“コスメティックもろざし”代償いらんかね(二十五)
「根来さん、こいつどうします?」
暖簾に左手で手をかけた根来が背中越しに応える。
「どうって、別にもうなにもしなくていい。ほらあれだよ」
「こんなやつ、ほっておけ」
「ほっておけ」
根来と芽賀の声が重なった。
「ははっ、その通り。ほっておきなさい。心配しなくてもいい。なにも出来やしないのだから」
そういって根来は芽賀が開けた暖簾をくぐり出ていった。
芽賀は暖簾をくぐる前にちらりと熊若丸を見た。
「…どこに訴え出ても無駄だからな。せいぜい無駄に生きるんだな。もし死にたいと願うなら、崖なりマンションなり電車なり、飛び込む場所は夜空に瞬く星ほどあるんだぜ」
言い終わると芽賀は歩を進め足早に根来を追って行った。
稽古場に独り残された熊若丸。溢れる涙さえ力無く頬をナメクジのように伝う。しかしその力無い涙には熊若丸の全て、今まで自分が自分であることを証明出来ていたもの、が溶けて流れ出ていた。
涙が枯れ、全てが無くなった時、熊若丸の意識は消えた。
目覚めたのは病院のベッドの上だった。なんでも路上で倒れていたところを救急車で運ばれたとか。
皮肉なことに何故路上で倒れていたのかは記憶にないが、部屋で起こったことは忘れたくてもはっきりと脳裏に焼き付いている。
3日ほど入院し熊若丸は田舎へ帰った。生きる元気は無かったが死ぬ元気も無かった。
帰るまでに見た、注射針、点滴、紙で手を切った看護士、見たこと無い形のハサミ、銀色、包帯、ゴムチューブ、血圧、車椅子、入院、退院、急患、車輪、速度、落とした切符、重力、倒れてきたシート、通らない改札、発車音、警官、缶コーヒーのポスター、睨みつける目、子供、木、ちょうどいい枝、大型工具店、マネキン、天丼屋の看板に描かれたエビ、仏具と釣具屋のあいのこ、干からびたカエル、爆竹を抱いたトンボ、降ってくる暗い気分に熊若丸は怯えた。
怯えながらもなんとか実家へ辿り着くと、突然の帰郷とやつれ果てた姿に驚いた父母は、それでもやかましいほどの無償の愛で熊若丸を包んだ。それは心に開いた大きな穴を少しずつ埋めていくのには十分過ぎるほどであった。
続
暖簾に左手で手をかけた根来が背中越しに応える。
「どうって、別にもうなにもしなくていい。ほらあれだよ」
「こんなやつ、ほっておけ」
「ほっておけ」
根来と芽賀の声が重なった。
「ははっ、その通り。ほっておきなさい。心配しなくてもいい。なにも出来やしないのだから」
そういって根来は芽賀が開けた暖簾をくぐり出ていった。
芽賀は暖簾をくぐる前にちらりと熊若丸を見た。
「…どこに訴え出ても無駄だからな。せいぜい無駄に生きるんだな。もし死にたいと願うなら、崖なりマンションなり電車なり、飛び込む場所は夜空に瞬く星ほどあるんだぜ」
言い終わると芽賀は歩を進め足早に根来を追って行った。
稽古場に独り残された熊若丸。溢れる涙さえ力無く頬をナメクジのように伝う。しかしその力無い涙には熊若丸の全て、今まで自分が自分であることを証明出来ていたもの、が溶けて流れ出ていた。
涙が枯れ、全てが無くなった時、熊若丸の意識は消えた。
目覚めたのは病院のベッドの上だった。なんでも路上で倒れていたところを救急車で運ばれたとか。
皮肉なことに何故路上で倒れていたのかは記憶にないが、部屋で起こったことは忘れたくてもはっきりと脳裏に焼き付いている。
3日ほど入院し熊若丸は田舎へ帰った。生きる元気は無かったが死ぬ元気も無かった。
帰るまでに見た、注射針、点滴、紙で手を切った看護士、見たこと無い形のハサミ、銀色、包帯、ゴムチューブ、血圧、車椅子、入院、退院、急患、車輪、速度、落とした切符、重力、倒れてきたシート、通らない改札、発車音、警官、缶コーヒーのポスター、睨みつける目、子供、木、ちょうどいい枝、大型工具店、マネキン、天丼屋の看板に描かれたエビ、仏具と釣具屋のあいのこ、干からびたカエル、爆竹を抱いたトンボ、降ってくる暗い気分に熊若丸は怯えた。
怯えながらもなんとか実家へ辿り着くと、突然の帰郷とやつれ果てた姿に驚いた父母は、それでもやかましいほどの無償の愛で熊若丸を包んだ。それは心に開いた大きな穴を少しずつ埋めていくのには十分過ぎるほどであった。
続