今日、ひさびさにこの歌がテレビで流れてきました~
有村架純さん出演の東芝のCMでした。
(今頃!?いやあんまテレビ見ないからさおねがい💧)






不意に流れてくると新鮮さ100倍なのって本当不思議爆笑




で。歌詞。






この歌は人生どん底の時に心のよすがとして共に過ごした歌なので思い出深いのですが!

どん底の頃は中二病も最盛期だったので、一番好きだった部分は2番のBメロ


世間という悪魔に
惑わされないで
自分だけが決めた答えを
思い出して


ってとこたった。
今は、ホントの意味でこの詞みたいこと実行するのは難しすぎて逆によそ事のように感じるのだが。


あとその当時は、1番の同じくBメロ


方法という悪魔に
とりつかれないで
目的という大事なものを
思い出して


てとこも好きで。
「人とうまくやるってのは、スムーズに生きていくための『方法』だから。それが目的じゃないから!」
って自分に言い聞かせたりして。



あとは、その後ポジティブな理由で仕事をやめる時は…最後の2連続サビの1回目、溜めから解放へのブリッジ部分である


街を抜け海に出たら
次はどこを目指そうか
僕らはまた出掛けよう
愛しいこの世界を


ってとこに感じ入ったりした。

メンへラメルヘンなやつだのー







そんでこっから先はやべぇぼっち対応解釈!…↓↓



まずこの歌そのものが、ストーリー仕立てになってるようなんです。


二人の人がなんかあって離ればなれになって、相手を思いつつ孤独にさまよってーの…再会?(仲直り?)してパワーと希望みなぎる!という?多分…(^-^;



その内容に関わるところで気に入ったところ抜粋↓


あの日から僕らは一人で海を目指す
約束のあの場所で必ずまた会おうと

〈中略〉

煌めきのような人生の中で
君に出会えて僕は本当によかった




これ、どーぼっち解釈するかってゆーと、
『君』を自分自身と解釈するんです!



はぐれてしまったのは“もう一人の自分”
なんです!



自分が二つに分かれてしまってたんです。


そうせざるを得なかったのかな?


“足手まとい”と判断した自分の側面をあえて切り捨てたのか??




でも、一度は分裂してしまった自分が再び出会って今統合する!!


それは、切り捨てていた自分のB面と向かい合い「ソレ」を受け入れる瞬間。
自分との仲直り。

これ以上の心の安定感はないよ


だから、

「怖いものなんてない」し、
「怖くても大丈夫」って思える。



君に出会えて
僕は本当によかった

は、

僕は僕として生まれてきて
本当によかった



もっと言うと


生まれてきて
よかった。





このシリーズ前回に書いた長渕剛さんの

「もっと俺は俺でありますように」
「俺は俺であり続けたい」

とも通ずるものを(勝手に)感じます。











なーんていう、もう一つのストーリーを、
もうそうした次第!!


 




これは完全なるもーそーです。
絶対に、作詞者たちにそういう意図はないと思います。