本日の朝散歩。

 

今朝は長女も起きられたみたい。

 

 

徐々にですが、日も短くなってるんですよね。

駐立をちょっとだけ。

 

顔を真っ黒にして遊んでます。

野焼きをした所に、顔を突っ込んだみたい。

 

もう直ぐ家です。

早く帰って、ご飯にしましょ!

 

本日のログ

 

 


ここからは、個人の偏見と突っ込み所満載ですので、
適当に流がして下さい。

 

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8月に我が家は、キャンプに行きます。

 

ここからは、その時に釣りでもして、

焚火の前で、ゆっくりと話し合ってみたいと思ってます。
(ブログに書いておけばカンペになるしね)

 


むか~し、むかしのその昔。
聖徳太子が日本で仏教を説いていた頃、
天皇中心の政治を目指して稲作を推奨し、
管理と保管に都合のよい、お米を納めさせる事で
統治していました。

 

 

そして、その時代は次第に、
「狩猟をしている暇があったらお米を作れ!」
と変わって行たのでしょう。

 

 

当時の仏教の教えと合わせて、
狩猟=悪しき事、野蛮な事。

さらに、穀物を食べ肉は食べるな。
仏教の教えと共に、精進料理は発展していく。

 


こんな考えが、日本に広がり一種の洗脳の様な物で、
日本人は農耕民族になって行ったのかな?

 

当然、その考えからは狩猟者に対する差別も
有ったのではと推測します。

 

その後、明治時代が訪れ。

日本人も肉を良く食べる様になりますが、
狩猟=悪しき事との考えは、現代の日本にも少なからず
残っているのかと思われます。

 

パパは子供の頃、言われましたよ。

「無益な殺生をするな」なんてね。

 

そして、最近では、

狩猟女子が猟奇的とブログが炎上したり。
(この方は、自分の食べる必要な分を狩猟で捕っている)


でもパパは狩猟を、良いとも、悪い事とも考えていません。
それは、狩猟者次第なのかと思います。


パパは、狩猟はしないが狩漁はする。

 

よく「魚の強い引きが楽しめる!」

と言ってパパも喜んでますけど、これも人間の

狩猟本能の一部かと・・・


命を奪って頂く事に、

鉄砲も釣り竿にも差が無いかと思います。
(北海道犬の獣猟競技も、人間の狩猟本能かな?)

 

そして、「狩猟者次第かな?」と言うのは。
鉄砲で撃った獲物を、どう頂くか?
だと思っています。


狩った獲物を、山から一生懸命下ろして、

全てを頂く狩猟者。
方や、獲物を捕え自分が食べたい部位だけを切り取って、
残りは放置する狩猟者。

 

やっぱり、自分で殺めた命だったら、
その命に感謝し、自分が生きる為の命であったのだと、
全てを頂戴して、無駄にはしないでと思っています。

 

パパは、釣った魚を綺麗に美味しく頂きます。
猪を捕ったとしても、全てを綺麗に頂ける自信が無いので、
狩猟はしません。


我が家の長男(22)、長女(20)は、もう子供じゃないし、

狩猟をどう思うか?
スーパーで買ったお肉と何が違うのか?

(「衛生管理が違う!」なんて返答を期待してますが)


どんな答えが返って来るか、楽しみですね。
自分の中で、確たる意見があれば良いと思ってます。


そして、「いただきます」と「ごちそうさま」を
しっかり理解して言える大人に成って欲しいと思います。


この夏で、パパの育児は終わります。
(勝手に終了宣言)

 

読んで下さった方、長々とすみません。

 

おしまい

 


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