは全て切り札である記憶障害のせいにすれば良いのだ。
退院して三ヶ月、夏休みが終わった九月からおれはまんまと復学した。周りは相も変わらずおれを持て囃す。たまに歯の髄から浮つくような寒気がするが、いい気分だ。棺桶に片足突っ込んだ甲斐があるというもの。
学力の辻褄合わせが不安だったが、ニート時代おれは勉強すること、強制的に勉強を受ける環境にある種の憧れを抱き始めていた。学歴コンプレックスの為せる所業だろう。退院して部屋に用意されていた教科書の数々をおれは、親の目を盗み、一気に読破し、“記憶を取り戻した”。もちろんこの間失われた十年に於ける社会情報を補充するフリをした。図書館に行ったり、インターネットを巡ったり。その他にも、なんせこちとら十五歳。喋る言葉のリズムや笑うタイミング、ノリ、テンション、諸々を若作りせにゃならない。化けの皮が剥がされぬようおれも必死だ。
新たな同級生になったガキ共の相手をするのも大変だ。あいつら、若い。光陰をただ過ぎ去らせてきたおれだが、多少なりとも精神的に成長している。いや、ひねくれさせている。無邪気にはしゃぐガキ共を見ていると、アテられてしまう。しかしおれも十五歳。授業中、携帯電話から発せられるモスキート音にいちいち淡くリアクションを取るのだ。
果たして今のおれが十五歳の少女に恋をしたらどうなるのか、肉体関係を持ったら法律的にはアウトだろうが倫理的にはどうなるのか、しかし、良くも悪くもここは男の楽園男子校。生徒どころか年下の教師がちらほら。同い年の教師もちらほら。旧同級生の教師が一人。おれはそいつの授業を受けていないが聞くところによるとそいつの授業風景は荒れ気味で、なかなか複雑な状況になってきたもんだ。
週六日六時間の勉強を強制される。しかも内容は毎日確実に進歩していく。毎日毎日向上していく。毎日毎日変化していく。毎日毎日何がしかのイベントがある。純真無垢が服着て歩いているような同級生達は知っているだろうか、こんな特殊な毎日を過ごす日々は今だけだということを。一度この生活からドロップアウトしたおれが言うのもなんだが、楽しいぞ、ガッコウ。
おれの計画の青写真は社会の潮流への復帰であり、その為には高校卒業乃至卒業資格を得て大学へ通い、就職をする。ま、歳が歳だけに、このまま素直に四年制大学を卒業した時のおれは三十二だから、就職はどうなるかわからない。だが、なに、それも大学の選び方次第だ。無駄に年月を経た分おれは、物事のやり方、というものがわかり始めている。例えばおれは苦手科目が無くなった。数学が苦手だったのだが、それはおれが勝手に「おれは数学が苦手だ」と思い込んでいたからだ。筋力トレーニングをする際鍛えている部位を意識すること、理想の肉体をイメージしながらトレーニングすることにより効果が増すことと一緒で、「おれは数学が苦手」「おれは勉強が苦手」とネガティブイメージを刷り込んでいた為にすこぶる勉強の効率や燃費が悪かった。おれが数学を苦手になった原因を突き詰めると、当時数学の先生が気に食わない奴だったから、になる。それはまあなんとも思春期らしい症状ではないか。今のおれにそんなものはない。教科書読んで授業聞いて問題を解いてみる。間違ったら復習する。そして大事なことは始めから高いレベルを設定すること。ゲームで言うな
ら始めからハードモードでやり続ける。気がついたら凄いことしてました方式だ。人間は基本的に向上心というものを持っていない。適応力があるだけで、必要に迫られない限りベクトルは怠惰に向く。だから適応させる環境を高く設定しないといけない。おれは復学してからすぐに一流大学の参考書を購入し、わけがわからないながらも片っ端から取り組んだ。それをやればいい。おれは天才だとイメージしながらやればいい。実に簡単だ。無理矢理勉強させられているわけでもないおれは、学校は勉強するだけの場所じゃない、などという言葉は戯言にしか聞こえない。とはいえこのまま学力が向上し、それなりにいい大学に入れたとしてもおれの場合正攻法ではその先どうなるかわからない。それにおれは今更大企業に入りたいとも思っていない。手に職をつけるような学校に進むのもありだが、おれが考えているのは芸術学部など、言っちゃ悪いが変人達が集まりそうなところに行くことだ。おれも十分変人であろうが。そういったところならばおれの年齢もそこはかとない説得力、いや、納得力が生まれそうだし、その変人達の中に“当たり”が居れば一興だ。ま、それはまだ先の
話だ。
実は復学してからも例のコンビニ通いは続けている。彼女はいる。少し危ない橋を渡っているかもしれないが、恋の前では全ての理性は無力なのだ。幸い、駅から自宅までの道沿いに店はあるので放課後毎日寄り道しても極自然なことだろう。しばらく現れなかった気持ち悪いであったろうおれがいきなり学ランを着て現れたのだから、彼女は笑ったに違いない。彼女が笑うならそれでおれは満足だ。学ランを着ていても煙草は売ってくれる。おれは二十五なのだから。
教師達も旧友達も同級生達もよくしてくれ、毎日が薔薇色の日々。人生やり直し万々歳だ。
そうして一年が過ぎた。おれはまた学校を休み始めた。所詮は擬態。おれが着飾ったメッキはおれには重すぎた。三つ子の魂百まで、か。気がつけばあの時代に元通り。おれはこの世に向いていないようだ。
呆れ果て、疲れ果て、老い果てようとしている親はおれの記憶のことをどう思っているのだろうか。今もまだ記憶を失くしたと信じているのか、“戻った”と思っているのか、始めから嘘だということに感づいているのか。おれにはわからない。
それからまた一年が過ぎた。学校は正式に辞めた。もう誰もおれのことを相手になどしない。コンビニの彼女もとっくにバイトを辞め、どこかで新しい生活をしているのだろう。
気持ちの良い秋風がおれの部屋を吹きぬけた日、最近床に伏せることの多くなった母が血の気の無い、まるで古びた能面のような顔をして突然おれの部屋に乗り込んできた。
「こんなことになるんじゃないかと思ってた!お前は一体なんなのよ!なんなのよ!何がしたいのよ!人を傷つけて悲しませて何がしたいのよ!何様のつもりなの!ふざけるんじゃないわよ!座敷わらしみたいな生活して!いつまでも思い通りになると思ってたら間違いよ!お母さんお前があの時死んでればって、あの時死んでれば良かったのにって思ってるんだから!いっそあのまま目覚めなければどんなに!これを読みなさい!」
があっとまくしたて、どんと強く扉を閉めて出て行った母。おれの部屋の床には母の日記帳。日付はちょうどおれが事故に巻き込まれた日から始まる。そこには母の本心が書き記されていた。
母が本心を書きなぐった日記ほど読後後味の悪いものは無い。おれは中途半端な高さから飛び降りをしようと思う。運良く助かった時には、また…。
終わり。モヤモヤ。
“記憶障害以外の”重大な後遺症もなく、腫れ物に触れないようニート時代のことを語らない円満な家族関係の中、順調に回復したおれは色めく世界へと復帰した。
退院して部屋に帰った時、おれがニート時代に買ったものが処分されていたことには笑わせてもらった。十年前の部屋がそこに再現されていた。ニート時代に出会った作家の本、CD、DVD、ゲーム、おれがブログを書いていた携帯電話は新規契約で新しい機種になっていたが、なんとエロ本やエロDVDまで当時の再現をされていた。そこまでしておれに記憶を取り戻してもらいたくないのか。
それらに別れを告げることは寂しくもあったが、おれも注意をしなくてはならない。ニート時代に知ったことや見たもの、習慣や思い出を口に出したり行動に移してはいけない。これは案外たやすい。なぜならニート時代は光陰ライフル弾の如し、大した思い出も、毎日ただ時間を垂れ流していた日々にそれこそまさしく残るような記憶もないからだ。ま、都合の悪いことは全て切り札である記憶障害のせいにすれば良いのだ。
退院して三ヶ月、夏休みが終わった九月からおれはまんまと復学した。周りは相も変わらずおれを持て囃す。たまに歯の髄から浮つくような寒気がするが、いい気分だ。棺桶に片足突っ込んだ甲斐があるというもの。
学力の辻褄合わせが不安だったが、ニート時代おれは勉強すること、強制的に勉強を受ける環境にある種の憧れを抱き始めていた。学歴コンプレックスの為せる所業だろう。退院して部屋に用意されていた教科書の数々をおれは、親の目を盗み、一気に読破し、“記憶を取り戻した”。もちろんこの間失われた十年に於ける社会情報を補充するフリをした。図書館に行ったり、インターネットを巡ったり。その他にも、なんせこちとら十五歳。喋る言葉のリズムや笑うタイミング、ノリ、テンション、諸々を若作りせにゃならない。化けの皮が剥がされぬようおれも必死だ。
新たな同級生になったガキ共の相手をするのも大変だ。あいつら、若い。光陰をただ過ぎ去らせてきたおれだが、多少なりとも精神的に成長している。いや、ひねくれさせている。無邪気にはしゃぐガキ共を見ていると、アテられてしまう。しかしおれも十五歳。授業中、携帯電話から発せられるモスキート音にいちいち淡くリアクションを取るのだ。
果たして今のおれが十五歳の少女に恋をしたらどうなるのか、肉体関係を持ったら法律的にはアウトだろうが倫理的にはどうなるのか、しかし、良くも悪くもここは男の楽園男子校。生徒どころか年下の教師がちらほら。同い年の教師もちらほら。旧同級生の教師が一人。おれはそいつの授業を受けていないが聞くところによるとそいつの授業風景は荒れ気味で、なかなか複雑な状況になってきたもんだ。
週六日六時間の勉強を強制される。しかも内容は毎日確実に進歩していく。毎日毎日向上していく。毎日毎日変化していく。毎日毎日何がしかのイベントがある。純真無垢が服着て歩いているような同級生達は知っているだろうか、こんな特殊な毎日を過ごす日々は今だけだということを。一度この生活からドロップアウトしたおれが言うのもなんだが、楽しいぞ、ガッコウ。
おれの計画の青写真は社会の潮流への復帰であり、その為には高校卒業乃至卒業資格を得て大学へ通い、就職をする。ま、歳が歳だけに、このまま素直に四年制大学を卒業した時のおれは三十二だから、就職はどうなるかわからない。だが、なに、それも大学の選び方次第だ。無駄に年月を経た分おれは、物事のやり方、というものがわかり始めている。例えばおれは苦手科目が無くなった。数学が苦手だったのだが、それはおれが勝手に「おれは数学が苦手だ」と思い込んでいたからだ。筋力トレーニングをする際鍛えている部位を意識すること、理想の肉体をイメージしながらトレーニングすることにより効果が増すことと一緒で、「おれは数学が苦手」「おれは勉強が苦手」とネガティブイメージを刷り込んでいた為にすこぶる勉強の効率や燃費が悪かった。おれが数学を苦手になった原因を突き詰めると、当時数学の先生が気に食わない奴だったから、になる。それはまあなんとも思春期らしい症状ではないか。今のおれにそんなものはない。教科書読んで授業聞いて問題を解いてみる。間違ったら復習する。そして大事なことは始めから高いレベルを設定すること。ゲームで言うな
ら始めからハードモードでやり続ける。気がついたら凄いことしてました方式だ。人間は基本的に向上心というものを持っていない。適応力があるだけで、必要に迫られない限りベクトルは怠惰に向く。だから適応させる環境を高く設定しないといけない。おれは復学してからすぐに一流大学の参考書を購入し、わけがわからないながらも片っ端から取り組んだ。それをやればいい。おれは天才だとイメージしながらやればいい。実に簡単だ。無理矢理勉強させられているわけでもないおれは、学校は勉強するだけの場所じゃない、などという言葉は戯言にしか聞こえない。とはいえこのまま学力が向上し、それなりにいい大学に入れたとしてもおれの場合正攻法ではその先どうなるかわからない。それにおれは今更大企業に入りたいとも思っていない。手に職をつけるような学校に進むのもありだが、おれが考えているのは芸術学部など、言っちゃ悪いが変人達が集まりそうなところに行くことだ。おれも十分変人であろうが。そういったところならばおれの年齢もそこはかとない説得力、いや、納得力が生まれそうだし、その変人達の中に“当たり”が居れば一興だ。ま、それはまだ先の
話だ。
実は復学してからも例のコンビニ通いは続けている。彼女はいる。少し危ない橋を渡っているかもしれないが、恋の前では全ての理性は無力なのだ。幸い、駅から自宅までの道沿いに店はあるので放課後毎日寄り道しても極自然なことだろう。しばらく現れなかった気持ち悪いであったろうおれがいきなり学ランを着て現れたのだから、彼女は笑ったに違いない。彼女が笑うならそれでおれは満足だ。学ランを着ていても煙草は売ってくれる。おれは二十五なのだから。
教師達も旧友達も同級生達もよくしてくれ、毎日が薔薇色の日々。人生やり直し万々歳だ。
そうして一年が過ぎた。おれはまた学校を休み始めた。所詮は擬態。おれが着飾ったメッキはおれには重すぎた。三つ子の魂百まで、か。気がつけばあの時代に元通り。おれはこの世に向いていないようだ。
呆れ果て、疲れ果て、老い果てようとしている親はおれの記憶のことをどう思っているのだろうか。今もまだ記憶を失くしたと信じているのか、“戻った”と思っているのか、始めから嘘だということに感づいているのか。おれにはわからない。
それからまた一年が過ぎた。学校は正式に辞めた。もう誰もおれのことを相手になどしない。コンビニの彼女もとっくにバイトを辞め、どこかで新しい生活をしているのだろう。
気持ちの良い秋風がおれの部屋を吹きぬけた日、最近床に伏せることの多くなった母が血の気の無い、まるで古びた能面のような顔をして突然おれの部屋に乗り込んできた。
「こんなことになるんじゃないかと思ってた!お前は一体なんなのよ!なんなのよ!何がしたいのよ!人を傷つけて悲しませて何がしたいのよ!何様のつもりなの!ふざけるんじゃないわよ!座敷わらしみたいな生活して!いつまでも思い通りになると思ってたら間違いよ!お母さんお前があの時死んでればって、あの時死んでれば良かったのにって思ってるんだから!いっそあのまま目覚めなければどんなに!これを読みなさい!」
があっとまくしたて、どんと強く扉を閉めて出て行った母。おれの部屋の床には母の日記帳。日付はちょうどおれが事故に巻き込まれた日から始まる。そこには母の本心が書き記されていた。
母が本心を書きなぐった日記ほど読後後味の悪いものは無い。おれは中途半端な高さから飛び降りをしようと思う。運良く助かった時には、また…。
終わり。モヤモヤ。