灰皿と灰とけむ猫(4) | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

灰皿と灰とけむ猫(4)

もうどうにでもなってしまえ。真冬に行われる寒中水泳に強制的に参加させられた日の朝のような、へらへらにたにた顔が似合うあの、精気が無いのに変な行動力だけはあるあの状態に尚はなった。今なら突然誰かに腕の骨を折られてもあまり痛みも感じないだろうし怒りの感情も湧かないだろう。むしろ道端の屋台に骨折り屋などがあれば金を払ってでも折ってもらうかもしれない。まさしく骨折り損のくたびれもうけ。なんじゃそりゃ。とにかく尚は自身を泥沼の底に横たわせたかった。
そうならざるを得まい。軽トラの荷台に一人分、ろくに趣味もないバツイチ男の質素で寂しい荷物。思い出すらない。思い出の品々はこれを期にあらかた処分した。本来尚はしみったれた性格なのだが、もういいや捨ててしまえ、これも自棄がなした所業であった。軽トラの行き先はアパートの大家さんが紹介してくれた新しい住処、例の伊那荘。一時期尚が感じていた幸福感を基準にすれば全てを失ったと言ってもいい。
家賃を考えればもう少し近代的で条件の良い住処にも住めたのだが、尚はあえて一番条件の悪いここを選んだ。前記のように、どうにでもなってしまえ、と、尚の精神は鬱病患者のように悪い方悪い方へと自らを導く。少し後に医者から躁鬱病だと診断されるのだが。
尚が起こした作家への転職、いや、転生自体を否定することが出来る男などいようか。好きなことをやって思うままに生きる。生きてみたい。それを夢見たことのない奴はいないだろう、脱サラを実行に移す者も後を絶たない。収入が減ろうが結果仕事量が増え自由時間が減ろうがお構いなし、楽しく過ごす日常、あくまで狸の皮算用だが、は何物にも代え難い魅力をもっている。しかしまぁ、楽しい時間充実した時間というのは時計の針が早く動いているのではないかと感じられるもので、そのことを考えると、時間は金では買えないと言うが、金を捨ててでも早く時間を進ませたい、早く死を迎えたい、と、自然に望むよう出来ているのかもしれない。思うに生物が持つ最大の役割は子孫を残すことであり、子孫を残したら役割を終えたということである。鮭の遡上などまさにそれだ。己の全生命力を注ぎ産まれた川を遡り、ボロボロになって遡りっきったら交尾に最後の生命力を懸けて死ぬ。死骸は栄養となって川や森を育み、回り回って子孫の栄養となる。産まれた子蜘蛛達が母蜘蛛を食ってしまうもの、交尾が終わったらメスに食われる蜘蛛やカマキリ。全ては子孫を、種を残す為
の本能による犠牲。もう少し高度な生物になると、いや、交尾によって死を迎えない生物になると、社会を築き交尾後もしくは交尾対象外のオスに役割を与えるようになる。その役割は主に外敵を追い払う為等危険を冒すものであり、要するにいつ死んでも良い、異変が起こった時に真っ先に死んでいく生命ということだ。人間の場合もこれに準拠する。人間の社会というものは役割を終え暇を持て余した変に知恵を持った生物的に無用の男達の玩具である。だから女は政治に口を出してはいけないし、女も男と同等に働きたいなどと言っても無駄だ。全ては男達の玩具なのだから。それを奪おうとすれば反発されるのは当たり前のことである。やれ男は、女を家庭を養わなければいけない、女は家庭を守れ、レディーファースト等々言って憚らないが、それら常識とされているものはただの欺瞞からくる精一杯の存在証明を得たいが為の詭弁に過ぎない。現実的に、ある程度金を稼がなければ育児は出来ないだろう、との意見もあろうが、金を稼ぐ方法は沢山あるし、家庭に金を貢ぐのは、なに、貴殿じゃなくてもよいのだ。尚のように一応の役割、本能に従うならば子種をばらまき続けな
くてはならないが、を終えた男の虚無感を埋めるものは新しいやりがいのある玩具しかないのだ。すぐに死が訪れぬならせめて楽しい余生を、と。それを理解する女はなかなかいまいがもとから理解する必要など無いし、そういう風に出来ていない。その役割を終えた時から死までの生物的空白を反射したものが死に様というやつである。「葉隠」の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」に見られるように男は死に様に固執する。子孫を残した後には死しか本能の役割に根ざしたイベントがないからだろう。かっこいい死に様に憧れるからこそ、いざ、という時死ねる、とも言える。その、いざ、という時であるが、例えば溺れた子供を助けようとする時。飛び込んだ結果死んでしまうことはよくあることだが、その死に顔は役割を全うした男の最高に満ち足りた顔に違いない。
どうにでもなってしまえ、そう思いながら尚は新しい部屋に寂しい荷物を搬入する。運び終えてぽつんと一人部屋にいると、どうにでもなってしまえ、と、ずっとずっと脳内でリフレインされていた言葉がいつしか、ここから這い上がってみようかな、ここから這い上がってみたら楽しいんじゃないかな、になり、気付けばここから這い上がってやる、になっていた。これも欺瞞からくる自己保全による精一杯の意思のすり替えである。
心機一転、翌日、尚は早速ピアスをつけた。