唇で読み取るサイン | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

唇で読み取るサイン

いつかのラジオ(終わるってね)でダウンタウンのまっちゃんが語っていた、世界は自分の見えているところしか構築されていない説。おれもガキの頃からそんなことを思っていた。例えば、遠く海を越えたジャングルの中にも人がいて日々おれと同じ時間を共有し生活しているという事実をうまく飲み込むことができなかった。何度頭で理解しようとシミュレーションしても、おれが現地に行かないとその人達は存在していないのではないか、そう思っていた。今でもその節がある。だから海外で起きた悲惨なニュースがテレビから流れても特に何も感じないのかしら。国内や地元でもそのありさまだからただの危機意識の薄い薄情な人間か。しかしおれ如きが、世界はおれしかいない、おれがいなきゃ世界は存在しないとそう感じているのだからきっと多くの人がそう感じているに違いない。自分はこの家の本当の子供じゃないと出生を疑うあどけない心、親離れというシステムの反抗期のように周りに言わないだけで誰しも一度は訪れる感情だと思うが君はどうだ。
人はみな孤独である。孤独を抱え、恐れている。書いてて恥ずかしくなるぐらい当たり前のことだ。どんなに社会的地位が高かろうが低かろうが友達が多かろうがいなかろうが、みな同じ孤独を潜在的に抱えている。なぜ人は孤独なのか、それは自分が存在しているからだ。自分という存在は宇宙137億年の歴史を遡っても同一のものが存在しない唯一無二、完全オリジナルの存在。だからこその絶対的孤独。自分が存在しているということは最初から他人と独立しているということ。孤立しているということ。肉体がロボットで自分は密閉されたコックピット内にひとりぼっち。自分の中に堅い不可侵な人形がいると思えばいい。自分が存在している限り絶対に他人と相容れることはできない。人形と人形をぶつけ合っても一体化することはないように。それでもなお人の懐に入ってあっためてもらいたい。冬のソフビみたくかっちかちになりたくない。孤独を恐れるも孤独から逃れられない孤独界の住人が人である。生前、死ぬ瞬間まで誰と話そうが何をしていようがみな一人で孤独に死ぬ。完全に死んでから生き返った奴をおれは知らない。“死んだ”体験談などおれの哲学方面の愛
読誌であるニャン2倶楽部にも載ってないのだからやれ困ったもんである。天国にイった体験はたくさん載ってるが。ありがち。おれの駄目なところはありがちなことを言いたくないところだ。それが作品にも影響を及ぼしてる。だからつまらない。ほっとけ。
孤独とは恐怖である。おれだって孤独はイヤだ。死んでもイヤだ。誰かと繋がっていたい。おれの友人のD達君は酔うと誰彼構わず、男女構わず繋がろうとする危険な性格の持ち主だがこの話には一切関係ないので覚えるべからず。おれの尻はなんとか無事であることを付け加えておく。さらにおれの愚息は男知らずであることも加えて注記しておく。奴は穴があったら挿れたい質なのだ。この前など自分のへそに挿れとった。
さてと、孤独を恐れる心、それは父母の存在がいずれ居なくなるという漠然とした恐怖かもしれない、とは所謂本能というやつに違いあるまい。上記したおれ世界説はその本能からくる恐怖の表れだと思う。恐らくは孤独と折り合いをつける為の本能的なトレーニングのようなものだろう。詳しく知りたければ自身で調べろ。森羅万象の裏表は得てして表裏一体だから、孤独を愛する、ということもあるだろうが、まあそういうことだ。
おれがしたい話はこんなことじゃなかったんだった。いきなりごめん。当然上記のことは投げっぱにするわごめん。みながみな主観的世界の中にいるのならみながみな主役の世界でもいいじゃないか、的な戯言でしめにしていいや。
さてと、よく、この広い世界の中であなたと私が出逢うなんてこれは運命よね、と目の瞳孔や虹彩を七分割ぐらいにしてきらきらと輝かせるという神業を以て感激に浸るラスカル、もとい、オスカルってあの方実は…(オ・ン・ナ)誰!?せっかくそれなりに書いてきたのに台無しにしたそこの唇で言葉伝えようとした召使いっぽい奴誰!?言っとくけどおれ読唇術出来ないかんね!そんな問題じゃねえよ。おれ紫じゃなくてオレンジだからってキャッツアイかよ馬鹿!!…ごめん。なんだっけ(!)。ああ、今このブログで連載している女子に大人気のラブファンタジー「アラクネ」のオチの話だっけ。あれのオチはね、ってマジで書きかけたよ!つうか一回書いて消してまた書いて消したよ!どんな罠だよ!自分から自分に罠かける奴なんてゴルゴ13ぐらいだよ!あ、ゴルゴ13も読唇術出来たよねってどうでもいいわああああぁぁぁ!!あれはカギカッコと○○をテーマにして書いているんですけどもって言いたがりかおれは!えっと、人間ってたくさんいるでしょ?おれの知らない人はなんとこの地球上に60億人以上もいるらしい。そんなことあるわけないでしょ。指を使って数
えたらばなんと6億本の腕が必要だ。千手観音も真っ青。彼ら一人一人が自意識を持ち、過去を蓄積させて今も存在しているなんて嘘だからね。おれだけでもそこそこエネルギー内に秘めているというのにそんなにたくさんいたらって違う違う。その話じゃなかったっけ。
運命の出逢いって言葉を否定はしない。素敵だし。しかしそこにめくるめくミラクルパワー、あなたとあたし前世ではピアノと調律師だったのよ的なものは存在しないし、あまりにも軽く使いすぎてやいませんか。運命とは神的存在から与えられた人の幸不幸や人生を決定させる力とのことらしいのだが、ま、慣用的に用いる運命に限るとして、おれは運命とはただの偶然だと思っている。しかしこのただの偶然、純粋な偶然とはかなり難しいのだ。自身の生活系と相手の生活系が重なり会った部分で起こる必然めいた偶然イコール運命になっていませんか。人類の誰か一人にだけ100万円が当たる宝くじが発行されたとして…規模の割に当選金やけに低いな…ま、いっか、無作為に選ばれる一人の当選者は必然の産物でそれが誰かという部分が偶然の産物でしょ。おれの中でそれは純粋な偶然じゃないんだよね。必然要素があるから。それの狭い範囲の出来事が運命って巷で軽く言われることでしょ。この人との出逢いは必然、運命に違いないだなんて上記の絶対的孤独からくる恐怖を相手に自分の理想の形を仮託して押し付けて埋め合わせているだけでしょ。半径5センチの系の中で起
こるコーラを飲んだらゲップをするみたいな当たり前の必然を果たして運命だと言っていいのか?起こりうる必然を運命だと言っていいのか?違うだろう。必然なんて結果のわかっている過程の中で言う言葉でしょ。答え出てんじゃん。そういう人物を探してたら似たようなの見つけただけでしょ。結果に帳尻合わせただけでしょ。妥協だろ。同じクラスになって親友と巡り会ったことは運命なのか?人生は一発勝負で過去をやり直すことは出来ないからっていう恐怖を自分に納得させてるだけじゃないのか。違うクラスに入っていたら違う運命感じるのではないか?あ、それを含めて運命なのか。なるほど、今までおれが言ってきたことはなんだったんだろう(!)。いやでもその人生の不可逆な流れを意味する運命も自身の後悔の合わせ鏡だろ。過去に自分がしてきた取捨選択なんてのも当時の自分にはそれしか選べなかった、それを選ぶことがベストチョイスだった必然じゃん。偶然の要素無いよ。クラス配分だってそうだよ。文句言えば替えてもらえるわけだから。それをしなかっただけでね。宝くじだって当選者っていう必然があるわけで。
おれは運命をただの偶然だと言って貶してるわけじゃないんだ。ただ簡単にこれは運命だとか言ってしまう人間の気持ちが怖いだけでね。運命で済ませていいのかと。そんなふんわりしたものではなくもっと確固たる理由のもとに起こっているその事態を誇るべきなんだよ。何言ってるか全然わかんねえ。駄目だおれ。ま、いっか。良くねえけど。ま、あえてですけどね。おれ良いこと言いたくない症候群だから。はい、嘘です。おれの中で一切必然性のない偶然というやつは存在しえない奇跡。夢。まさしく運命。偶然というものにおれは運命を感じている。なかなか純粋な偶然の出来事ってないんだぜ。はいはい。恥ずかしい恥ずかしい。
あ、今ラジオ聴いてて気づいたけど、おれ全く小説とか文字が好きじゃないことにやっと気がついた(!)。あとさ、これは結構前に気がついてたんだけど、文字に力があるんじゃなくて文字の背景に力があるんだよね。だからへんてこひきこもり575なんて糞だよね。駄目だ。やっぱり真面目なこと書きたくねえ。じゃあまた。