昨日は意図せずなにかを開けた日みたいで
過去世の追体験を何個も何個もしてしまった。

 


人柱をしていたとき、
火で燃やされたとき、
土に埋められたとき。
 
 



目に見えないものを発揮したときに、とても感謝されて受け入れられて、たくさんの人の命の糧を守っていたこと。
 
 


優しく守られていたこと。
 
 


だけど、自然を相手にすることは均衡のバランスを失っていることを軋む音のようなもので静かに感じていたこと。
 
 


 
誰かの妬みや策略、個人の利益のためにある日あたしは《民衆と対立しているもの》《民衆を脅かす脅威》とされ、殺されたこと。
 
  




なにがそうさせたかとするなら、それは誰か1人の思いというより《大衆》がそうさせたわけで、恨むことも出来ないな〜なんて思いながらも、なんであたしを売ったの?と、身近なものへの思いを抱きながらよく死んでいた。
だいたい売るのは血縁者だった。
 

 



いま、この身体を使っているあたしは自分を表現することに臆病になることはなく過ごしている。
だけど、神聖性とつながることを表現することに対してはとても過敏である。
 

 
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すぐ信じてすぐやってやってって言って
ある日殺すじゃん。
たやすく殺すじゃん。
助けてもらったといったその力をある日恐れて殺すじゃん。
あたしの話も聞かずに一方的に殺すじゃん。
死んでいくあたしの怖さは誰もみる気ないじゃん。
 
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死ぬことではなく、
不条理に殺されていく悲しみが
残念ながら
あたしの魂には刻まれている。
 
  



残念と思うのはうまく扱えてないことの意味で
正確には残念だとは思っていない。
 




 
過去世に引っ張られていまを生きてないわけじゃないけど、粒子のような粒であたしの身体にいるそれらが反応する感覚を前から知っていた。
 
 
 
 


昨日はある映像作品を鑑賞してる中で
輪廻の中のその分野の追体験をさまざまして、
はっきりとした景色も見えながら
思い出された。
 
 


 
人目をはばかることなく、あたしは大泣きをして、咽び泣いて見た。
ほぼ1時間ほぼ止めることなく大粒で溢れてくる涙をそのままにわんわんと泣いた。
 
 
 



単純に泣くって疲れる。
すごい体力を使う。
昨日は気を失うように寝た。
1日経って起きた体はまだ眠さを纏ってるけど、軽い。
 
 


 
あたしは人間の持つ、
一生の中の変化の多さや、いままでの正義が次の日には反転すること、浅はかさみたいなものを直すべきと見ていない。
とても可愛い点であると思っている。
だけど、魂に刻まれている中には、
人のいう言葉や応援は油断ならないし、この瞬間のことだと感じているところがある。
 
 


 

そこが今回は変わりそうだというのを少しだけ感じている。
閉じていたところに薄く光が見えてきている。
過去のパラダイムから学んだことではなく、いまを見て選択することをお勧めされているような。
 
 


 
何個もの世界線の中で覚えた感覚をすべて更新するには時間が必要で。
必要というより、あたしがあたしに時間を与えてあげたいと思っているんだけど、長く感じるものも始めたらいつか終えることができる。
 
 


 
昨日はそんな日だった。

 



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