前に私が書いた論文を載せようと思います!
ブログにしてはちょっと長いですが短めの論文でなかなかユニークな内容になっているのでよかったら読んでみてください!





「原子と地球と私たち」

この地球は全て原子で出来ています。あなたには原子が見えますか?私にはいつも原子が見えています。学説的には原子は人間の肉眼では見えないとされていますが、私の目には粒がはっきりと見えます。それはなぜでしょう?それには人間の持つ能力というものが関わってきます。人間の持つ能力で大切なもの、それは脳によって考える力のことだと思いますか?それは違います。人間の持つ能力で本当に大切なもの、それは五感と第六感なのです。五感の一つの視覚を鍛えれば原子を見ることは可能と言えます。人間も結局は原子からできています。原子は私から言わせれば生物です。つまり、あなたの体もこの地球もあなたが使っている物たちも全て生物である原子からできているのです。

あなたはテレパシーという能力を知っていますか?言葉を口から音として発しなくとも、頭で考えるだけでそれが誰かに伝わるそんな現象・能力をテレパシーと言うと私は解釈しています。テレパシーを人間が使うことは可能だとあなたは考えますか?私は可能だと思っています。なぜ、そんなことが可能なのでしょうか?それについては「電子のふるまい」というものが証明されたダブルスリット実験によって説明が可能です。電子には人間の意識を読み取る力があります。それによっていくらでも自分のふるまいを変えることができるのです。つまり、電子も意識を持つ生物なのです。私の認識では電子も原子も同じ粒であり生物です。もしかしたら原子にも電子にも私たちと同じように感情や性格もあるかもしれないですね。あなたは人間の神経の仕組みを知っていますか?神経の伝達というものは電気信号によって行われています。つまり電子の能力によって人間は考えたり感じたりすることが可能になっているとも言えるのです。私たちの体の中で電子たちは私たちの想像以上に重要な役割を果たしているのです。電子が存在しなければきっと私たちに考えるという力は存在しないのです。そうすると、人間の体の中と人間の体の外の電子たち同士の意思の疎通によってテレパシーという現象・能力は起こりうる可能なものだということがわかりますね。

ここでスピリチュアルや霊的な現象について考えてみましょう。あなたはそういった今の時点では非現実的とされているものを信じますか?私は信じます。人は死ぬとその肉体は原子に戻りますね。それが一般的に「死」とされているものです。人間は物理的に肉体という姿を持って生まれ、それが最終的に老いてまた原子に戻る、それが人の一生というものだと私は考えています。そう、私たちは実は不老不死のようなものなのです。原子が循環している、それだけのことなのです。それが地球上の生物の仕組みというものなのです。地球が誕生してからのこの長い歴史で地球は原子の循環を繰り返しているだけなのです。原子に意思があるとすれば、霊的とされている現象は起こりうると思いませんか?例えば100年前に死んだ誰かが、原子に戻り散らばっていたとして、原子の意思でその粒のいくつかが集結したら幽霊のような姿になってあなたの前に現れるかもしれないと思いませんか?私はここまでの話をふまえるとそういった現象が起きても全く不思議ではないとそう思います。そう、原子によって非現実的とされてきた霊的な現象さえも説明が出来てしまうのです。

私たちは五感で感じ取れる姿形や発する音、触感などによって生物や物を区別しています。ということは動植物も人間も物も結局は同じ原子で出来ていて見た目などが異なっているだけの存在と言えますね。よって、人間が人間というだけで優越感を感じている今の地球の現状や人間たちの認識は間違っていると言えます。

ここで、地球環境問題について考えてみましょう。なぜ資源を節約して使わなければいけないと思いますか?これまでは今私たちが使っている資源は有限だからというふうに考えられてきました。しかし、その他にも生物である原子のエネルギーが消耗されてしまうからという理由もあると私は思います。地球には液体、固体、気体の姿をした様々な原子が存在し、それを私たちは使っています。私たちが普段食べている食事も原子から成り立っています。原子の活躍なしでは成り立たない地球という場所で、私たちはもっと原子という存在について考え、彼らを気遣い尊重する必要性があるのです。原子が疲れたり、怒ったりして機嫌を損ねたら、地震が起こったり地球が爆発したりして人間をはじめとした生物たちは一気に絶滅してしまう可能性だってあるのです。私たちはこれから原子という存在に対しての配慮が必要と言えます。

今までの日本での原子力に依存した電力システムについて考えてみましょう。私から見るとこのシステムは原子に対して失礼です。事故が起きる可能性があるのに原子を使って発電することを原子は望んでると思いますか?そして、原子は人間のためだけの存在ですか?原子力発電は原子を酷使しすぎです。原子一粒は私たち人間一個人と変わらないのです。東北であのような事故が起きてしまったのに、なぜ人々はまだ原子力を使って電力と経済効果を生み出そうと考えるのでしょうか?それは人間という生き物が未熟でなかなか学習しない馬鹿な生物だからです。人間だってサルなどの霊長類と実は同等の存在であり、まだまだこれから進化していくであろう原子で出来ているというだけの存在だからです。きっとこの地球で電気(明るさ、光)というものを意図的に生み出そうと思ったら原子力発電の他にいくらでも方法はあるはずです。昔のように火を利用したって人間は暮らしていけるのですからね。

人間にとって五感が重要なのは、まず原子で成り立っているこの世界を目で見ることができ、音という情報を耳で感じ取ることができ、原子の持つ性格みたいなものである匂いを鼻で感じ取ることができ、触るという行為によって今原子がどのような状態でいるかを感じることができ、食べ物を食べる時にこれもまた原子の性格や調合の結果のようなものである味というものを舌で感じ取ることができるからです。つまり私たちは五感によって自分のふるまいを決め、生きていくことができるのです。五感で原子とコミュニケーションを取り、第六感によって心というものが生まれ感情というものが発生しているというのが私の考え方です。五感を鍛えることによってあなたにも原子とコミュニケーションを取るスキルが身につき磨かれる可能性だってあるのです。

ここまで読んで、みなさんは今この地球で問題になっていることの答えや解決策は意外と簡単に考えられるということがわかりましたか?この地球では生物の最小単位である原子という存在が大きな役目を担っているのです。人間は細胞から成り立っているとされていますが、私から言わせれば地球という存在も人間もその他の全てのものがみな原子から成り立っているのです。原子という存在を生物として捉え、意思も持っているかもしれないという想像力を働かせ、様々な生物や物を見た目などで区別はしても差別はせず、人間はけして優越感を感じず驕らず地球のこれからを考えていく必要があるでしょう。私の話はここまでです。みなさんも原子と仲の良い友達になれるといいですね。あなたがけして調子にのらずに彼らに語りかければ原子や電子はもしかしたらあなたの思いを感じ取って、そのふるまいを変えてくれるかもしれません。