読書記録

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ノンフィクションの読書記録(書評)

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『これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝』赤塚不二夫(文春文庫)

 

漫画家赤塚不二夫の自叙伝。

満州に生まれ育ち、戦後は母の故郷である奈良県大和郡山に引揚げてきた。

数年後シベリアに抑留されていた父が生還し、父の故郷新潟に移る。

中学を卒業後は新潟で看板屋に就職、その後19歳で上京する。

幼いころから絵が好きで、はやい段階から明確に漫画家を志していた。

上京後まもなくして、見切り発車的に漫画家として独立する…。

 

私がもっとも興味を持って読んだのは、満州での生活、敗戦、引揚に関する思い出である。

また奈良の田舎町で、「引揚者」がどのように見られていたのかという話も、分量としてはごくわずかだが、私には貴重な証言だった。

奈良の子ども時代の遊び、いたずらの話は、もちろん赤塚の個人的な体験談だが、その時代の様子が伝わってきて、これもおもしろかった。

 

本の内容とは関係ないが、この本を赤塚不二夫自身が書いたのか、それともゴーストライターが介在しているのか、私は気になった。

もし赤塚自身が書いたのだとすれば、あのハチャメチャなギャグ漫画の天才は、実は文章も非常に巧みであったということになる。

 

 

 

 

 

『我、拗ね者として生涯を閉ず』本田靖春(講談社)

 

2004年に他界した著名なジャーナリスト/ノンフィクション作家の自伝。

600ページ近い分厚い一冊だ。

 

本田の著作はいくつか読んだことがある。

たとえば金嬉老事件をあつかった『私戦』は、金嬉老に寄り添った視点から事件を描いた力作で、大変印象深かった。

 

本田は自らを「拗(す)ね者」と表現している。

読売新聞社会部のエース記者であったにもかかわらず、30代で読売を去る。

独立後は『文芸春秋』で厚遇されたにもかかわらず、袂を分かつ。

たしかに、拗ね者、ひねくれ者だったといえるかも知れない。

 

なぜそのような苦労する道をわざわざ選んだのか。

この本はその拗ね者が心の内を語った、〝気骨の物語〟である。

そしてたとえば金嬉老に寄り添おうとした本田の思いを、私はあらためて感じることができた。

『私の過ぎ去った日々』菅野和子(文芸社)

 

戦後の引揚、あるいは引揚者に対する関心から読んだ本。

 

著者は1932(昭和7)年、青島生まれで、1946(昭和21)年に両親の出身地である福島に引揚げてきた。

 

引揚船は米軍のLSTで、佐世保に入港。

食事は真っ黒い麦とコーリャンの入ったごはんだったという。

DDTの白い粉を全身にかけられたこと、引揚寮では都道府県別に部屋割りされたこと、生まれてはじめてミカンを食べたことなどが記されている。

 

佐世保からは引揚列車で東京へむかう。

混雑した車内では、盗難やケンカなどがあちこちであった。

 

元銀行員だった父親は、福島に落ち着いてからはリンゴの行商をして家族を支えた。

母親は、「引揚者だからね、笑われないように、後ろ指を指されないように頑張ろうね」といつも著者に語っていたという。

 

(この本は著者の自分史であり、引揚だけがテーマではないので、もし購入される場合はご注意ください)