つづき〜

↑の記事に書いた、

「見えてはいけない」ビリーフ。


これは「飛び出さないようにふつーーーを目指す」ってもの。


余談だけど、上手くはできてなかったみたいだがね。うまく溶け込めなかった。悪目立ちして。ま技術がなかったってことだな。。



そう。子供の頃から「ふつーーーーー」に憧れて、目指してた。

それは、家族が変わってるから普通に憧れたとかそーいうのかと思ってたけど,この「目立たないように」って活動の一環もあるかもな,て。


溶け込みに成功しなかったから,気付きにくかったけどーニコニコ






でま12歳の頃に、


自分のというか人間の権利のことを知ったり、


加藤諦三ショックにより親に抑圧され親に迎合してたことを自覚、そしてホントは自分の意思や嗜好を持ってもいいって知ったりして、


地味強制を跳ね除けようとし始めたわけさねー。



派手とか気にしないで好みの着たい服を着る。

好きな歌を聴く。

自分の考えで行動する。

行動してはいけない、て枷をはずす。




だが!⚡️



この時,抑圧から解放されたわけじゃなかったのだ。なんとなくは気付いてたけど。


それまでの目立っちゃダメビリーフの上から目立っていいよビリーフ(?)を被せただけで、


インナーの「目立ってはいけない」は消えてはなかったのだ。



その頃から2つが併存し始めたってこと。


「目立つな・溶け込め指令」➡︎命名「優等生」

「自由にやれ抑圧はね返せ指令」➡︎命名「ナイフ」



名付け元はこのメドレー


ちっちゃな頃から優等生

気付いたら大人になってた

ナイフのような思考回路持ち合わせるわけもなく


ナイフみたいに尖っては

触るものみな傷つけた


Ado「うっせぇわ」が人気出た当時、チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」の“もじり”かって言われてたよねー




そんなわけで


「優等生」と「ナイフ」が同時発令。

せめぎ合いの何十年間だったってわけだ無気力




特に20代後半から「空気を読む」という、それまで私の中になかった概念を知ってからは,抑えつけられてた「優等生」が強烈に頭をもたげてきたようで。



だからかー、その頃からめっっぽう生きづらくなったの。納得いきすぎる。



もちろん反発する「ナイフ」も不自然なものではあり、もちろん本当の自由じゃない。「優等生」と表裏一体なもの。「優等生」あってこその存在だから。



ただ、反発してるだけならまだ単純で楽だった。

しかし「優等生」つまり「飛び出すな、溶け込め」が再び出てきたことで相反する2つの指令が出されるようになったのだ。

(もともと2つあったけど、10代〜20代は「優等生」が結構表面的には抑えつけられてたから)




激しい矛盾だ。

葛藤が生まれる。

ジレンマがすぎる。



そりゃ〜、

機能性胃腸症にもなるし

セロトニン足りなくなるし

カウンセリング受けたりするし

無一文(正確にはマイナス)にもなるし

無職にもなるし


って人生積むわな〜っ魂が抜ける


納得いきすぎ。


そんなんハードボイルド・オフロードすぎるわ。




で。

「統制」とか、優等生的正論みたいの、特に日本企業に未だ染み付いてる「滅私奉公」「五人組」的なんとかに嫌悪感抱くのも,


目立つな・溶け込めの「優等生」指令に辟易してる自分が反応して,


できてないことを責められてる感覚になるってことー。



指令が強ければ強いほど,できてなかったらやばいって緊迫感が増して、ちょっとした「ちゃんとやってよね!」みたいのでもすーごくプレッシャーに感じるんだろうな。



もちろん、

幼少期の環境への莫大な怒りを抱えてる「ナイフ勢」が現在の状況を子供の頃とリンクさせて、それで嫌悪感が湧くってのもあるが。



しかし

「ナイフ」の方が優勢な頃なら、

知らんわ〜ニコニコ

っててわきたけど。「目立つな溶け込め」は悪、て信じて疑わなかったから。


でもこっちのある意味優等生的な「目立つな溶け込め」が盛り返してきたらほんと危なくなる。




子供の頃みたいに「認めないながらも諦めて奴隷になる」ってこともできない。言いなりになっちゃダメだって指令も出てるわけだから。


と言って若い頃みたいに「わりー奴でけっこう」みたくもなれない。目立つな溶け込め指令があるから。




もう忙しいな〜こらもう大変ネガティブ驚きオエー



子供の頃みたいに負けられれば,絶望はするけど葛藤は起こらないのでその分安定はしてられる。

もちろん超絶クソな事態ではあるけどね、そっちも。





あーー

そうかぁ〜っ

そーだったんか


生きづらさの原因がはっきりして、すっきりするよー。




この推論のポイントは,


親やら養育環境の悪さによって受けた抑圧や、自分内に発生してしまった自己否定感などによる生きづらさ、


だけじゃなくて、



プラス


それを跳ね除けようとして対抗ビリーフを作り上げて自分内にねじれや矛盾が生じてしまったことによる生きづらさ



っていう発見だな。



良かれと思ってやったことが更なる拗らせを呼んだという。






次回は、この葛藤状態からどうやって抜け出したかを書く予定指差し


それは来年になるかもー

年越しは遊ぶからねーニコニコ


それでは良いお年を




※姉からの抑圧の記事の続きなのにタイトルが「親の〜」ってなってるのは、その方が分かりやすいからと、姉の暴走を放置した親の責任はでかいからです