結局、自宅にいても落ち着かないので僕は喫茶店に行った。

近所にあるチェーン店の喫茶店だ。

僕がアメリカンコーヒーを注文すると店員は素敵な笑顔で注文に答えた。

こんな素敵な笑顔を朝からできる人はきっと幸せなんだろう。

いや、もしかしたら彼女も彼氏に振られたばかりかもしれない。

でも仕事(アルバイトかもしれない)を休むことはできないから、なんとかしてやっと職場にたどりつき、無理をしてこうやって笑顔を作っているのかもしれない。

などと僕はどうでもいい妄想をしていた。

僕はその素敵な笑顔をしてくれた店員からコーヒーを受け取って席につき読書をした。

僕が美味しいと思うコーヒーは薄くて不味い。

それでも僕にとっては美味しい。

一般的に僕の好むコーヒーは不味いと言われる。

 

何年か前に友人とグアム旅行をした。

僕らが宿泊したホテルのコーヒーがとても美味しかった。

コーヒースタンドみたいな店でホテルのサブの入り口にあった。

毎朝そこに行ってコーヒーを注文した。

僕が毎日嬉しそうにコーヒーを注文するので、友人は「そんなに美味しいのか」と聞いてきた。

「とても美味しい」と答えた。

普通にコーヒーを注文すれば僕好みのコーヒーが出された。

友人は僕の注文したコーヒーを数口飲んでみたが、眉間に皺を寄せていたから不味かったのだろう。

表情で分かったので感想は聞かなかった。

友人はカフェに入るとエスプレッソをいつも注文していた。

ストロングな味が好きなようだ。

そうなると僕好みのコーヒーはひどく不味いだろう。

 

僕は喫茶店で暫く読書をした。

僕の読んでいる本はM氏の本だ。

僕はM氏の書く本が大好きだ。

彼の本を読んでいるととても集中できる。

大学生の時にM氏の本を初めて読んで、なんだかとても気に入った。

僕の中にすっと入ってきて何かを残していった。

「安定」と言えば「安定」。

でも「変化がない」とかそう言ったものでもない。

ちゃんと「スリル」というか「不安定」要素もある。

今ではバイブルみたいになっている。

僕は小さい頃から本を読まなかった。

どちらかというと、外に出て川の中や林の中を探検したりする方が好きだった。

彼の本に巡り合わなかったら、僕はこの先、本を読まない人生を歩んでいただろう。

恥ずかしい話なのだけれど、それまでの僕にとって読書は正直、苦痛以外の何物でもなかった。

僕とは反対に彼女は読書家だった。

彼女はドイツ文学が好きでヘッセの本を好んで読んでいた。

しかし、彼女の一番好きな本はトルストイの『人生論』だった。

 

M氏の本をきりのよいところまで読み僕は喫茶店を出た。

その足で彼女と彼女の子どもと一緒に歩いた道を僕は一人でたどった。

一緒に遊んだ公園、シーソーの上で子どもはオリンピック選手の真似をする。

彼女は木陰で石のベンチに座り涼んでいる。

僕の目の前に今でもはっきり、くっきりとその情景がそこにあるかのように甦る。

去年の夏の頃だ。

サーモンピンクに細いプリーツがかかっているロングスカート、白いフレンチスリーブのリブTシャツを着て、真夏でもとても涼しげだった。

黒髪のロングで僅かにうねっているその髪を、襟足で一つにまとめている。

暑い暑いと汗をかいてはいたが、白い首筋に沿って滴っている汗さえも僕は美しいと感じた。

首には華奢なネックレスに一粒の石が光っていた。

ピンクゴールドのネックレスが彼女の白い肌にとても似合っていた。

僕が彼女に買ってあげたネックレスだ。

そんなことを思い出すと僕はとたんに寂しくなった。

道ですれ違う恋人たちや親子を見ると寂しさはより一層大きくなった。