ひとは自分の内面の地図を通して
外部の世界を認識しています
たとえば、一般的に
仲良し~♪って感じになれるのは
その世界観または価値観が似ているひととも言えます
普通は○○だ、とか
常識的に△△だ、とか
きっとあのひとも☆☆に違いない、という
それです
けれど、同じひとは一人としていません
一人ひとりが違う人間です
なのに、相手のことを分かった気になっています
分かってる!と確信していることすらあるのです
家族や恋人、親しい友人であればなおさら。。。
わたしはまたやってしまいました。。。
相手を知ってる、分かってる
すると、その思い込みのもと行動するので
”許されている”と勘違いするのです
相手もわたしを知っているし
きっと分かってくれるだろうと
それは甘えとなり
礼節が保てなくなります
以前も、友人のフェイスブックやブログで
彼女を切り取った一部をみて、彼女のすべてだと思い込んだことがありました
”ひとのことは分からない”
この大前提を忘れては、コミュニケーションは崩れてしまいます
分からないからこそ
相手に興味を持ち
相手に寄り添い
相手の立場に立って
物事を見る、聞く、感じることをする必要があるのだと
はぁ。。。
今日も厳しい(笑)フィードバックに感謝です
ありがとうございます