本日の朝散歩。

 

自宅から赤城山が綺麗に見えました。

少しずつですが、確実に秋は近づいている様です。

 

 

此方は妙義山。

月も綺麗でした。

 

 

そして、こっちが浅間山。

 

 

ズームインしてみると・・・

先日の雨の影響でしょうか?

凄い蒸気ですね。

噴火だけは勘弁して下さい。

本日も、暑くなりそうです。

 

 

あの日も、8月の暑い日でした。

 

少し帰宅が遅くなっていた。

部活動を終えて、

急いで自転車を走らせる中学生がいた。

時刻は19:00

 

坂道の下りで、南側の山々を一望。

南西方向の入道雲が異様に紅い!

夕日に照らされているからなのか?

そんな事を考えて帰宅した。

 

 

何気ない夏休み中の日常だった。

中学生が帰るとお風呂が沸いていて、

何時もの様に汗を流す。

 

 

お風呂から出て夕食。

TVを付けると・・・

そこは、日常では無くなっていた。

 

 

 

そんな事を考えながら、

車を南に走らせた本日。

 

こんにゃく畑。

群馬の名産ですね。

 

 

更に車を走らせ。

 

 

南牧村。

ここで、昼食のお弁当を購入しまして。

 

 

トンネルに入り上野村へGO!

このトンネルは狭くて、自転車だと怖いんです。

自転車の時は、この上にある旧道を走る様にしてますが・・・

そっちは熊が怖い!

(2012年に遭遇してしまいました)

 

 

上野村に入り。

 

 

道が、どんどん狭くなります。

 

 

到着です。

麓の上野村から13kmも登りました!

でも、此方は昔の登山口。

 

 

現在は、此方が登山口の様です。

 

 

そう、本日向かった先は・・・

上野村の御巣鷹の尾根です。

登山口には杖が用意されています。

 

先出の中学生は、

31年前のパパの鮮明な記憶です。

1985年の8月12日、

日航ジャンボ機が消息を絶った18:56

 

 

墜落地点上空の入道雲を見ていたパパ。

あの紅い雲はもしや・・・

と、思った事も有りましたが、

それは、ただ夕日に照らされていただけ。

(そう思う事にしています)

 

 

10年くらい前からでしょうか?

毎年、この時期になると、

あの時の雲が、非常に気になっていました。

当初は・・・

「この場所は遺族の為の神聖な場所、

関係の無い人は、行くべきでないと考えていました。」

 

 

そんな思いもあって、

この時期には、麓の慰霊の園へ自転車で訪れていました。

 

 

ただ中学生ながら、大きな衝撃を覚えたあの事故。

今回は意を決しまして、物見遊山に成らぬ様、

訪れてみる事にしました。

 

 

綺麗な渓流が続きます。

 

 

 

ちょっと写真がブレてしまいました。

登山口から100m程でしょうか・・・

ママがこの献花を見て、泣き出してしまいまして、

歩けなくなり、車に戻る事にしました。

無理もありません。

気温は21℃ですが、爽やかさを全く感じません。

逆に、重苦しささえ感じます。

 

 

遺族有志の思いが綴られていました。

「あなた やってきましたよ きこえますか 見えますか

あなたと話したい あなた 言いたいことは・・・」

 

「さよならも 言えずに 旅立ったあなたたち やすらかに

永遠の 祈りをささげます」

 

この先、進もうか迷います・・・

 

沢を進んでみますと・・・

すげの沢の奥に辿り着きます。

4名の生存者は、ここで救出されたそうです。

 

ここから、多数の墓標が立っています。

 

夏休み中です。

家族であろう墓標も目立ちまして・・・

長女との会話もぎこちない。

「ここ足元が悪いよ・・・」位の会話・・・

非常に胸が苦しくなります。

 

 

急斜面、九十九折りの登山道を進みまして・・・

視界が開けて来ます。

分りますでしょうか?

手前の山、U字の溝があります。

あれは、垂直になった機体の左主翼が、

山肌をえぐった後だそうです。

 

 

昇魂之碑

当時、尽力された上野村村長の書と刻んでありました。

写真の右手のメッセージは、読むのが辛いです。

 

 

観音様

隣の碑には、犠牲者520名の名前が刻まれています。

 

 

慰霊小屋

お焼香をさせて頂きました。

(お線香は、直前で持って行くのを忘れてしまいましたが、

用意されていました)

 

 

そして、コックピット・クルーの方々の碑。

事故から大分経ちまして、ボイスレコーダーが公開されました。

あの絶望的な状況下で、自らをも鼓舞する対応は、

なんと凄い精神力なのでしょうか。

あの時の対応が、4名の乗客を救ったのでしょう。

この場所に来られてた、老夫婦としばしお話しをしました。

なんでも、友人の慰霊に来られたとの事です。

 

 

私は、遺族ではないのに来た事を伝えると、

大変喜んで下さり、私の心の中に有った

引っ掛かる様な物が払拭された思いでした。

 

 

この辺で、雲が低く立ち込めて、

天気が崩れそうなので下山しましたが、

数々の墓標を見て、多くの夢や希望を持った人達が、

たった一つの事故で、一瞬にして亡くなる事の

怖さを感しました。

 

 

パパも長女も、水分を持って登りましたが、

一切を口にする事なく、歩き続けていました。

2時間も山を歩き、時刻は13:00になろうと言うのに、

その辺の感覚は、完全に麻痺していた様です。

そして、あの場所にしか無い衝撃がありました。

 

 

今現在、安い運賃が売りの航空会社もありますが、

空の安全は、現在どうなんでしょうか?

安全の「安」は「安価」でなくて「安心」でないと・・・

 

空だけでなく、電車もそうだし・・・

記憶に新しい所では、高速バスもそうです。

 

そんな事を考えて帰路につきました。

 

※本日は琥珀も連れて行きましたが、

ママと一緒に車で留守番をしてました。

登山を終えて、それは正解だったと感じました。

ママが具合が悪くなったのも、琥珀を連れて行った事を

叱られたんだと思います。

 

亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

 

近くて遠い山でした。

 

おしまい。

 


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