“コスメティックもろざし”〈七十三〉思い出ときどき曇り | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

“コスメティックもろざし”〈七十三〉思い出ときどき曇り

ごーごーと鼓膜に響く音と振動の中、信蔵は目を覚ました。
「やぁ、お目覚めかな。加府さん」
信蔵の目の前にのっぺりした“ぬらりひょん”のような顔をした男が座っている。
流れていく風景、どうやら高速道路を車に乗せられて走っているようだ。
「俺は確か……」
信蔵はぼんやりする頭で記憶を紡ぎだす。
「………根来!?てめぇ」
信蔵は根来を殴ろうとした。記憶と現在の状況が合致したのだ。
が、信蔵は動けない。自分の体を見る。まさしくがんじがらめ。手は背中から動かず、足と胴体はシートに繋がれている。動けるのは頭だけ。
「まあまあ、落ちついて」
根来は手を上下にふる。
「てめぇ、何のまねだ!」
「何のまね?ははは、どう答えればいいのかな。ねぇ、ははは」
根来は笑う。
「くっ」
信蔵はじたばたするもどうしようもない。
「加府さん、ペンは剣よりも強し、ってよくいうよねぇ。私はこの言葉が嫌いでねぇ。だって剣のほうが強いだろ?現に今、あなたはなにかできますか?ははは、ねぇ」
車はトンネルに入る。根来のうすら白い肌が不気味にオレンジ色を反射する。
「俺が厄介になったんだろ。俺の情報が、ペンが!それなら俺はてめぇに勝ったんだよ!剣はペンに勝てない。俺を消しても第二、第三の俺が、ペンがてめぇを逃がさない」
信蔵は死を覚悟した。ただ気がかりなのは………。
「あなたはこんな状況でも負け犬にならないねぇ。たいしたものだ。ただ私は負け犬が好きなんだ。なんでも与えられると思っていて、自分ではなにもできなくて、最初から諦め、ただ言われたことだけを平均点でクリアーしていく。…以前、勝ち続けている男がいたよ。肉体的にも精神的にも強い男だった。気に入らなくてね。負け犬にしてやったよ。あの時は気持ちよかったねぇ。ははは。あなたにはそんな手間かけないがね」
「お坊ちゃんが。人間を知らねぇな。お笑い種だ。負け犬になっても牙を研ぐことを忘れない奴だっているんだ。いつかてめぇに噛みつく日がくる!」
根来は大きく息を吐いた。
「私はね、世界を負け犬の天国にしたいのさ。理想家だろ?親父も賛成してくれたもんだよ。世界を理想郷に作りかえる。羊の群れと牧羊犬と羊飼い。平和な世界にね。ははは、楽しい世界になるよ。ねぇ」
「反吐がでる。その牧羊犬がお前の組織しようとしている部隊か!」
「その通り。ちょうど今、実験材料が演習をしているよ。あなたの娘さん、知子ちゃんと言ったか」
「その名を二度と口にするな!」
今までよりも眼光鋭く信蔵が叫んだ。
「ははは、今のはちょっと負け犬ぽかったね。いいよ。ははは、ねぇ」
信蔵は首をちぎらんばかりに体を揺り動かす。
「あなたは二度と娘さんには会えないが、まぁ死ぬ場所ぐらいは同じにしてやろうと思ってね。ははは、ねぇ、良いもんだろう。ねぇ。」
根来はふところに手を入れてなにかを取りだした。
注射器だ。透明な液体が針先からぴゅーと弧を描く。
「さてと、最後になにか言うことありますか?」
「クソっくらえ」
根来は信蔵の太ももに注射器を刺した。
「知子………」

ミチコとB子はふたりの老兵から逃げて、視聴覚教室に立てこもっている。しかし、扉を閉めると同時に老兵の持つ曲がったナイフが扉に差しこまれた。鍵をすることができず、ふたりがかりで扉を押さえていることしかできない。ただでさえ袋小路。開かれたなら地獄。
「アケル、アケル」
からからと老兵が笑う。もてあそんでいるのだ。その気になればいつでも扉をこじ開けられるだろうことはミチコとB子にも嫌というほど伝わってくる。
漂う絶望感の中、ミチコが言った。