“コスメティックもろざし”最終話〈九十〉
ふりかぶるラニオ。サイドスロー。球は知子。
ぷらんぷらん揺れる知子。ゆあーんゆよーんゆあゆ…。一瞬の静止が終わり、顔中に潮の香りいっぱいの空気を叩きつけられ、ラニオの手が知子の首根っこから離れる。
知子は投げられ、つま先をすりながらも、近づく海を見ていた。ラニオの背後の海同様に青白く光っている。とても“甘い”光。しょっぱい風が、砂糖の甘さを帯びたなら!
「動け、私!」
知子のつま先に力が戻る。つま先を軸に反転。ブレーキをかける。が、淵までの距離およそ30センチ。投擲の勢いは凄まじく、止まることなど…。だがしかし、
がちっ。
「がちっ?」
知子は浮いたかかとになにかがはまり込んだ感触がして、まさに崖っ淵で止まることができた。この車止めも無い平らな堤防で、勢いよく飛ぶ知子を受けとめたなにかとは…。
「しつこいやつだ」
ラニオが突進してくるのも構わず、知子は自分の足下を見た。
腕。
知子のかかとを支えているのは人間の腕だった。どことなく透き通っている青白い腕が海からにょきっと生えでて、知子を支えているのだ。支えている腕、よく見ると右腕と右腕。この二本の腕以外にも、海面からは何本もの腕が知子の足下にわらわらと伸びてきている。
「知子」
声が聞こえる。聞いたことがある声。忘れようも無い、父の声。
「知子」
今度はブタクマの声。
「知子、信じなさい」
女の人の声。この声は聞いたことがない。いや、ある。自分の声にそっくりだ。
眼前に迫るラニオ。
「愛の輝きを!」
合唱。
知子の腕がラニオのわきの下へ伸びる。その腕に、見慣れた太い、しかし半透明の腕が重なる。
ラニオが知子にぶつかる直前、ラニオはまるでたかいたかいのように宙へ。
「な、ば」
ラニオの狼狽はいかばかりか。いないいないばぁをされた子供のような顔をした。
知子は腕の“俵”を使い、体を入れかえる。すなわち、ラニオの足下は海。
ラニオは落ちないよう知子の腕を掴んだ。だがラニオが掴んだのは知子の腕であって知子の腕ではなかった。
知子は腕から力を抜いた。
重力に従い落ちるラニオ。掴んでいるはずの知子の腕は青白く半透明で、するりと知子の腕から離れていった。
ザッパアァン。
その腕と共に、ラニオは豪快な水しぶきをあげて海に落ちた。
「ぶはぁ、てめぇ…ごぼごぼごぼ」
力任せに浮上したラニオに何本もの腕がまとわりつき、海の中へと引きこむ。
ぶくぶくぶくぶくぶく、
「ぶはぁ、うわあぁぁぁぁぁぁ、なんじゃこりゃあぁ」
それでも再度浮上したラニオ。恐怖に引きつった顔、声。
その顔にアイアンクローを決める腕がある。左腕。その腕は他の腕と違い、海に繋がっていなかった。
「ふぐ、ふぐぐ」
ラニオは抵抗虚しく海の中へ沈んでいった。
「よっしゃあ!やった!お父さん!ブタクマ!それに…多分…きっと、お母さん!」
知子の声に応えるものはなく、海は月明かりでのみ光り、もはや半透明の腕は見えない。
「ねぇ!やったよ!みんなどこ!?どこにいるの!?」
キョロキョロ見渡しても誰もいない。
知子はへたり込んだ。そして泣いた。お父さん、ブタクマ、ましてやお母さんはもう死んだのだ。誰もいない堤防。波音だけが響く。
いつしか月は沈み、雲ひとつない空を太陽が照らし始めた。
輝く太陽を見て知子は思い出した。
「輝き続けなくちゃ」
知子は立ち上がると歩いていった。その足取りはとても軽快なものだった。
「ねぇ知子、知ってる?」
「知らない」
「って何をだよ!いや、そういう風に聞いた私が悪かったよ。なんかD美がお祖母ちゃん包丁で刺しちゃったらしいよ、しかもどうやらあの晩に」
「えっ、ほんとう!?D美ってあのD美!?なんでまた?」
「いや、知らないけど」
「ふーん、世の中色々あるわね」
「ほんとに…」
「あそこだよ」
B子が指さす先には大きな病院。
よく晴れた夏の昼下がり、知子、ミチコ、B子の三人は走りだした。きゃははははは。笑い声がこだまする。
受付で名前を書きこみ、番号の書かれたバッヂを胸に目的の部屋へ。
「あら、知子。久しぶりね」
「先生ぇ、生き霊って信じる!?」
了
ぷらんぷらん揺れる知子。ゆあーんゆよーんゆあゆ…。一瞬の静止が終わり、顔中に潮の香りいっぱいの空気を叩きつけられ、ラニオの手が知子の首根っこから離れる。
知子は投げられ、つま先をすりながらも、近づく海を見ていた。ラニオの背後の海同様に青白く光っている。とても“甘い”光。しょっぱい風が、砂糖の甘さを帯びたなら!
「動け、私!」
知子のつま先に力が戻る。つま先を軸に反転。ブレーキをかける。が、淵までの距離およそ30センチ。投擲の勢いは凄まじく、止まることなど…。だがしかし、
がちっ。
「がちっ?」
知子は浮いたかかとになにかがはまり込んだ感触がして、まさに崖っ淵で止まることができた。この車止めも無い平らな堤防で、勢いよく飛ぶ知子を受けとめたなにかとは…。
「しつこいやつだ」
ラニオが突進してくるのも構わず、知子は自分の足下を見た。
腕。
知子のかかとを支えているのは人間の腕だった。どことなく透き通っている青白い腕が海からにょきっと生えでて、知子を支えているのだ。支えている腕、よく見ると右腕と右腕。この二本の腕以外にも、海面からは何本もの腕が知子の足下にわらわらと伸びてきている。
「知子」
声が聞こえる。聞いたことがある声。忘れようも無い、父の声。
「知子」
今度はブタクマの声。
「知子、信じなさい」
女の人の声。この声は聞いたことがない。いや、ある。自分の声にそっくりだ。
眼前に迫るラニオ。
「愛の輝きを!」
合唱。
知子の腕がラニオのわきの下へ伸びる。その腕に、見慣れた太い、しかし半透明の腕が重なる。
ラニオが知子にぶつかる直前、ラニオはまるでたかいたかいのように宙へ。
「な、ば」
ラニオの狼狽はいかばかりか。いないいないばぁをされた子供のような顔をした。
知子は腕の“俵”を使い、体を入れかえる。すなわち、ラニオの足下は海。
ラニオは落ちないよう知子の腕を掴んだ。だがラニオが掴んだのは知子の腕であって知子の腕ではなかった。
知子は腕から力を抜いた。
重力に従い落ちるラニオ。掴んでいるはずの知子の腕は青白く半透明で、するりと知子の腕から離れていった。
ザッパアァン。
その腕と共に、ラニオは豪快な水しぶきをあげて海に落ちた。
「ぶはぁ、てめぇ…ごぼごぼごぼ」
力任せに浮上したラニオに何本もの腕がまとわりつき、海の中へと引きこむ。
ぶくぶくぶくぶくぶく、
「ぶはぁ、うわあぁぁぁぁぁぁ、なんじゃこりゃあぁ」
それでも再度浮上したラニオ。恐怖に引きつった顔、声。
その顔にアイアンクローを決める腕がある。左腕。その腕は他の腕と違い、海に繋がっていなかった。
「ふぐ、ふぐぐ」
ラニオは抵抗虚しく海の中へ沈んでいった。
「よっしゃあ!やった!お父さん!ブタクマ!それに…多分…きっと、お母さん!」
知子の声に応えるものはなく、海は月明かりでのみ光り、もはや半透明の腕は見えない。
「ねぇ!やったよ!みんなどこ!?どこにいるの!?」
キョロキョロ見渡しても誰もいない。
知子はへたり込んだ。そして泣いた。お父さん、ブタクマ、ましてやお母さんはもう死んだのだ。誰もいない堤防。波音だけが響く。
いつしか月は沈み、雲ひとつない空を太陽が照らし始めた。
輝く太陽を見て知子は思い出した。
「輝き続けなくちゃ」
知子は立ち上がると歩いていった。その足取りはとても軽快なものだった。
「ねぇ知子、知ってる?」
「知らない」
「って何をだよ!いや、そういう風に聞いた私が悪かったよ。なんかD美がお祖母ちゃん包丁で刺しちゃったらしいよ、しかもどうやらあの晩に」
「えっ、ほんとう!?D美ってあのD美!?なんでまた?」
「いや、知らないけど」
「ふーん、世の中色々あるわね」
「ほんとに…」
「あそこだよ」
B子が指さす先には大きな病院。
よく晴れた夏の昼下がり、知子、ミチコ、B子の三人は走りだした。きゃははははは。笑い声がこだまする。
受付で名前を書きこみ、番号の書かれたバッヂを胸に目的の部屋へ。
「あら、知子。久しぶりね」
「先生ぇ、生き霊って信じる!?」
了