あたしにとってだけど、
アスペルガーと触れ合ったあとは
とてもよき流れがやってくる。

 


それは台風の後の晴れ間のようであり、
雪積もる中の晴れ日のようでもある。

 


空気は下がり、冷えた爽快のある空間の中で
上から綺麗な光が差し込むような、
そんな状態が訪れる。

 



 
現実的な話でいうと、
突然やってきたアスペルガーとの交流で
言葉の不具合が生まれ、
お互いにベストを尽くすが
わかったふりができない彼らと
わかったふりをしないあたしのスタンス故に
歯痒さと少々の不快が漂う。

 
 
 


しかし、どちらも
他人を否定することはないので、
各々に新しい問いを持ち帰り
その問いに対する自分の立ち位置やスタンスを
無意識も含め見直すことになる。

 
 


そうすると、なぜだろう。
因果関係は不明だけど、
あたしにはだいたい次の日辺りには
新しい出会いがやってくる。
それは《あたしという存在》によって
感動、感謝、愛を感じ、
彼らは生きる糧や力を思い出し、
あたしを褒めてくれて絶賛し何かを置いていってくれる。
置いていくのは物理的なものもそうだし、心地よさや快楽、あたしのしていることへの支援だったりするのだ。
 
 


 
そして新しく出会うひとたちは、
説明をしていないのにも関わらず、
あたしが世界のためにしている細やかな配慮や境界線の引き方、愛の伝え方のそれらを感じて、そのおかげでいま自分の中の力の存在を思い出したと伝えてくれる。

 


 
おもしろい。
毎度ながらおもしろい。
 
 


 
いまのところ、この連鎖は
アスペルガーのその人と2人で回すことがない。
アスペルガーのその人とは
全く持って合理的立ち位置や折衷点みたいなものを見つけられないままなのだ。
話し合いは決裂もしなければ合流もしない笑
 
 
 

 



しかしながら、
あたしの見える世界は晴れ、
あたしは自分のやってきたことへのある意味での対価を感じるような体験を経験する。

 
 
 


 
アスペルガーのその人たちとの交流は
自然界とのやりとりのよう。
もらったものに返すのではなく、
存在するなにかからもらい、
存在するこの世界の何かへ返す。







今日も読んでくださってありがとうございました😊