モヤモヤシリーズ。ウェルテル風? | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

モヤモヤシリーズ。ウェルテル風?

私は小学生の頃、一度だけ泣きながら学校から帰ったことがあるのです。いじめや大切にしているものを隠されたりしたわけではありません。「人は何故生きているのか」について考えてしまい、たまらないむなしさに包まれてしまったのです。生意気な小学生ですね。記憶は定かではありませんが4年生か5年生の頃です。こう考えてしまったのには理由があります。その一年ほど前でしょうか、母方の祖父の法事で坊主に突然聞かれたのです、「人は何故生きているのか」と。余談ではありますがその坊主は親戚一同から「くそ坊主」と笑いのネタになるような、自慢話の多い坊主です。この時も、そんな難しい質問を知恵のある大人ではなく人見知りでおとなしそうな私を選び問うたのでしょう。厄介な答えを出されれば自分のペースに持ち込めませんからね。私は坊主の狙い通りただあたふたするだけでした。そのあと坊主が何を言ったかはまるっきり記憶にありません。私はずっとドキドキしていました。法事が終わり、兄が話しかけてきました、「それを探す為に生きているんです、って答えればよかった」と。私はどこか上の空で聞きました。坊主にしてみれば兄ではなく私を
選んで正解といったところでしょうか。そんなことがあって私はあの日泣いていたのです。そんなときに限って、私の記憶が正しければこのたった一度、帰り道父に会いました。泣いている私を見て、その日の夕食はいわゆる家族会議です。いじめられているのかと言われ続けましたが私はいじめられていませんでしたから首を横にふります。じゃあ何故泣いていたのか、聞かれましたが私は答えません。子供ながらに、これを言ってもしょうがない、と考えていました。私はそういう子供でした。早生まれだからでしょうか、体力では同級生にかなわないので、いじめられない為に周りの空気を読むことに気を使うことを幼い頃から培っていた、と思います。ただの人見知り、親にも自分の本心を言わない子供であったとも思います。兎にも角にも私はそれ以来たまにそのことを考えてしまいます。罪作りな坊主です。当たり前ですが答えはありません。あえていうなら子孫を作る為、ですが、生物学的な答えではあの坊主は納得しないように思います。私が死んでも答えは出ないと私は思います。