“コスメティックもろざし”強さとの再会〈八十二〉 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

“コスメティックもろざし”強さとの再会〈八十二〉

知子の口からよだれが糸をひく。
力なくしなだれる知子を軽々と担ぎ、ラニオは堤防を歩く。
今の知子には単調な波音と歩く振動だけが感覚。
ラニオが歩くのをやめた。気がつけば堤防の先、小さな灯台の裏。なるほど灯台下暗し。波間に反射する月光と灯台の淡い光に挟まれたひとつまみの闇。
「やぁ、お嬢さん。はじめまして。根来です」
「……………」
「おやおや、挨拶もできないのかな?これはいけない。教育がなってない。ねぇ。教育とは条件反射なのだよ。ヘビに睨まれたカエルが動けなくなるように、挨拶をされたら挨拶をし。上司に命ぜられればたとえ火の中水の中。ねぇ。戦争になれば心を痛めることなく、敵を撃ち、爆弾を投下する。条件反射こそ人間の持つ力なのだよ。そしてその力を最大限に発揮させる元が教育なのだよ。右にならえ、左にならえ。だ。ねぇ。日本が、世界が、ひとつの考えのもと一直線に進む。最初こそ戦争のひとつやふたつあるだろうが、やがて平和な、あらゆる争いがない世界になるだろう。才能もくそも、エリートも落ちこぼれも無い。ただ言うことを聞いていれば幸せが訪れる世界さ。そんな完璧なシステムを作りあげるには、加府信蔵のような不良品は早いうちから“丸ごと”取り除かないと。後継者がいると厄介だから。ねぇ。システムの基盤である私に刃向かうような奴に幸せは訪れないのだよ。ねぇ」
根来は笑うでもなく、かといって真面目な顔でもなく、例えるなら甲子園を目指しノックを受ける高校球児のような、厳しさに自己陶酔しているような顔をしている。
「君、加府をここへ」
運転手が加府を堤防の淵に腰掛けさせる。
「ラニオ君、お嬢さんを降ろしてあげなさい」
ラニオは知子を地に降ろした。ただし、縛られた両手とベルトをしっかりと握っている。だが、それでなくても知子に反抗する力はない。
「この辺りは潮の流れが特別でね。毎年何人もここから落ちて死んでいる。怖い海だ。ねぇ。しかも死体はその潮の力で浮かび上がってこない。この堤防の底に引っかかるのだよ。はははっ、しばらくは見つからないらしいよ。目撃者がいなければね。死体を適度に処理するには大変優秀な海さ。ねぇ。まぁ最初っから犯人は捕まらないのだけどね。ねぇ」
根来は息を殺すように笑った。
空っぽの知子。しかしぼんやりと、
「なんか聞いたことある話だなぁ」
と思って、すぐ消えた。
「お嬢さん、最後になにかお父さんに言うことはあるかな?」
「………………………」
根来は信蔵の背中に足をあてがう。
目の前で今まさに父親が殺されようとしている。なんだかんだで最愛の父。だが知子には、今の知子の目から伝わる情報には幾重にもフィルターがかけられ、まるで父が車にひかれたアマガエルのようにしか見えない。精神の精神による精神の為の防御機能。
「…親不幸な娘だ。まぁ、あの世で仲良く暮らしなさい」
根来は足で信蔵を押した。
信蔵はぐらりと揺れて堤防から離れ、荒れる波間にボシャっと情けない音をたてて落ちた。