“コスメティックもろざし”〈八十七〉 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

“コスメティックもろざし”〈八十七〉

今の知子の体力は、相撲をやめてからほとんど運動をしていないので、たまに思い返すよう腕立て伏せやぶら下がり健康器を使っての懸垂をする程度、最大限に見積もっても男子中学生の平均ぐらいだろう。ましてや体重は50キロをきっている。
その知子にブレーキの壊れたダンプカーの如く突進してくるラニオ。優に100キロを超え、150キロはあるだろう。その差、実に3倍。体重だけではない。握力、脚力、背筋力、およそ身体能力に関していえば身長以外は3倍、部位によっては5倍から6倍はあるだろう。大人と赤子、ブラックバスとメダカ、イージス鑑とお椀の船、核爆弾と線香花火。いかに技術で勝っている、と思われる、としても如何ともしがたい圧倒的な体力差。
真っ正面から大人気なく隙をつき突っ込んでくるラニオに、知子は受けて立つ構えだ。知子も体勢不十分ながらラニオに突っ込む。
横に逃げる、なんて考えは浮かばない。まず向かってくる人間をとっさに横へと避けるのは簡単に見えてその実、かなりの技術、身体技法がいる。ましてや闘争、相手はラニオ。横に避けるだけならできたとしても、その後闘う体勢を保つことが果たして出来るか。出来なかったとなれば崩れた体勢のまま為す術なく捕まり、死ぬことになるだろう。そしてなにより、ブタクマの相撲に立会の変化は無い。ただでさえしないのに“格下”相手にすることは選択肢にすら含まれていない。
ゴスッ。
かといって頭からラニオにぶつかれば戦闘不能状態に陥るのは必定。知子は地面に膝がつくぐらい低い体勢でラニオの手をかいくぐり、ラニオのどてっ腹に衝撃を受け流すよう右肩と顔をぶつけた。衝撃は背骨を通じ足に伝わる。知子は無理に足をつっぱらない。そんなことをしたら体がアコーディオンの蛇腹の如くぐしゃぐしゃになってしまう。必然的にラニオの勢いを止めることはできない。まぁそれが目的ではないのだが。たたたたっと足をもつれさせないよう後退する。衝撃は最小限に留めたが、それでも知子の首はミリミリと音をたて、曲げることができなくなり、右肩の感覚はなくなった。ラニオの突進を真正面から受け止めた割に被害は少ないと、知子の技量を誉めるべきかもしれない。
いつまでも知子を押しているだけでは埒があかない。ラニオは腰にしがみつく知子のベルトを奥襟を掴むよう握り、力任せにふり回した。しかし知子はラニオを離さない。あまりに知子がしつこくしがみつくのでジャイアントスイングみたくぐるぐる回るラニオ。遠心力により知子の足が浮く。
「ったく、目が回っちまうぜ」
回りながらラニオが言った。と、同時に知子をひっぺかそうとする力が強くなった。
まずい、肩がはずれる。
知子は腕を離した。
後ろ足から、まるでスライディングをビデオで逆回ししたように飛ぶ知子。強烈な勢いは知子が着地した瞬間知子を弾く。
知子は再び飛んだ。今度は横方向ではなく斜め上方向。知子は産まれて初めてバク宙を決めた。
「おいおい、そんなんで俺に勝つ気か?ははは、相撲の枠内ですら俺に勝てないじゃないか」
高笑いするラニオに対し、
「はぁ?勝てない?なに勝ちを気取ってるんだ?私がいつ土をつけたよ?私がいつ負けたよ?むしろ勝ちを気取りたいのは私の方だわ。お前はまさにでくの棒。うんざりするほど相撲をわかってねぇ。私は自分が強いとは思わないけどね、あんたに負けるほど落ちぶれちゃあいないわ」
と、言い放った。
知子は決して虚勢を張っているわけではない。相撲なら負けないな、と組み合った瞬間わかった。それは実際の勝ち負けではなく、絶対的な戦力差を認めないほど知子はバカではない、感覚的に、相撲に関してこいつには一切劣っていないということだ。
「…………もう遊びは終わりだ」
ラニオはピクピクとこめかみを震わせている。