お○んこ in Her(1)
「お話の途中申し訳ありませんが」
小松崎栄介と花井義孝は突然隣席の若い女から話かけられ、二人して困惑の表情を浮かべたのちすぐに、あちゃー、という顔をした。何故なら大声でしょうもない単語を連発していたからだ。
居酒屋チェーン“けらけら”の席上。栄介と義孝はしがないサラリーマンである。会社帰りに一杯。二人はただ同僚、先輩と後輩、であるというだけの間柄ではない。言うなれば盟友。同じコンプレックスを持った同士である。酒に酔った二人は共通するコンプレックス、すなわち、如何に己の男性器が小さいかを自虐的に話していた。
俺は勃っても五センチだ、と、先輩である栄介が言えば、僕なんか通常時でっかいクリトリスより小さいですよ、と、義孝が言う。お前見たことあるのかよでっかいクリトリス、と、栄介。あるわけないでしょ、と、義孝。お互い二十代独身。二人共、自身の男性自身に自信を持てないことから、童貞である。
そんな話を、日頃のストレスの憂さ晴らしと鬱屈したリビドーとアルコールの作用が相まって、繰り返し繰り返し、次第に声を荒げつつ、周りの酔客の声量に負けぬよう話していたのだ。体力も金も性欲も自由自在な年頃。二人共それなりの顔をしている。だが、男性器の大きさだけが足りない。砂漠で遭難した折、時計も磁石もナイフもテントも寝袋もインスタントラーメンもあるのに肝心要の水が無い状態とでも云おうか、耐え難くそして満たされることの無い渇きに喘いでいる二人の苦しみは如何ばかりか。股に大根を持つ作者には想像も出来ない。失敬。並の愚息である。
栄介は、あいやまさか隣人が麗若き女人であったとは、これは失礼。という心の声を短い言葉に託した。
「あ、すみません」
ぺこりと頭を下げた栄介は彼女の痩せ気味のきりりとした顔とは裏腹にぽっこり膨れている腹の存在に気付き、山のように積もった灰皿に目をやった。どうやら義孝も彼女の腹に気付いたようで、灰皿を通して義孝と目が合う。姉妹もなく、女性経験もない二人は女に対してコンプレックス性フェミニズムとでも云うようなものを持っている。変に意識して過剰なサービス精神騎士道精神を持って接するのだ。それが良い行為であると思っている二人だが、花に水をやりすぎては根が腐るよう、過剰な気遣いが時に女の個性や人権を無視するものであることを二人は知る由もない。
栄介と義孝が小さい灰皿の小さい隙間に火をつけたばかりの煙草をねじ込もうとした時、
「あの、妊婦じゃありませんから」
妊婦に間違いられ慣れているのか、彼女はすぐに二人の行動の意味を理解したらしく、無表情で静かに、しかし、はっきりと聞き取れる声で言った。
妊婦じゃないのか、ああ、ただのデブだったか。再び栄介と義孝は目を合わせ、声無き声を交換。
「はあ、すみません」
栄介が再度彼女の顔を見る。改めて見てみるとなんと可憐な女であろうか。薄暗い照明の中でもはっきりと彼女の色白さがわかる。浮き出る青い静脈がかわいそうになるぐらい、まさに透き通るような白さだ。セミロングの黒髪が抜群に似合っている。女優である、と、告げられたならば疑う余地の無い整った顔。やはり痩せ気味のきりりとした顔だ。なのに。着ているワンピースはマタニティウェアじゃないのか。ついつい栄介はぽっこりと出ている腹に目を向ける。
「あの、お話の途中申し訳ありませんが、少しお時間を、あの、話を聞いて頂けませんか」
居酒屋である。居酒屋チェーン店である。居酒屋チェーン“けらけら”である。居酒屋チェーン店“けらけら”の窓際の二人席である。簡素に仕切られた隣席を、そして周りを見回しても彼女の連れらしき人はいない。酔いどれの頭を振るって記憶を辿る。そういえば、多分、きっと、ずっと、彼女は一人だった?栄介と義孝が、もはや口をぱくぱく動かしながら、声無き声の交換。
「小松崎さん…」
義孝はそう呟くと何故か知らないが、小松崎って名字呼びにくいなぁ今度から小松か松崎って呼ぼうかなぁ、と思った。酔いと女、美人、の前では倫理的思考が機能しないらしい。
「うむ」
何が、うむ、だ。そう思う栄介であったがその後の言葉、行動が何も脳内に浮かんでこない。うむ、うむ、うむ、うむ。脳内で何度も連呼するだけである。嗚呼、平成も二十年が過ぎた、壊れたレコードに替わる表現はないものか。
「よろしいですか?」
数瞬の静寂、といっても周りは酔客の声で騒がしいのだが、を破り、彼女が問う。
「ちょっと待ってて下さいちょっと待ってて下さい。おい、花。ちょっときて」
栄介は立ち上がると義孝を連れてトイレに逃げ込んだ。大の大人がようやく思いついた行動である。
「な、な、なんだありゃ」
「な、な、なんでしょねあれ」
二人は何故か男性用便所に入ると迷わずに大用個室にまで逃げ込んだ。足並みが一糸たりとも乱れぬ動きであった。
「逆ナンってやつか?」
「いやしかしいやなんていうかそのあのまさかしかしでも」
あたふた感を抑えきれない義孝の言いたいことは、
「散々小陰茎を自慢してた俺達に?ってとこだよな」
栄介は理解していた。
「…ひょっとしたらなんかの宗教…とか、詐欺じゃ…ほら僕達散々弱味を見せつけてたじゃないですか。だからその弱味につけ込んで僕らから搾取しようとしてんじゃないですか?」
「うむ。そうだな。あり得る話だ。よく聞く話だ。なんかおかしな体型してるしな。あれで妊婦じゃないらしいぜ。しかしまあ考えりゃ俺達を逆ナンする奴なんかいねえよな」
「そうですとも。僕らなんか目くそ鼻くそじゃないですか。ありゃ?なんかおかしいな」
二人は自虐することにより冷静さを取り戻した。
「うむ。じゃあこうしよう。とりあえず話を聞いてみて、怪しかったら逃げよう。だから、そうだな、会計は済ましておくか」
「だけどこまちゅじゃきさん」義孝は何故かこのタイミングで“小松崎小松もしくは松崎化計画”をスタートさせた。それ程冷静になったと考えられなくもない。
「なんだ?」義孝の発音になんら疑問も持たず応える栄介。義孝の計画の第一歩を見破れなかった小松崎の運命や如何に…忘れてよい。
「あの、先に会計するって怪しまれないですかね?それに逃げようとした時に怖い屈強な男が出てくるパターンもありますよ」
「屈強な男がか。ならば尚更だ。早く逃げられるよう会計は済ませておかないとな」
「ああ、なるほど。しかし、怪しまれますよ」
「それもそうだがこのまま逃げるにしても伝票を取りに戻らなくてはならないぞ」
「なるほど、しかし座席に戻った後会計したらもっと気まずいですよ」
「それは…そうだな」
このような愚かしい、水掛け論ならぬ水掛け論を五分程も続け、二人は長い一本灰がくっついている煙草を便器に流してトイレから出た。小便をしていた初老の肥えたおっさんがびっくり仰天して股を濡らしたことなど気にもせず。
二人の出した結論は、彼女の話を聞く、であり、あらかじめ五千円、充分にお釣りがくる額、をポケットに入れておき逃げる段になったらその五千円を叩きつけて逃げよう、というものだ。この作戦に関して特に言うことは無い。呆れて。
座席に戻る。彼女は居た。
「いやぁすみません。ちょっと長くなってしまって」栄介は緊張を押し込める為に営業用の笑顔を作って言った。
「いえ、私も突然申し訳ありません」
「いやいや」
「いやいや」
困ったことが起きていた。彼女は栄介と義孝が飲んでいた二人席に自分の席の椅子を足して三人席にしていた。この店の窓際の二人席は凹型のボックスの中に二人席が二つある仕様だ。凹のへこみ部分は壁ではなく入り口になっている。大して広くないボックスの中で椅子を移動させるとなると必然的に窓側へ、入り口を空けるように椅子を配置することになる。もちろん彼女はそうした。となると一人である彼女は通路側に座る。実際座っている。奥に二人。これではいざという時に素早く逃げられない、もたつくことうけあいだ。死活問題である。だが、席を変えろなどと言えるような二人ならトイレの中に五分もいない。二人はおとなしく用意された椅子に座った。
「いきなりすみません。失礼の程は重々承知しています。だけど、あまりチャンスが無いと言いましょうか、少し話を聞いて頂きたいのですが」
「はい!」
二人は素っ頓狂な声で同時に返事をした。お仕事スイッチは様々な要因の下脆くも崩れさったようだ。
「あの、聞いてくれますか?」
義孝は膝の上で手を返し、どうぞ、の合図を栄介に送った。
「もちろん!」
またしても素っ頓狂な声。
これからはあまり大きな声を出さないよう二人に釘を刺した彼女は名前だけの自己紹介。彼女は、吉川仁美、と、名乗った。それに本名で応える栄介と義孝。馬鹿である。
「あの、実は先程お二人がしていた会話と関係があるのですが」
「えっ」
「静かにお願いします」
「さっきしていた会話というと、あれのことですか?」返事は栄介。
「そうなんです。その、お二人ともペニスがお小さいということで」
ついさっきまでそのことを店内に響き渡れと大声で喚いていたくせに仁美に面と向かって言われたら、ぢう、と酒で赤くなった頬をより濃く染める二人であった。
「それはまあそうなんですが」
義孝が、先輩である栄介の代わりに、応える。
「本当のことなのですか?ずっと探しているのです」
「ちんこ小さな男をですか!?」
「静かにって言ってるでしょ!」
怒られ睨まれ色々なものがしゅんと縮こまる義孝。仁美にとって幸いなことにこれも酔客の馬鹿笑いの中のひとつ。
「お願いですから小さな声で」
「しかし、他の誰かに聴こえないような小さな声じゃここでは聞き取れませんよ」
仁美がそのふくよかな唇に右手の人差し指を当てると瞬時に栄介は正論を吐いた。考えて言ったのではなくとっさに口から出たからこそ言えた正論であった。
「ああ、いや」
「そうですね。私、少し取り乱していたみたいです」
仁美を否定するようなひどいことを言ってしまった気がした栄介の言い訳を遮り仁美は自分をたしなめるように言った。
「ああ、ああ、いやいや」狼狽するしか能がないのかお前ら。
「よろしければここを出ませんか?是非お願いします」
不安混じりの笑みを浮かべ懇願する仁美。
「は、はい」
断る理由は五万とあるが即答してしまう悲しき野郎が二人、ここにいる。
「ありがとうございます。では早速。あ、私達会計済んでいますから外で待ってますね」
そう言って仁美は栄介と義孝の前から、一旦、消えた。嵐の後の静けさ。しばし茫然とする二人。
「はは、いやぁ、会計、僕達より先にやられてましたね」間を埋めるべく義孝が言った。
「いや、花、お前、そこか?そこじゃないだろ花お前」
「はぁ、なんですか一体」
「一体も二体もあるか、いや、一体も二体もあるんだ」
義孝はわけがわからず、とりあえず立ち上がると、じゃあ行きますか、と、言った。
「ちょっと待てお前。彼女最後になんて言ったか覚えてるか?」
「はぁ、外で待ってますね、と」
「その前だ」
「ありがとうございます、と」
「戻り過ぎだ」
「会計済んでいます」
「惜しい行き過ぎだってもういい。彼女言ったろ。“私達会計済んでいますから”ってよぉ」
「…あ、言った」
「私達ってどういうことだ?やっぱり彼女は一人じゃなかったのか?」
「考え過ぎじゃないですか?言い間違いなんてよくあることでしょ。それに本当に“私達”なら、ここに来てわざわざ私達って言わないでしょ」
「そりゃそうだがしかし」
「小松崎さんこそ覚えてますか彼女が言ったこと?」
「まあ大体覚えているが」
「いや、そんな真面目に答えられても。こういう場合WhatかWhyで返して下さいよ。もう。いいですか、彼女言いましたよね、探していたと」
「言ってたな」
「何を探してましたか?」
「…小さなちんこ男を」
「小松崎さん、僕は行きますよ。例え騙されていようが高い壷買わされようが美人局に遭おうが、万に一つ、このちんこが、僕達のちんこが、小さなちんこが役に立つならば、その可能性がある限り、僕は行かざるを得ません。僕達は。そうでしょ小松崎さん」
小松崎栄介と花井義孝は突然隣席の若い女から話かけられ、二人して困惑の表情を浮かべたのちすぐに、あちゃー、という顔をした。何故なら大声でしょうもない単語を連発していたからだ。
居酒屋チェーン“けらけら”の席上。栄介と義孝はしがないサラリーマンである。会社帰りに一杯。二人はただ同僚、先輩と後輩、であるというだけの間柄ではない。言うなれば盟友。同じコンプレックスを持った同士である。酒に酔った二人は共通するコンプレックス、すなわち、如何に己の男性器が小さいかを自虐的に話していた。
俺は勃っても五センチだ、と、先輩である栄介が言えば、僕なんか通常時でっかいクリトリスより小さいですよ、と、義孝が言う。お前見たことあるのかよでっかいクリトリス、と、栄介。あるわけないでしょ、と、義孝。お互い二十代独身。二人共、自身の男性自身に自信を持てないことから、童貞である。
そんな話を、日頃のストレスの憂さ晴らしと鬱屈したリビドーとアルコールの作用が相まって、繰り返し繰り返し、次第に声を荒げつつ、周りの酔客の声量に負けぬよう話していたのだ。体力も金も性欲も自由自在な年頃。二人共それなりの顔をしている。だが、男性器の大きさだけが足りない。砂漠で遭難した折、時計も磁石もナイフもテントも寝袋もインスタントラーメンもあるのに肝心要の水が無い状態とでも云おうか、耐え難くそして満たされることの無い渇きに喘いでいる二人の苦しみは如何ばかりか。股に大根を持つ作者には想像も出来ない。失敬。並の愚息である。
栄介は、あいやまさか隣人が麗若き女人であったとは、これは失礼。という心の声を短い言葉に託した。
「あ、すみません」
ぺこりと頭を下げた栄介は彼女の痩せ気味のきりりとした顔とは裏腹にぽっこり膨れている腹の存在に気付き、山のように積もった灰皿に目をやった。どうやら義孝も彼女の腹に気付いたようで、灰皿を通して義孝と目が合う。姉妹もなく、女性経験もない二人は女に対してコンプレックス性フェミニズムとでも云うようなものを持っている。変に意識して過剰なサービス精神騎士道精神を持って接するのだ。それが良い行為であると思っている二人だが、花に水をやりすぎては根が腐るよう、過剰な気遣いが時に女の個性や人権を無視するものであることを二人は知る由もない。
栄介と義孝が小さい灰皿の小さい隙間に火をつけたばかりの煙草をねじ込もうとした時、
「あの、妊婦じゃありませんから」
妊婦に間違いられ慣れているのか、彼女はすぐに二人の行動の意味を理解したらしく、無表情で静かに、しかし、はっきりと聞き取れる声で言った。
妊婦じゃないのか、ああ、ただのデブだったか。再び栄介と義孝は目を合わせ、声無き声を交換。
「はあ、すみません」
栄介が再度彼女の顔を見る。改めて見てみるとなんと可憐な女であろうか。薄暗い照明の中でもはっきりと彼女の色白さがわかる。浮き出る青い静脈がかわいそうになるぐらい、まさに透き通るような白さだ。セミロングの黒髪が抜群に似合っている。女優である、と、告げられたならば疑う余地の無い整った顔。やはり痩せ気味のきりりとした顔だ。なのに。着ているワンピースはマタニティウェアじゃないのか。ついつい栄介はぽっこりと出ている腹に目を向ける。
「あの、お話の途中申し訳ありませんが、少しお時間を、あの、話を聞いて頂けませんか」
居酒屋である。居酒屋チェーン店である。居酒屋チェーン“けらけら”である。居酒屋チェーン店“けらけら”の窓際の二人席である。簡素に仕切られた隣席を、そして周りを見回しても彼女の連れらしき人はいない。酔いどれの頭を振るって記憶を辿る。そういえば、多分、きっと、ずっと、彼女は一人だった?栄介と義孝が、もはや口をぱくぱく動かしながら、声無き声の交換。
「小松崎さん…」
義孝はそう呟くと何故か知らないが、小松崎って名字呼びにくいなぁ今度から小松か松崎って呼ぼうかなぁ、と思った。酔いと女、美人、の前では倫理的思考が機能しないらしい。
「うむ」
何が、うむ、だ。そう思う栄介であったがその後の言葉、行動が何も脳内に浮かんでこない。うむ、うむ、うむ、うむ。脳内で何度も連呼するだけである。嗚呼、平成も二十年が過ぎた、壊れたレコードに替わる表現はないものか。
「よろしいですか?」
数瞬の静寂、といっても周りは酔客の声で騒がしいのだが、を破り、彼女が問う。
「ちょっと待ってて下さいちょっと待ってて下さい。おい、花。ちょっときて」
栄介は立ち上がると義孝を連れてトイレに逃げ込んだ。大の大人がようやく思いついた行動である。
「な、な、なんだありゃ」
「な、な、なんでしょねあれ」
二人は何故か男性用便所に入ると迷わずに大用個室にまで逃げ込んだ。足並みが一糸たりとも乱れぬ動きであった。
「逆ナンってやつか?」
「いやしかしいやなんていうかそのあのまさかしかしでも」
あたふた感を抑えきれない義孝の言いたいことは、
「散々小陰茎を自慢してた俺達に?ってとこだよな」
栄介は理解していた。
「…ひょっとしたらなんかの宗教…とか、詐欺じゃ…ほら僕達散々弱味を見せつけてたじゃないですか。だからその弱味につけ込んで僕らから搾取しようとしてんじゃないですか?」
「うむ。そうだな。あり得る話だ。よく聞く話だ。なんかおかしな体型してるしな。あれで妊婦じゃないらしいぜ。しかしまあ考えりゃ俺達を逆ナンする奴なんかいねえよな」
「そうですとも。僕らなんか目くそ鼻くそじゃないですか。ありゃ?なんかおかしいな」
二人は自虐することにより冷静さを取り戻した。
「うむ。じゃあこうしよう。とりあえず話を聞いてみて、怪しかったら逃げよう。だから、そうだな、会計は済ましておくか」
「だけどこまちゅじゃきさん」義孝は何故かこのタイミングで“小松崎小松もしくは松崎化計画”をスタートさせた。それ程冷静になったと考えられなくもない。
「なんだ?」義孝の発音になんら疑問も持たず応える栄介。義孝の計画の第一歩を見破れなかった小松崎の運命や如何に…忘れてよい。
「あの、先に会計するって怪しまれないですかね?それに逃げようとした時に怖い屈強な男が出てくるパターンもありますよ」
「屈強な男がか。ならば尚更だ。早く逃げられるよう会計は済ませておかないとな」
「ああ、なるほど。しかし、怪しまれますよ」
「それもそうだがこのまま逃げるにしても伝票を取りに戻らなくてはならないぞ」
「なるほど、しかし座席に戻った後会計したらもっと気まずいですよ」
「それは…そうだな」
このような愚かしい、水掛け論ならぬ水掛け論を五分程も続け、二人は長い一本灰がくっついている煙草を便器に流してトイレから出た。小便をしていた初老の肥えたおっさんがびっくり仰天して股を濡らしたことなど気にもせず。
二人の出した結論は、彼女の話を聞く、であり、あらかじめ五千円、充分にお釣りがくる額、をポケットに入れておき逃げる段になったらその五千円を叩きつけて逃げよう、というものだ。この作戦に関して特に言うことは無い。呆れて。
座席に戻る。彼女は居た。
「いやぁすみません。ちょっと長くなってしまって」栄介は緊張を押し込める為に営業用の笑顔を作って言った。
「いえ、私も突然申し訳ありません」
「いやいや」
「いやいや」
困ったことが起きていた。彼女は栄介と義孝が飲んでいた二人席に自分の席の椅子を足して三人席にしていた。この店の窓際の二人席は凹型のボックスの中に二人席が二つある仕様だ。凹のへこみ部分は壁ではなく入り口になっている。大して広くないボックスの中で椅子を移動させるとなると必然的に窓側へ、入り口を空けるように椅子を配置することになる。もちろん彼女はそうした。となると一人である彼女は通路側に座る。実際座っている。奥に二人。これではいざという時に素早く逃げられない、もたつくことうけあいだ。死活問題である。だが、席を変えろなどと言えるような二人ならトイレの中に五分もいない。二人はおとなしく用意された椅子に座った。
「いきなりすみません。失礼の程は重々承知しています。だけど、あまりチャンスが無いと言いましょうか、少し話を聞いて頂きたいのですが」
「はい!」
二人は素っ頓狂な声で同時に返事をした。お仕事スイッチは様々な要因の下脆くも崩れさったようだ。
「あの、聞いてくれますか?」
義孝は膝の上で手を返し、どうぞ、の合図を栄介に送った。
「もちろん!」
またしても素っ頓狂な声。
これからはあまり大きな声を出さないよう二人に釘を刺した彼女は名前だけの自己紹介。彼女は、吉川仁美、と、名乗った。それに本名で応える栄介と義孝。馬鹿である。
「あの、実は先程お二人がしていた会話と関係があるのですが」
「えっ」
「静かにお願いします」
「さっきしていた会話というと、あれのことですか?」返事は栄介。
「そうなんです。その、お二人ともペニスがお小さいということで」
ついさっきまでそのことを店内に響き渡れと大声で喚いていたくせに仁美に面と向かって言われたら、ぢう、と酒で赤くなった頬をより濃く染める二人であった。
「それはまあそうなんですが」
義孝が、先輩である栄介の代わりに、応える。
「本当のことなのですか?ずっと探しているのです」
「ちんこ小さな男をですか!?」
「静かにって言ってるでしょ!」
怒られ睨まれ色々なものがしゅんと縮こまる義孝。仁美にとって幸いなことにこれも酔客の馬鹿笑いの中のひとつ。
「お願いですから小さな声で」
「しかし、他の誰かに聴こえないような小さな声じゃここでは聞き取れませんよ」
仁美がそのふくよかな唇に右手の人差し指を当てると瞬時に栄介は正論を吐いた。考えて言ったのではなくとっさに口から出たからこそ言えた正論であった。
「ああ、いや」
「そうですね。私、少し取り乱していたみたいです」
仁美を否定するようなひどいことを言ってしまった気がした栄介の言い訳を遮り仁美は自分をたしなめるように言った。
「ああ、ああ、いやいや」狼狽するしか能がないのかお前ら。
「よろしければここを出ませんか?是非お願いします」
不安混じりの笑みを浮かべ懇願する仁美。
「は、はい」
断る理由は五万とあるが即答してしまう悲しき野郎が二人、ここにいる。
「ありがとうございます。では早速。あ、私達会計済んでいますから外で待ってますね」
そう言って仁美は栄介と義孝の前から、一旦、消えた。嵐の後の静けさ。しばし茫然とする二人。
「はは、いやぁ、会計、僕達より先にやられてましたね」間を埋めるべく義孝が言った。
「いや、花、お前、そこか?そこじゃないだろ花お前」
「はぁ、なんですか一体」
「一体も二体もあるか、いや、一体も二体もあるんだ」
義孝はわけがわからず、とりあえず立ち上がると、じゃあ行きますか、と、言った。
「ちょっと待てお前。彼女最後になんて言ったか覚えてるか?」
「はぁ、外で待ってますね、と」
「その前だ」
「ありがとうございます、と」
「戻り過ぎだ」
「会計済んでいます」
「惜しい行き過ぎだってもういい。彼女言ったろ。“私達会計済んでいますから”ってよぉ」
「…あ、言った」
「私達ってどういうことだ?やっぱり彼女は一人じゃなかったのか?」
「考え過ぎじゃないですか?言い間違いなんてよくあることでしょ。それに本当に“私達”なら、ここに来てわざわざ私達って言わないでしょ」
「そりゃそうだがしかし」
「小松崎さんこそ覚えてますか彼女が言ったこと?」
「まあ大体覚えているが」
「いや、そんな真面目に答えられても。こういう場合WhatかWhyで返して下さいよ。もう。いいですか、彼女言いましたよね、探していたと」
「言ってたな」
「何を探してましたか?」
「…小さなちんこ男を」
「小松崎さん、僕は行きますよ。例え騙されていようが高い壷買わされようが美人局に遭おうが、万に一つ、このちんこが、僕達のちんこが、小さなちんこが役に立つならば、その可能性がある限り、僕は行かざるを得ません。僕達は。そうでしょ小松崎さん」