おはようございます。
ひーちゃんです。
このブログの題名にもなり、
ここでもよく使う
ドリフトらいふという言葉。
この見慣れない言葉は、
あたしが縁もゆかりもないところに行っては、すぐさまそこの土地の人たちと関係性を作り、すぐさま仲良くなるということをこの数年繰り返していることから来た言葉です。
愛され力とも人たらし力とも言われる、あたしのこの現象。
それはいまも続いていて
コロナで大変な中、
見知らぬひとたちからのたくさんの優しさに
触れています。
ジョークじゃなくこれはあたしの才能のひとつなのかもしれない。
そんな風に思うので、時系列は前後するかも思うのですが、これも少しずつ投稿していこうと思います(^^)
今日は昨年起きたお話を。
●○●○●○
居酒屋でひとり
カウンターで夕ご飯を食べていたら、
となりのご夫婦さんが
1人一個ずつ頼んだおにぎりがでかくて、
あたしも驚いてたら、
半分いただけることに!!
店員さんにカウンター越しに聞いてみたら
おにぎりひとつで1.5膳ほどあるらしい。
みて!このおおきさ!笑
この時は
福岡から帰って来たけれど、中身は明太子。
こういう名残的なハッシュタグも多いのです。
そしてあたしのものをもらう能力の高いこと高いこと。
お隣のご夫婦さんはこの時、先に帰られたのだけども、こんな風に伝えてくださった。
たまたま横に座ったひと、そんな関係性ですら、優しさに触れられることは起き得るのだ。
●○●○●○
人にやさしくされるたびに、この世の真の世界を感じる。
たったその瞬間だけの関係、いま目の前にいる関係のひとからは、傷の引き金を引かれることはそうそう多くはない。
そうすると、ひとは優しくしやすいのかも知れない。
自分の中に癒しきれてない傷があるということは、優しく安全でない世界とのコンタクトが増えやすい。絶対そうだということではなく、要素として。
他人のことよりも最優先に自分の傷を癒す意味は、世界の平和と遠くなく直結しているとあたしは感じています。
いつだって《いまここ》を見る、それは嬉しさや喜びだけを見るということではなく、忘れてしまった過去の自分の傷との再会をするということでもあると思います。
あたしたちは気づいてはそれを癒す。
淡々と粛々と。
それが最短のルートであり、自分への最高の愛だとも思ったりします。
とっても地味なんだけどね。
地味な愛をひたすら自分に与えることで、満ち満ちた日々が生まれるとさえ思います。
そんなことをね、感じさせてくれる、
ドリフトらいふでありました。
本日も読んでいただきありがとうございます😊
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