あたいはあたい以上にあたいを好きになれない。
ブログネタ:自分の中のどこかをひとつだけ変えられるなら何? 参加中これといって無い。勿論あたいは完璧超人というわけではない。ましてや超人ですらない。ルサンチマンでコンプレックスの塊でクズで駄目人間だ。悲劇のヒロインになりたいと思っても振り返れば中流家庭で生まれのほほんと生きてきた自分がいる。意思表示が苦手で周りに気を遣い能動的に生きてきた十代。早生まれで体力面でどうしても周りにかなわないからいじめられぬようそんな術を身につけたのだろう。くそっくらえな生き様だ。なんやかんやあってようやく自我というものが目覚め始めてそんな自分がよくわからなくった。今もよくわからない。だけどそんな自分がなんだかんだで大好きなのだ。嫌になること悩むことなんて山ほどあるけど、多分、きっと、大好きなのだ。我ながらむかつくけど大好きだという結論しかでない。だからわざわざ変えたいとは思わない。別に整形やピアスや入れ墨を「親からもらった大事な体を傷つける」なんてことは思わない。やりたいならやればいいと思ってるしそれで何がしかが好転するならいいことだ。ピアスも空いてる。あたいはあたいじゃなくなるのが嫌だ。なんかピッコロさん(緊急時とはいえ騙された人)みたいだけどあたいはあたいじゃなくなることが怖い。せっかく自分というものが出来始めたのに手放したくない。変えたくない。こんなことを聞いたことがある。人間の細胞は常に再生と破壊のサイクルを繰り返していることは知っていよう。一年前の自分と現在の自分ではまるっきり違う細胞(あまり適切な表現ではないが)で出来ている。趣味等が長続きしない人は別にそのことを悩まなくてよい。体が入れ替わっているのだから考え方だって変わるだろう。自然なことだ。むしろその反応はあらゆる変化に対応出来るということかもしれない。環境の変化に対応する為の野生のシステムかもしれない。あたいはあたいを変えたくないと言ったがそれは変化を認めた上でのことだ。矛盾しているようだが変化していく自分を認めそんな自分を変えたくないのだ。二度手間だ。聞いた話では食事をとると、例えばケーキを食べるとケーキを構成している分子と対応する己の体の分子が玉突きみたく少しずつ入れ替わると言う。こういう研究結果が出ているらしい。肝臓を悪くしたらレバーを食え、みたいな話だ。なるほどなるほど。美人になりたい人はイケメンを食えばいいのではなかろうか。どう食うかはご想像にお任せするが。あ、今変えたい部分が出来た。あたいは浅はかな部分を変えたい。