twitterに、ちょこっと感想を↓
「よしもとオフオフ「視野、シーン、映る風景」。コミカルな演出だけど、ベースにディスコミュニケーションと思春期以降の空白がある。なのでこのヘヴィーな状況がどう昇華されるのか息を殺して待つ僕みたいな客もいれば、同じシーンで笑う客もいる。笑う客とは友だちになれない。 」こと
あらためてブログで長々と書いてみます。
ざっくり言うと、主人公 ・小澤花のリスタートの物語です。
彼女の台詞にもある通り、父親の影響でカメラマンへの道に進んだものの、父に自分の写真を撮ってもらった記憶がありません。
おそらくは、あまりに自分に正直過ぎるために父親に受け入れられなかったのでしょう。もしかしたら花が撮った写真で、その才能に嫉妬した可能性がないでもありません。
許容されない生い立ちゆえか、彼女自身のカメラセンスは周囲から評価されていても自信を持てずにいます。
登場する二組の家族。
男の子として育てられてしまった思春期の女の子が、自分を認めろと迫るも、父親が女の子という現実を頑なに拒む広重一家。
もうひと組は子どもが産まれる直前の幸せいっぱいの吉田夫婦。
彼らは花の両親の投影。
ラストで父親が写した花の幼少時の写真が次々と映し出されますが、産まれる前は吉田夫婦のように待ち望まれ、思春期までは広重家のようにぎこちないながらも愛されていたことを示しています。
その後に拒まれてしまったということ。
本人には残っていない愛された記憶。
なんと暖かくて残酷なことか。しかしかって祝福された事実があったことで、花は花が生まれた意味を手に入れることができました。
やがて広重家の父親は事実を受け入れようと頑張りますが、それは花が本来歩むはずだった未来だったんじゃないかな?。
広重家とは違い、親に拒まれてしまった人間が次の一歩を踏み出すのに必要なのは、「受け入れてくれる友人たちなのだ」。
これが僕が作品から受け取ったメッセージです。
もしも花が友人たちにとってどういう存在なのかを言葉にするなら、彼女に写真を撮ってもらえるということは、被写体が彼女にとって「いい顔」に見えたということ、つまり友人たちは自分たちが偽りなく幸せであったと胸張って言える証明そのものなのです。
本当に花が一歩を踏み出すまでを1時間半待ち続けました…
笑って観ていた人は僕とは違う育ち方をしたとしか言えないね。







