島根で生活が始まることを御報告させていただこうと出雲大社に行かせていただきました。

出雲大社に足を踏み入れたとき、すごく私に入ってきてほしくないような感覚がありました。この感覚はなんだろうと思いながらも本殿へと足を進ませました。ずーんと身体に負荷がかかると感じた瞬間、私の感覚は勝手に身体から殺気なような状態になり、ずっと気を緩めずにいる緊張状態の中で御挨拶をさせていただき、その後すぐに出雲大社から離れることにしました。

何回か行かせていただきますがこの殺気のような感覚は出雲大社でしかありません。

 

 出雲市での生活も順調に過ごしていたある日、野球部の守備練習で私は選手達にボールを打っていました。

すると突然私の中の感覚が{やばい、意識が飛ぶ}と感じたのです。とっさに打っているのを変わっていただき、学校の敷地で倒れてしまったら学校に迷惑がかかってしまうと思い、車に乗り込み車を走らせました。校門をでたところから記憶はなく、気がついたときには数メートル先の路肩で停車していました。知人の方が迎えにきて家まで送ってくださり、家に着いてふと足が気になり見てみると、足首からつま先まで真紫色になっていました。すぐ病院に連絡をとり救急車で搬送され、即入院となりました。

色々な検査をしていただきましたが原因は分からずそのまま退院、再び意識が無くなりまた入院を繰り返す日々。少しだけてんかんの可能性があると言われ、私の地元である関東方にてんかん専門の病院を紹介していただき、地元に帰ってそこの病院で検査入院することになりました。入院後1週間ほどは、隔離された部屋で24時間脳波の機械を頭につけ、部屋のカメラで観察されながら生活をしていました。その生活の中でも頻繁に意識がなくなることがあり、カメラの映像や看護師の方の目視確認があったり、そんな日々を過ごしておりました。ある日診察室に私と家族が先生に呼ばれ、この数日間のカメラ映像を見ながら説明をしていただくことになりました。父も母も私が意識がなくなっている姿を初めて見たので、辛い表情で映像を見ながら先生の説明に耳を傾けておりました。診断結果は脳も脳波も心臓もどこにも異常が見つからないということでした。私はこの先どうなっていくのかそんなことを考えながら過ごし、退院の日を迎えることとなりました。

 

 そんな日々の中、意識が無くなっているときに見ているのか、、その映像を記憶しています。

その記憶というのが富士山を見下ろせるくらいの高い山道を私は歩いて登っており、その山道を大勢の人々も別々ですが色々な組になり歩いて登っています。少しいくと通行出来ないように人の形で顔は白い布で覆っている方達が人々を止めています。

通行止めになっているので立ち止まっているとその覆ってる方達が私の手を引っ張りその通行止めになっているところを越えて先へと登って行くのです、、、、、こんな記憶がいつも私の中にあるのです。

 

そこからか私は、現実で人とすれ違ったり、話をしていると急に映像が出てきて脳で見てる感覚と言えばいいのでしょうか、、、そんなことが起こり始めました。ある日、私は車の助手席に乗って移動しているとお侍みたいな格好の方が後部座席に乗ってくる映像が出てきました。乗ってきたその方が私に見せる映像は三角の石のお墓というのか分かりませんが、その持ち主?という表現がいいのか、、、、そこが草や土に覆われていてここを探してほしいという映像でして、私の私がその方から聞いて私に映像を出しているのです。   ・説明が分かりにくいのはすいません。。

そこは一度も行ったこともない場所にもかかわらず、何故か向かえるのです、、、そして50分くらい車を走らせてもらいその周辺にたどり着いてしまったのです、、、本当に何故なのか当時の私はもちろん理解出来ませんでした。その後も車から降り歩いていると、その住宅街の中にある蔵の裏だと分かってしまうのです。蔵の後ろにいくと映像で見た場所でした。少し歩いたところの土を手で掘ってみると土の中から三角の墓石なのかな、出てきました。急いで近くのコンビニへ行きお水・お酒・お塩・お米を買って戻り、綺麗に拭いてお供えさせていただきました。

敷地の方に一言声をかけたほうがいいのか悩んでいましたが、迷惑がかかるかも、変な人と思われるんではないかと考えてしまい帰ることにしました、、、このような体験がこれからもたくさん起きていくのでした。    続く

 

 

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琥珀